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小川原さんのお手紙は、一部「凶区掲示板」にて紹介してます

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年12月14日(木)16時56分19秒
返信・引用 編集済
  ・小川原健太さん、どうもありがとうございました。
遠慮なく書き込んでください。どう書き込もうとかまいません。
「風の道」その一は寸感でまず第一弾で、「愛しの女王蜂」についても、
続編の付け足しがあります。
時間的なことで寸感で済ませてしまいました。
間島康子さんの「大屋根の家」についても、細部の分析による批評感想もあります。
時間取れましたら、書き足していくつもりでいます。

http://6909.teacup.com/nebo/bbs/

 
 

独断にて、すみませんが

 投稿者:小川原健太  投稿日:2017年12月14日(木)00時58分27秒
返信・引用
  根保孝栄・石塚邦男様

「風の道」(8号)の論評「その1」ありがとうございます。拙作に対し「夫婦のやりとりがおもしろい」はちょっと意外でした。というのも、私の叔母の感想も同じようなものでしたので。叔母の場合、私ら夫婦をよく知っているので、そうした読みになるのだろうと、なんかピントがずれててもしょうがないかと思っていたのが、根保さんも同じだったのでびっくりした次第です。でも根保さんの場合「…雄蜂の役割の哀れと人間の男女の世相と二重写しにしたところが」と、私の書きたかったことを当てているのでさすがと思いました。その上での「夫婦のやりとり」のおもしろさといわれると、たしかにそれもあったな納得した次第。叔母はそれを「愛情」ととらえ、根保さんは「ちぐはぐさ」のおもしろさととらえたのだと。

 それともう1点ぎょっとしたこと。私小説筆法として、妻を「気が強く割り切り方の早いあっさりした性格」とした。なんでそこまで知ってるのと、ぎょっとした。というのも、妻は東京育ちで、根保さんの学生時代の出没したであろう地区と重なるところがあるなと思い当たったとき。しかしよくよく考えると、妻はそのころ中学生になったかどうかというところ。それでほっとした。こういう想像をするところなど、小説を書く人間の悪しき性、根保さんも同業で了解されるものと思いますので。

 まだまだ書きたいことがありますが、きりがない。1つだけ。根保さんの今朝の「純文学と不純文学の境目は…」の文章を読んで、後悔しきりのことがある。前文でもちょっと触れたが、蜂に刺されたとき小便をかけて消毒するくだりで、自分の小便だでないので、「ユキネー」が小便をしてかけたという件、これを書き込むと、トーンが変わってかなりの不純文学になったのではという思いです。まあ、そんなこと書いてもきりがない。それより、今号を送ったときの私の手紙や「カプリチオ」掲示板に寄せられた根保さんコメントなど順をおってコピーすればおもしろいのではと思いついた。私信だが、自分で書いたものだし、とくに差し支えるような内容ではないし。自分と「カプリチオ」のPRにもなるかと、両管理人には無断で掲載、ご容赦下さい。

(以下、コピー文)

根保孝栄・石塚邦男様  11月末投函
ご無沙汰しております。「風の道」8号ができましたので送らせていただきます。間島康子、荻野央なども同人です。主宰の葉山修平を失ってから、かなり活力の欠けたものになったような、自分ではそんな印象をもっています。

  「カプリチオ」掲示板などでのいつもながらの的確なコメントをありがとうございます。それなのに私の方はまったくのご無沙汰で申しわけありません。「獣神ー啄木編」完結の由、おめでとうございます。
私は、「分載」というより、それぞれ独立した短編のイメージでを読んでいたので、これを最終1本にまとめるときもう一度通しで手を入れるのか、そのまま合本するのか、どうするんだろうという関心があります。
 それと、最初にちょこっと登場したまま、そのご消えてしまった啄木がまた登場して締めくくるのですか。これが史実に基づいているというより創作上の配置ですか。どう造形するか楽しみです。
 先日の掲示板に「実在の人物や史実の流れのなかに、創作上の人物を配置する手法をとった実験小説」とありましたが、この実験に関心を持っているということ。かつて歴史(学)に少々入り込んだ私としては、歴史の中に創作上の人物を入れることには、非常な禁欲的な思い込みがあった。それなら歴史上の人物を主題にして書いたわけでもないので(書きかけたが頓挫)、結局私小説的な身辺雑記になってしまった。その呪縛からどうやら開放されつつある。そういえば根保さんの「野を翔ける声」には違和感を感じなかった。まあ、私小説の「私」だって創作上の「私」ではないか。(第三者の)名前の付いた主人公だって、作者の思い反映するととらえれば、実在しない創作上の人物を創造、配置することにあまり禁欲的になることもなかったのだなと(すみません、自分でもなに言ってるんだか分からなくなってきた)。
(中 略)
 苫小牧の雪、うっすら積もっていたような。昨日だったか交通事故のニュースで見たように思う。私の田舎では、これから降っては溶けて、降っては溶けて、根雪になるのはクリスマス近くになってというイメージがあるが、最近はもっと早いのか。テレビの天気予報を見るたびにちらっとまず北海道が目に入る(一番上だからかな)。それから目線は下って東京。これ習性。そうでないとなんか地図の配置の収まりが悪いような。それで比較して最近は、北海道は寒いな、あんなとこ行(生)けないなというように思ったり。
 根保さんにはくれぐれもご自愛下さい。


小河原さんへ・・面白い切り口で短編の妙を発揮した作品に感じいりました   投稿者:根保孝栄・石塚邦男   投稿日:2017年12月11日(月)06時26分47秒

・雑誌受け取りました。蜂の観察・・・雄蜂の役割の哀れと人間の男女の世相と二重写しにしたところが、作品に立体感を与えていて、作品の意味喩を深めた佳作で、アングルが新鮮でした。時間とれましたら、読み込んで感想書きます。間島さん、荻野さんの作品も人柄、個性をいかんなく発揮した味わい深い作品でした。時間とれましたら近く感想書きたいと思います。


根保さん、ありがとうございます   投稿者:小川原健太   投稿日:2017年12月11日(月)12時33分10秒
さっそくお目通しいただきありがとうございます。目にとまっただけでありがたい。短編を作るおもしろさみたいのが、自分でも少し感じられました。テーマとは一見何のかかわりもようなエピソードをぽつんと挿入して(3歳の女の子の入浴シーン)じわじわと相乗効果を狙うような。短編でも書き込みすぎたかなと悔いる点と、逆に省略しすぎた(蜂毒を消毒するために小便が、自分のが出ない。ユキネーが小便をしてかけてくれたとか。これは扱いによってはかなりえげつない話になるので、場面を変えて、暗示的に分かるように書いたのが、全体の半分くらいになる長さになったので、締め切りぎりぎりで、全部をカットした)。
 あんまり自分で言ってはまずいか。容赦の無い読みをお願いします。

※この後に、根保さんの12日付けのコメントが続くわけです。長々すみません。
※「カプリチオ」掲示板 http://6910.teacup.com/capricciolitera/bbs/405

 

純文学と不純文学の境目は・・川端康成に例をとって

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年12月13日(水)06時02分9秒
返信・引用 編集済
  ・川端康成の作品、すべて<純文学>と思っている者が多いようだが、
それは、ちょっと違う。例えば以下のような描写があるが、これは純文学か?・・・。

 島村は退屈まぎれに左手の人差指を動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどころなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて臭いを嗅いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに線を引くと、そこに女の片眼がはっきり浮き出たのだった。

・以上の描写が卓越しているか、過剰描写と見るかは、読者にとっては微妙なものがあるはずだ。この描写は、康成の代表作のひとつである「雪国」の作品の最初の方に表れるもので、語り手の島村がトンネルを抜ける列車に乗ってわざわざ会いに来た女を思い出す場面に出てくるのだが、この場面描写は純文学か俗な不純文学かを綱渡りする微妙な描写であることでは、論議を呼ぶだろう。文学とは、このように、一般読者にとっては危ない存在なのだ。たとえば、ませた小学生がこの描写を読んで、いかに反応するか・・を親の立場に立つと、文学作品とは危険なものだと複雑な思いになるだろう。康成文学が魔物の文学か日本的美学の文学かを世界で問われたのは、こんな描写の怖ろしさにあったのである。

・この微妙を見分けられるか否かが、書き手の創作者には問われる永遠の課題だろう。
それは、村上龍や村上春樹のセックス描写の違いを見分ける呼吸にもつながるし、読者の好き嫌いの基準にもなる評価軸であろう。

・人間という種には男性種と女性種しかいないのであるが、その微妙を書き分けることこそ、文学の大いなる挑戦の一分野になっていることは間違いない。男性の性、女性の性の性差による人間の観察眼の違いは、創作分野にも当然表われてくる。「女性読者はそうは感じないわよ」「女性作者は男を書けない」などの意見が出て来て当然なのだが、それは性差の違いによって、受け止め方が違ってくるのは当然なのだ。男性と女性では互いに相手が宇宙人みたいに思うことがある。それが性差というものである。その違いを書き分けることができたなら、偉大な作家であろう。

・同人雑誌で、男性性、女性性を書き分けられる作家はほとんどいない。男性作家でも男性性の振る舞いを真に書ける作家は、同人雑誌では二、三人いるかいないかであろう。それほど性差は深い闇の部分であるのだ。女性作家でも、女性性を書ける作家は、同人雑誌にはほとんどいない。皆、そこを避けて通ることの賢明さを本能的に知っているようだ。それこそが文学の重要な主題の一つであるはずなのだが・・。

http://6909.tecup.com/nebo/bbs/

 

「風の道」8号(東京都) その1 味のある私小説筆法は小川原健太「愛しの女王蜂」の夫婦のやりとり

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年12月12日(火)06時05分31秒
返信・引用 編集済
  ・この雑誌、確か4号あたりから読んでいるはずです。先号と今号は小川原健太さんより送られてきました。支柱であった故葉山修平さん亡きあと同人の皆さん、「風の道」の行く末心配なさっているみたいですが、どうしてどうして、皆さんの作品は、緊張感にあふれた作品ばかりで、緩みない姿勢がうかがえて、堂々と自立した作品を披露されていて心強く読んだ次第です。

・間島康子「大屋根の家」は、実家を訪れた作者が、少女時代、学生時代の追憶と思い出をからませて友だちの在りし日の姿を自然体でしみじみと思い出す私小説筆法の作品なのだが、追憶の切なさが読者に伝わる好編になっている。

・小川原健太「愛しの女王蜂」は、定年退職した主人公誠二が田舎育ちなので畑仕事に精を出し、妻は花畑作り。やがてスズメバチとの闘いの日常。その生態観察の次第を主人公誠二の目線から描いた私小説筆法の作品なのだが、スズメバチの生態にまつわる夫婦の会話が、実に味のあるやりとりで面白く、また、少年時代の北海道でのスズメバチにまつわる追憶など井伏鱒二の作品の現代版みたいな味わいに昇華されているように見えて、この作者の新境地開拓の作品とも読めた。ひとつの目標に向かって起承転結していく小説技法ではなく、過去と現在を行ったり来たり自在に話が及んで行く私小説筆法で、気が強く割り切り方の早いあっさりした性格の妻と物事にこだわり日常やや受け身の夫誠二の振る舞いと受け応えが絶妙な味わいになっているところが読みどころだろう。

夫婦の味のある会話の触りを次に紹介すると・・

「働き蜂はオスなんだろう」と誠二。
「働くのはぜーんぶメス。オスはぜんぜん働かないんだって」
 じゃあ、オスはなにをしているんだと聞こうとしてやめる。だいたい想像はつく。
「働き蜂もオス蜂は冬を越せない。ぜーんぶ死ぬ。女王蜂だけが生き残って、次の春からまた子供を生んでいくんだって」
 妻の顔はやや満足気に薄く笑っている。

・こんなところが愉快で見事だ・・。

  郵便ー116-0003  東京都荒川区南千住8-3-1-1105 吉田方 風の道同人会

       電話 03-3806-4715



http://6909.teacup.com/nebo/bbs/

 

「泡沫のキリスト」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年12月12日(火)05時52分5秒
返信・引用
  ・興味深く読んでますよ。

http://6909.teacup.com/nebo/bbs/

 

「泡沫のキリスト」関谷雄孝作

 投稿者:草原克芳  投稿日:2017年12月10日(日)20時05分41秒
返信・引用 編集済
  カプリチオ掲示板小説の第五弾「泡沫のキリスト」関谷雄孝作
開始いたしました。

http://6910.teacup.com/capricciolitera/bbs/405

 

「アピ」8号(茨城県笠間市) その1 西田信博「一つ目橋物語其の一 踵」の卓越した描写力

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年12月 6日(水)07時36分39秒
返信・引用 編集済
  ・年一回の発刊らしいが、地球のアース、平和のピースを象徴して「アピ」と雑誌名にしたという。
これで二冊目の拝読となるが、なかなかの作品が掲載されている。

・西田信博「一つ目橋物語ー其の一」とあるから今後連載されるのであろうが、江戸を舞台にした時代小説。これが驚いたことに、既成のプロの売れっ子時代小説家にも匹敵する見事な作品に仕上がっているのである。下手な解説よりも、冒頭の数行を引用する方が読者は納得するだろう。この西田という作家は、江戸時代の庶民の風俗や暮らし向きを良く研究して作品を書いているところが買えるのである。藤沢周平や山本周五郎などは、江戸時代を舞台にして純文学的な作品も多数残しており、後輩作家の良き鏡になっているが、時代の風俗を勉強、研究しないと時代物は書けないもので、その意味でも、時代の風俗を的確に作品の中に再現しえた西田作品は、一定の評価を与えられていいだろう。以下に、作品の冒頭を紹介する。


 その女は、一つ目橋のたもとに立っていた。
 すぐ傍にある船着き場から陸にあがってくる人々と、
橋を渡り通りを忙しげに歩む人々を避けるように背を向
け、積み上げられた石垣の上から、女は大川の川面を
じっと見つめていた。
 縞の着物に黒儒子の鯨帯、腰ひもを前垂れの紐で兼用
した姿は、どこにでもいるような小女の風体に違いなか
ったが、わずかに落ちた左肩と絞まった腰、心持ちにひ
いた左の踵の白さがやけに艶めいて竹造の視線をひいた。
・・・いい女だな・・・
 竹造は足を留めて、女の背中から腰のあたりを見つめた。

 大川の風が竹造の羽織った半被の裾を優しげに三度ほど
めくりあげた。

 こんな場面から始まる江戸物時代小説なのだが、男の視線と風体、女の姿が粋な一服の絵巻物のように描写されているところに、この作家の並々ならぬ力量が窺えるのだ。
江戸時代の二百数十年は、戦国時代と違って世界的にも珍しい平和な時代で、日本的な人情風俗が定着したときだけに、藤沢周平、山本周五郎、池波正太郎などの時代風俗の繊細な描写とともに愛読者が多いが、最近の若手作家も江戸時代の市井の暮らしぶりなどを良く研究した作品を書いており、根強い愛読者がいる。

・さら みずえ「生命の森」は、義父が倒れて介護が必要になるが、高齢の義母は付添婦を勧められても、最初は断固として断る。自分が元気なうちは嫁にも娘にも下の世話はさせたくないと言い張っていたが、そういう訳にもいかず・・という話を長男の嫁の目線から描写していく話なのだが、父親の世話を女たちに任せっきりにしている男たちへの恨みがましい女たちの心のさざなみがよく書けている。なかなかの作者である。

・宇高光夫「続・空に星があるように」は、成績が優秀なのに中学卒業後、親戚の病院に勤めながら定時制高校に進学せざるを得なくなった女の子の話・・は貧しい時代の日本では、子供たちが大変だったことを改めて思い起こす読者もいるだろう。

・田中修「旧水戸街道120キロを歩く」は、写真、図入りの労作。こんな壮図を成し遂げる人もいるのだ、と改めて感服した。

・山口明美の短歌連作「監視カメラ」「白い結び」「野火」「鈴かけの道」。なかなかの歌人だ。

 ・機動隊の向こうの豊かな自由など幻だったとシルバー右翼
 ・亡き息子の手母の手さすりきょう叔母の真綿のような手をさすり居る

・このほか、林坊晴の「里の営為」の短歌連作、金川繁のソネット詩、立谷正男の詩歌など短詩系の作者も増えて人脈に広がりが出て来た。


  ・309-1722  茨城県笠間市平町1884-190

                電話ー0296-78-3139

http://6909.teacup.com/nebo/bbs/

 

「人間像」187号(北海道北広島市) その1 個性的な女の生き様を描いた作品は北村くにこの力作三編一挙掲載

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年12月 5日(火)06時10分12秒
返信・引用 編集済
  ・多忙に紛れて、未だ読んでいなかったらしい。送付された同人誌の山をひっくり返しての確認だが、ちょうど急用で東京などに何度も出向いていたころ未読があったようだ。ほかの同人誌でもそうした未読があったとしたら失礼しておりましたこと、この場でお詫びしておきます。

・北村くにこ特集として、「夕日の中のオリーブ」120枚、「ミユキ」100枚、「自閉の揺りかご」100枚の力作3編を一挙掲載しているのには驚いた。こんな例はまず同人雑誌では初めて目にする企画のはずだ。作者の高齢化時代を迎えて、手持ち原稿があれば、自己負担の許す限りこうした企画も必要な時代になっている。何せ、作者が未発表原稿を抱えたままあの世に行くのでは心残りだ。こうした企画は、ほかの同人誌でも試みてほしい。とは言っても、この作者は、未だ60代の若さなのだが・・。

・「夕日の中のオリーブ」は、浪人中のおれが高校時代の友だちの浅井の従妹と知り合う。その子はポパイの漫画に出てくる女の子オリーブに似た細っこい個性的な女の子。六年後、入院した浅井を見舞った病院でオリーブに再会する。そのオリーブが気になるのは、大学生になってから、ドイツの田舎をヒッチハイクしていたときに出合ったおかっぱ頭の少女が大きくなった子ではないかと思うからだ・・・というような書き出しから、互いに別々の人生を歩んだ果ての再会・・。人が人を好きになることの切なさを描いた抒情小説というべきか。

・「ミユキ」は、八十七歳の母の世話をするワタシは、母が疎ましい。まるで蟻地獄に陥ったようだとミユキは憂鬱な毎日を過ごしている。ある日、遊びに来たミユキはベランダの梁からぶら下がっているのが発見される・・。そのミユキのおい育ちは・・と言う話。

・「自閉の揺りかご」は、引きこもり生活をしているスズエの家に下宿するようになったヒカル。スズエは一応、清掃会社の派遣社員として働いている。そのスズエの変わった性格と生活ぶりを個性的に描いた作品。

・この作者の特性は、特異な性格の女性を書き分けるデッサン力が優れているところだろう。

 ・061-1148    北海道北広島市山手町1-1-10  人間像同人会

  ・三編の力作読みき個性ある女主人公の生き様宜ふ   石塚 邦男

http://6909.teacup.com/nebo/bbs/

 

「季刊遠近」65号(川崎市) 難波田節子の書評「マーシャの日記」を読んで、改めて権力の怖さを再認識 私小説的筆法の力作は藤民央「紙の卒塔婆」連載二回目

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年12月 2日(土)05時24分42秒
返信・引用 編集済
  ・難波田節子の書評「マーシャの日記」に注目したのは、同人雑誌作家として有名なこの人が、特別の思いで書いた書評のように思えるからだ。この日記は、ホロコーストを生き延びたリトアニアのユダヤ人少女であるマーシャ・ロリニカイテの痛々しい日記であるが、少女のマーシャは「もし生きて帰れたら自分で話そう。帰れなかったらこの日記をよんでもらおう」という思いで必死に書き続けたものだという。

・日本で出版されたこの日記は、新日本出版社刊、清水陽子訳であるが、リトアニアに侵攻したドイツ軍による凄まじい迫害の一部始終を、ユダヤ人少女の目線からその体験を生々しく再現したものなのだが、ナチスの暴虐の限りを実行したのは、当時のドイツの総統ヒットラーの方針を忠実に実行に移した無名のドイツ人であったことに改めて恐怖を覚えるのだ。

・その恐怖とは、為政者の方針、政策を忠実に実行してはばからない官憲の実行力のことである。たとえ個人的に為政者の方針に反発を覚えても、組織として為政者の方針を実行せざるを得ない官憲の組織的行動力のことである。翻って我が国の官憲の組織に思いをいたすとき、権力を握った政治の在り方次第で、怖ろしい実行力を発揮していく組織の怖さを改めて考えざるを得ないのだ。

・小説では藤民央「紙の卒塔婆」の連載に注目し読ませたのは、悲惨な家庭環境の下、戦中戦後の時代を生きてきた男子を主人公にした私小説筆法。私小説と言えば、現代小説の場では古びた小説手法とされながら、一方では日本の伝統的小説手法として、今も隠然たる勢力図を保っているのだが、この作品の筆法は、部分的にとつとつとした書きぶりもあって古臭く感じはしても、全体的に読者をぐいぐいと惹きつける魔力のような力があるのは、やはり体験の凄まじさとその重さゆえであろうか。ちょうど、ビート・たけし主演の戦中、戦後を舞台にした映画「血と骨」みたいな・・・。連載二回目の今回は、70枚を超える力作で次の連載が待ち遠しい。

  ・官憲の横暴憂ふ日本の政治に思ひを馳せるホロコースト  石塚 邦男

http://6909.teacup.com/nebo/bbs/

 

「中部ペン」24号 その2 興味津々な「座談会・中部ペン作家の三つの作品から」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年11月30日(木)22時16分6秒
返信・引用 編集済
  ・出席者は「北斗」の駒瀬銑吾、「じゅん文学」の戸田鎮子、「弦」の中村賢三の三人。
興味深いのは、それぞれの作品に対する価値観の微妙な相違である。ここには、現代における文学作品の読みの違いと評価の違いが浮き彫りにされていることである。それは、誰の立場が正しくて、誰の立場が正しくないかのことではなく、価値観の相対的立場が明らかにされていることである。
さわりのところを、独断的に抽出してみる。

・朝岡明美「枯れ木に花」

戸田ー離婚した娘が二人の子を連れて祖母の実家に出戻りしてくる話ですが、それを祖母の視点で書くことで実によく捉えられています。登場人物が実に生き生きと描かれています。母子家庭の暗さを感じさせません。日常を描き重ねるだけで終わらない、作家の意志が読む者に伝わってきます。でも、朝岡さんの作品は、みんなうまくいきすぎているのですよ。うまくいかないのが現実なのですが。読者の立場からすると、平穏な小説世界はちっとも面白くない。はらはらする、スリルがある、結果が分かるまで読むのがやめられない、そういう内容を求めているのです。同人雑誌作家は、この頃それを忘れている気がします。

駒瀬ー日本のごく普通の家族の姿です。それがいまグローバリズムの中で危機に瀕している。その守るべき姿が提示されていると読んでもいいのではないか。平穏も危機も両方が必要で、どちらも文学なのではないか。社会的問題意識のことは、同人雑誌における重要な問題だと思います。朝岡さんが書いた作品はみんながすらすら読める優れた作品だと認めている。それでいけないのか、ということです。

中村ー戸田さんの言われたように、非常に幸せな物語です。離婚した娘が男の孫二人を連れて転がり込んできて物語が始まります。小説はたいてい、幸せすぎる人間を書いても面白くないものです。しかし、この作品は、幸せな生活の中に読ませるものを持っている。それは、園田という訳あり老人の姿が明らかになっていく過程があるからです。そこが読者を引き付ける。大上段に構えて書いていないからいいものになったという小説じゃないか。


・今泉佐知子「みみずみみ」

中村ー古文書の解読の会で新米の霧子が読み違えたことから、主宰的な敬子から言葉の暴力を受けて傷つく。霧子の過去を回想しながら現在の心境を語る内容。この作品で大切なものとして、ミミズの生態と人間の生き様の対比があります。テーマはミミズは死んで土になる。人間も土の生み出すものを食べて生き、死んで土になる。人も他の生き物と変わりないと悟って爽やかな気持ちになるという作品です。

駒瀬ーこの作品は内面の語りで、ストーリーがありません。しかし、あまり悟り過ぎると作品は書けなくなります。観念小説とでも言えるものですが、内部を見る目と言えば恰好がいいが、むしろ個人的な精神風景を羅列している。老人問題をもっと書いてほしかった。また作品は日記のように読めてしまう。いっそのこと日記風にするべきではなかったか。いいかえれば、この作品は生身の人間ドラマになっていない。小説というよりも、ミミズを比較観察する目でとらえたエッセイと読めます。

戸田ーこの作品はエッセイか小説かということが問題になってますが、どちらにしても十分読めます。どちらに分類してもいいですよ。

・堀井清「赤いリンゴ二つ」

戸田ー家族崩壊を示唆しているようです。ゴーギャンの「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」という思想と作品を思い起しました。でも作者の観念ばかりが」先行しているように感じます。散文は他者に理解できる書き方が大切ではないでしょうか。今の日本人の小説には社会性が希薄なことです。今回の三人の作品もそうです。個人・家庭の問題で、日本社会の問題になっていません。だから、日本人の作品はノーベル賞の対象になっていません。

駒瀬ー我々老人層は年金もあって生活に差し迫った者が少ない。同人雑誌でも悠長な生活を描いた作品になりがちです。この時代、良い時代を生きて来た老年層と、バブルがはじけて行き詰まった壮年層とでは、意識の上で大きな違いが生まれている。

中村ー堀井さんの作品を読んでいつも思うのは、先ほどのゴーギャンの「我々はどこからきて・・」を問い続けている方だなあということです。ただ、読者にとっては問うだけで答えがでてこないので、まだるっこく感じます。もっと人間が動いて活躍していくものがほしい。

 ・完全な小説などあるものか自問自答し批評文を読む   石塚 邦男

http://6909.teacup.com/nebo/bbs/

 

「星灯」5号(東京都)その3 味のある短編は渥美二郎「支配からの逃走」、 興味津々の村上春樹の作品解剖は「座談会・村上春樹作・騎士団殺し」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年11月29日(水)06時25分2秒
返信・引用 編集済
  ・渥美二郎の短編小説「支配からの逃走」は、主人公の僕が高校で英語を教える中年の教諭。
その日常の話を語る内容なのだが、主人公の立居振舞いになかなか味があるのである。
主人公の僕は常日頃、支配と服従の関係を打破することを信条にしているが、
何かにつけ理想と実践はなかなか伴わない悩みをかかえている。

僕は少数派の教職員組合に入っていて、
仕方なしに副委員長を仰せつかっているのであるが、
職務を懸命に果たそうと努力しているその姿がいじらしいほどだ。

生活者としては娘が一人いるが、すでに就職活動中の大学生で家を出ている。
この町には実家があり老いた両親は口のきけない兄を世話しながら飲食店を営んでいるので、
時間のあるときは兄の世話をしに実家に行くことにしている。
父は婿養子に入った男で、生活者としてのアナキストで、
母は世話好きのおせっかい女。

そんな主人公の学校勤務と日常生活を描いた作品なのだが、
小説創りとしては、特別際立っているというのではないが、
淡々と描写するなかで、主人公の生真面目な人となりが
じわりと炙り出されていて味のある作品に仕上がっているのである。

   ・誠実な男ありけり何処にも巷を観ても目立たぬ場所に  石塚 邦男

・座談会「騎士団長殺し・メッタ斬り」は、<村上春樹の最近作の徹底解剖>と銘打って作家の渥美二郎、文学研究者の神村和美、作家の松本たき子、大学教授の島村輝の各氏が出席して討論した内容が面白かった。以下に、各氏の肯定、否定の勘所を独断的に抽出紹介。

・松本たき子ー中身というより文章がいい。文体がすごい。でも長いが何が起こったのかというと大したことがない。第一部読むのがつらかったですね。IQ84の方が面白かった。書く行為自体もセックス的と言いますか、マスターベーションのような書き方で、、やっぱり人間はセックスなんですかね(笑い)春樹はわざと嘘ついてるのかと。種明かししないためにのらりくらり・・。春樹好きの夫が、今日も一日子守りしてくれてるんですけど、この会で一人でも好きなひとがいれば報われると言ってました(笑い)

・神村和美ー東浩紀は登場人物とキャラクターの違いを言ってますが、村上春樹の作品の登場人物は、キャラクターに近いのかなと思いました。春樹のパターンが好きな人は、「キターッ」という感じなのかもしれない。落語みたいですよね。南京虐殺であろうが、クリスタル・ナハトであろうが、歴史的事実にどう対峙するのかはどうでもよくなっている。もしかしたらメタファーかもよというように物語が収束しているようにも思われます。「騎士団長殺し」の特徴は、インターネットなどの情報とは隔絶されていることです。村上春樹を初めて読んだのは中学生の時ですけれど、村上龍と両方読んだのですが、どちらもセックス描写がすごいんですが、春樹の方はクールさが気持ち悪くて、龍の方は嫌な感じがしなかった。女性は「やっぱり龍だよね」、若い男性は春樹がすきなようでした。

・島村輝ー読み手がつまらないと思ったら、それはもともと作品がつまらないということですよ。キャラクターのことですが、手塚治虫の漫画の「ひげおやじ」みたいに、いろんな作品にちょっとずつずらして出てくる。歴史的大事件もエピソードとしてあるけれど、正面に据えて立体的に展開させようとはしていない。物語を動かす枠組みはとっているけれど、主人公は成長しないし、歴史的事件も脇に追いやられている。本当に書きたいものは、物語の筋とは違うところにあるのではないか。村上春樹にとっては、この作品を通じて、小説を書くとか、芸術を表象することについて議論することが主要なテーマなんです。そういう小説としてまず思い浮かぶのは漱石の「草枕」。「騎士団長殺し」も「草枕」同様のメタフィクションです。筋があって、それはそれとして、それだけではないところに、この小説の面白さがあるのかなと思いました。

・渥美二郎ーぼくは家族小説を書くので、人間って組織とか家族とか歴史とかがんじがらめで生きていると思うんです。でもこの小説は、家族臭、実家臭がしないんだよね。主人公は性的に満たされていないと思うんだよね。村上春樹もそうかもしれない。村上春樹は六十八にもなってセックスの話をこんなに出すのはなんでなのか。資本主義文学でいうと、セックスは必須です。スタイルというのは資本主義においては商品ですよ。おしゃれとか、スタイル自体が立派な商品。村上春樹の場合、車はフォレスター、服もブランド名、音楽も誰々の指揮で何曲とか、カタログは見ていて楽しい。こんな生活したくなるような。そこがまた資本主義小説だと思います。

追記ーこの座談会、なかなか味わい深いものであった。

   ・本質を突きたる座談の記事読みて師走迎えむミサイルが飛ぶ  石塚 邦男

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「いぶり文芸」48号 その2(室蘭市) 詩、俳句、川柳、短歌にも秀作を観る

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年11月22日(水)12時40分0秒
返信・引用 編集済
  ・創作は三編。

星川静夫「心変わり」は、金属加工の会社の組合活動で、主人公の道夫は教宣部長の役割。
道夫はある日、女には無骨に見えた妻子持ちの組合長の荒井から、
十一も年下の美貌な乙女との交情を聞かされる。
離婚後、荒井はその乙女と結婚式を挙げることになったのだが・・という話のどんでん返しは・・という二十枚ほどの作品は結末の無残が印象に残る。

・松井逸馬「ビートルズがやって来た」は、
伝説の呼び屋・永島達司の生涯とその業績を紹介する力作。
幻冬舎が1999年出版した野地秩嘉著「伝説の呼び屋・永島達司の生涯」
の著書を土台に、異色の人物の足跡を記した内容は読ませた。

・随筆は八編。
小松祥一「従姉Kさんの死」、岩瀬義一「夫婦の子ども教育」、玉田裕子「山の爺」、内城恵津子「銀色の鈴の音」、光城健悦「昭和を駆けた阿久悠」、中村喜代子「心が起きてくる」、鈴木みな子「海の日に山で遭難?」、水谷妙子「積む」それぞれの味わいであるが、
中でも光城健悦「昭和を駆けた阿久悠」の切れのある文章が印象に残った。

・詩作品は、ベテランの三村美代子「花二題」情感漂う言葉の密度である。
鈴木みな子「手のひらのかけら」は、人前に出すにははずかしい荒れた手のイメージから人生を紡ぎ出す詩語が新鮮。清野恵子「満月の夜」は、満月の夜に亡くなった父への惜別詩で胸に迫る。

・俳句は名取光恵、宮川三保子がいい。
   もう会へぬ笑顔か山のみどり沁む   光恵

   蝉の穴聞きたいことがあったのに   三保子

・川柳は山口昭悦、青葉テイ子がいい。

   朽ちるまで抜けぬ夫婦の錆びた釘   昭悦

   のんびりとアンパンのへそ押してみる テイ子

・短歌は和田邦子、菅原弘子がいい。

   美辞麗句ならぶ総理のメッセージ日めくり今年も二枚となりぬ  邦子

   手を伸ばせ足を延ばせと老いの身は一人声かく朝のしきたり   弘子


  一首献上。

     たちまちに八十路眼の前時空(とき)流れ原稿書きつつ居眠りをりぬ  石塚 邦男

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「いぶり文芸」48号 その一(室蘭市) 興味深い吉田隆一「北海道古代秘史ー津軽海峡をわたったヤマト船団」の力作

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年11月21日(火)17時32分16秒
返信・引用 編集済
  ・地域の文学活動振興を目的に胆振芸術祭実行委員会が発刊している。
年一回発刊して48年になる。
同委員会は、音楽、絵画・陶芸などの表現芸術においても
巡回展覧、公演の労をとっており、胆振支庁の地域振興予算付けのバックアップがある。

・「いぶり文芸」は、短歌、俳句、川柳、随筆、詩、小説・ノンフィクション部門で
枚数限定で募集、雑誌一冊1200円以上を買えば掲載という破格の条件のため、
長物50枚以内の条件は発表の場としては好条件。
地域の名のある長物作家の発表の場として大いに利用されている場。

・長物の評論・ノンフィクション部門でまず注目したのは、
吉田隆一「北海道古代秘史-津軽海峡をわたったヤマト船団」の
古代史探査の50枚の力作である。
この作家は画家としても名のある元中学校の美術教師であるが、
若い頃に一時室蘭民報で新聞記者をやった経験もあるユニークな存在として北海道では有名人。
「苫小牧市民文芸」には「円空と樽前権現」の50枚の力作も書いている郷土歴史家でもある。
斉明天皇時代、安倍比羅夫が北方の蛮賊を征伐するため
船団を連ねて遠征した日本書紀の記述を詳細に探査、
安倍比羅夫の遠征が、どの地区まで及んだかを追求した
独自の見解に立った興味深い論考である。

・加藤平八郎「観方による違い」は、人生とは何か、
この世とあの世、存在とは何か、の哲学的考察を
例を引いて博識なダイジェストに要約したもの。
ものの観方は色々あり、うかつに新聞の記事を信用しないこと、と警鐘を鳴らしている。

  発行所ー胆振芸術祭実行委員会
  発行者ー室蘭文化連盟会長 三村美代子
  編集者ー室蘭文芸協会 井村 敦

一首献上。

  ・安倍比羅夫の船団何処に至れるか真摯に探究したるを読めり  石塚 邦男

  ・盲目に信じるなかれと警鐘を鳴らす文章新しく読む




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「群系」38号を読んでの総論は・・ 

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年11月18日(土)16時53分25秒
返信・引用 編集済
  ・明治文学は書生を描いたところから出発しているが、それは何も明治に限ったことではない。
現代の小説に現れた青春小説のすべては、明治の<書生文学>の延長線上にある。ただ、時代的な人間社会の風俗が変わっただけだろう。

・草原克芳「開化日本、書生はゆく」において、坪内逍遥、二葉亭四迷、夏目漱石、三遊亭円朝を例証して、明治文学における<書生文学>の実体とその流れを瞥見しているのを読んで、明治期に命名された書生という社会人以前の若者もしくは、新社会人になったばかりの若者の時代の風俗小説が明治文学の主流であったことを再確認し得たことであった。

・そして、それらのことを手際よくまとめた草原の着眼に感心したのだが、問題は、人間の人間による、人間のための芸術とは何ぞや、に思いを馳せるとき、人間の表現の営為とは何か、を問い詰めたあげく、文学表現、絵画表現、音楽表現などの手段の選択の問題から説き起こす必要に迫られるような気がする。

・「なぜ、君は絵画手段ではなく、文学的表現手段を選択したのか」また、「君は、なぜ音楽手段ではなく、文学手段を選択したのか」こう問われたとき、如何に応える準備が整っているか・・・これもまた、重要なテーゼかもしれない。

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「Petanu」24、26、27号(旭川市)

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年11月17日(金)19時25分56秒
返信・引用 編集済
  ・Iam Alpha annd Qmega;the beginning and the end the first the last

                              ヨハネ伝黙示録22章13節

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久しぶりに・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年11月14日(火)17時19分40秒
返信・引用
  ・久しぶりに、アクセス100を超えました。
何でかな・・・

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「海」(太宰府市)18号 その5 芸術的衝動と若い男の根源的情動の世界を描いた連作の作家的野心を定着したかに読める一作は、井本元義「静かなる奔流」のボードレール的心的衝動を描いた異色作

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年11月11日(土)10時39分14秒
返信・引用 編集済
  ・井本元義「静かなる奔流」は、
芸術的衝動の根源を解明せんと野心を持ったかに読める作品で、
この作者の最大の魅力である男の情動を内に抱えた人間存在を描いた魅力に満ちた作風。

・筋書きを紹介すると、
ヴェトナム戦争の頃、
医院を経営する父と諍いがあって家出した20歳の主人公<僕>は
自ら望んで過酷な肉体労働の現場に身を投ずる。
僕はかつて絵を描いていたが、2年前絵を断念、
初歩から学び直そうとしたのは、
侮蔑した父、何もしてくれない母への復讐心からだった。
僕は母を呼び出して金をせしめ、
自殺した絵の先生の師のもとを訪れて絵画を学び始めた。
師はかつての先生との芸術家同士の凄まじい相克を語ってくれた。

・先生のアトリエの間借り人みたいな男が一人いた。
その男宮本さんは釜山で育った。
宮本さんの父が日本人で朝鮮人の母の実家に入り婿のように入った。
宮本さんの父は戦後宮本さんの妹の邦子と宮本さん二人を連れて日本に帰国したという。
宮本さんは亡くなった妹の部屋を私に提供してくれた。
そこは戦後の朝鮮人部落の一角だった。

・この作品は連作の橋渡し的作品と位置つけられるか。
主人公<僕>が親元を離れて下層の世界に身を投じ芸術的原体験を体験し、
特異な芸術家と知り合って開眼していく経緯。
そして成熟した男として成長していく姿を描いている。
独立した作品としては秩序にやや欠けているものの、
宮本という芸術家兄妹出生の秘密と<僕>の芸術的開眼の原点を描いているところが、
純文学としての芸術家の覚醒に照準している点でかつてない作品であろう。
同人誌作家の枠をはみ出した大型作家の野心的な作品として注目に値するものだろう。

・この号の作品は、これまでの連作の経過説明部分が挿入されていて、
単独の作品として読むと
構成にやや破綻めいたものも見受けられるようにも読めるにしても、
連作の流れの中で切り取った部分を作品にしたものとしては、
初めて読む読者向けのサービスの意味でも仕方ないところだろう。
それに目を瞑れば、全体の流れとして
若い男の精神的成長と芸術的開眼の次第が
この作者独特の個性的な捉え方で描かれ
独自の文学的世界を開示している点で実に魅力ある作品である。

・現代文学では、若者の男としての骨太の成長過程を見事に描かれた作品が少ない。
男性独特の内面の情動を見事に描ける作家が少ない現代、
井本元義という作家はそれを見事に描いて
独特の色合いを醸す作風に仕上げていることに感銘を新たにしたものである。

・何より良いのは、ハードボイルドタッチの
乾いた文体で紡いでいく登場人物の心象風景や
詩的な魅力で描写される作中の環境描写である。
ニヒルに突き放した主人公の内面描写の深掘り、
あるいは風景描写にしても、
ドライで寒々としたモノクロ的心象投影に優れているため、
それを見事に生かしているハードボイルドタッチの乾いた文体が、
滋味のある立体的な意味喩を読者に印象つけるところも
新しい文学世界を構築できた理由なのであろう。

・若い男性特有の性的衝動から発する表現行動が
芸術作品の創造に向けられ、
どす黒い芸術的な奔流に転嫁されていくとき、
言い知れぬ開眼の秘密は、
無意識に高貴なビッグバーンに直面していく・・・
その心的成り立ちを、作者がこの作品によって究明しているかに読めるのである。
それが、この作品の存在価値であろうか・・・。

・それらの持ち味は、
作者が意識的に仕掛けた表現方法というよりも、
この作者の持って生まれたボードレール的審美的資質から
体質的に紡ぎ出されているもののように読めるのである。
古典芸能の演目を現代に蘇らせるような
このテーマは時代を超えて繰り返される人間精神の不断の営みであろうが、
あえて一作を披歴された意味を重く受け止めざるを得ない。

・逆巻く水に浮きつ沈みつ生きる若者の姿を見るのはつらいことだが、
また、身が震えるほど愛しさも覚えるのである。

  一首献上。

    ・しず心なき狂乱の身を鎮め画布に対ひし若き画家あり

    ・花に蝶嵐に浪の物狂ひかさねて遂に観し景(かげ)妖し






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「海」(太宰府市)18号 その4  切ない詩人の言葉 笹原由里の「花片」、群青の「開戦」をテーマにした三作の詩が問いかけるもの

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年11月11日(土)08時23分39秒
返信・引用 編集済
  ・現代詩の衰退は、短歌、俳句の人数的な衰退と呼応しているようだ。
若者にとって経済的に厳しい時代を反映してか、
金にならない詩を書く層は随分と減っている。
少子化時代を反映してか、人数的にも半減している。

そんな時代をよそに、しぶとくひたむきに詩を書いて、
自己の生の意味を問い続ける詩人たちの姿を見るといとおしさが胸に迫ってくる。

笹原由里もその一人である。寡黙な短詩が胸を打つ。


   「日 暮」

  家路を急ぐ

  夕焼け雲を


  静かに

  夜が

  包んでいく


  「花 片」

  音もなく


  瞳の端に

  触れることもなく


  肌にまとわりつく

  重さを与えず


  花が散っていく


ここには饒舌に言葉を費やして語る詩人の姿はなく、
少ない言葉で、思いのたけを語る詩人の魂が仄かな光を放っている


 以上の寡黙な詩とは別に、機関銃のように言葉を放ちながら、
語り尽くせない思いを語る詩人もいる。群青という詩人の「開戦」と題した作品は「残された時に」、「戦場」、「六月」の三部作構成なのだが、終わりのない戦争の渦に巻き込まれた者たちの怨念の叫びを代弁している思いが、ここにはある。反戦詩などというありきたりの評価基準では括り切れない怨念の悲哀が記されていて感動を呼ぶ。

  「残された時に」

空襲/夕日に燃え上がる部屋 乾いた畳敷の小部屋 魚を見張る窓 締め切られた薄い短いカーテン

すててこと七分袖のシャツの老人 一人 夢見続けた幼い日の少女とともに(第一連)


  「戦 場」

レジスターの音も聞こえない/満員バスも走らない/桃色のイヤホーンからは音は流れない/笑いあう学生たちもいない/手押し車にすがる老人たちもいない/初めて土を踏みしめる幼い足も見ることが出来ない/みんなどこにいったんだ(第八連)

   「六 月」

きっともう会うことはないんだ/みんなは記憶のかけら/みんなは時間の土をかぶせられ/葬られた/なんども誓ったのにみんなは/今かぎりの/それももう幻のようだ/腐った板壁に挟まれた路地のむこうに/行ってしまった(第二連)


   ・黙(もだ)深く伏し目に生きる者が居る語り尽くせぬ過去を背負ひて  石塚 邦男



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「苫小牧市民文芸」59号 その2 読ませる力作は吉田隆一「円空と樽前権現」 円空の足跡をたどる好編、 宮脇惇子の詩作品「五月闇」は読者を酔わせる詩語の高貴なエロチシズム

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年11月 6日(月)20時03分21秒
返信・引用 編集済
  ・275頁という大冊である。創作10編、ノンフィクション3編、随筆8編、童話1編、短歌7首23人、俳句7句53人のほか、一年間のジャンルごとの文学活動のまとめなどで、創作・ノンフィクション・評論は50枚以内となっているところ、50枚ものの力作が多く、この頁数になったという。なお、創作についての感想評は、「凶区・壁新聞」の掲示板にアップしているのでそちらを読んでいただきたい。ノンフィクション物から読んでいく。

・岩崎三郎「仏縁」は、
苫小牧に宮沢賢治の石碑が建立されたのを機会に、
天母山の法華道場の再興話に話が及ぶ。
身延山の仏閣を参拝の体験と重ね合わせた体験記である。

・浅野政洋「私の女神」は、
単身赴任中に急病になり緊急手術した私小説的体験記。
小説として読むと闘病生活の羅列にすぎないので評価は極端に低くなる。
編集段階でノンフィクションの系列に繰り込んだのであろうか。
作者には悪いが、闘病生活のノンフィクションなど作品とは言えないもの。
だが力作には違いない。力作でも評価されない典型的な作品である。

・吉田隆一「円空と樽前権現」は、
これこそノンフィクションの典型的作品。
苫小牧市の西部地区の村落に祠があり、
ここに祀られた円空仏。円空は34、5歳の頃、
松前藩の要請を受けて岐阜の山の中から蝦夷地に渡ったのが1665年。
現在北海道には40数体の円空彫りが現存するが、
なぜ円空が蝦夷地に渡ったかのいきさつと
円空が松前藩の庇護のもと円空仏を彫ることになったいわれを解き明かそうという内容。
円空の足跡の北限は有珠山であるが、
道東にも円空仏が存在するのは、
松前藩の地方鎮撫の願いが意図されている・・・
というような内容は読ませる。
円空は有珠山噴火の鎮撫を祈る一方、
有珠山の海岸にある小幌の洞窟に籠もり、
数10体の仏を彫った経緯を追求する力作は読ませる。

・詩作品は田中洋子「あなたへ」、宮原頼子「愛しきジャスミンへ」、斎藤よつ「新米教師」、宮脇惇子「五月闇」、入谷寿一「教育勅語」、星まゆみ「あなたの 道」、山田幸太郎「猫の霊界から」の7編久しぶりに盛況だ。

田中洋子「あなたへ」は、
<出会ったのでしょう>の<でしょう>のリフレーンが
優しい詩の響きを伝えて効果的。

宮原頼子「愛しきジャスミンへ」は、
<香り高く/ほこり高く生きているあなた>と
呼びかける優しさが詩の音韻となって伝わる。

齋藤よつ「新米教師」は、第一連紹介。
世間知らずの 内気な女の子/教師になると/米沢から 蝦夷地へ/飛んできた。

宮脇敦子「五月闇」は、ピアノ曲を耳にしているような詩言葉。
良い意味の暗喩のエロスが読者を酔わせる。
第三連紹介・・・・
うっそうたる樹々の/木賊色の手が招き/草草の青いにおいが地にしたたる/無辺の闇に/獣の
鳥の 虫の 花花の/生臭い息がひそんでいる

入谷寿一「教育勅語」は、戦中に学徒動員でいじめを受けた世代の怨念の怨嗟。
「私は墓の下で 震えながら聞いている」とした結句が
重い意味を投げかける。

星まゆみ「あなたの 道」は、
若い世代が老いを見守る作品。最終連紹介。
ときのカレンダーを/燃やし尽くすのか/霞のなかに消えていく/未来予想図/華奢な身体のうしろ姿に/無常の影を映す

山田幸一郎「猫の霊界から」は、
主人に可愛がられた猫が霊界から主人の運転を心配する・・・という散文詩はユーモラス。

・随筆は8編。
奥山としみ「本にまつわる話」は、
卒寿を迎え<断捨離>についての話の最後に、
文学振興策としての文学賞のありかた再考の時期としている。

ほしのゆめお「絵を楽しむ手掛かり」は、
絵画の鑑賞のしかたを多角的に平易に論じた内容は読ませる。

鎌田チヨ「鰊場の思い出」は、
昭和の初めの番屋の風情が懐かしく回顧されている。

木戸克海「言葉の知恵袋」は、
言葉の正しい使い方を例を挙げて論じている目線が面白い。

大平喜彦「マイ・ラスト・ソング」は、
向田邦子、吉田拓郎にちなんだ話。

山上正一「花散里に寄せて」は、源氏物語についての感慨。
花散里の生き方は、これこそ女の本懐なのかもしれない、と
古典的な感想で締めくくっているところが印象的だ。

岩瀬義一「遠藤未満氏のエピソード」は、
苫小牧地方の代表的画家であった故遠藤未満氏にまつわる業績と思い出である。

一首献上。

  ・ヴィオロンの音階奏でる秋の日の野山木枯らす日々は来にけり  石塚 邦男

  なお、「苫小牧市民文芸」の創作部門の感想評は「凶区壁新聞」に掲載済み。

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「Petanu」24、26、27号(旭川市)その1 評者を試されるとき・・・ではあるが

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年11月 6日(月)11時09分28秒
返信・引用 編集済
  ・千葉県佐倉市に住む成田福裕というご仁から「Petanu」という旭川市から発刊されている同人雑誌が送られてきた。何か掲示板で「同人雑誌」の感想を書いている者(つまり私のことか)がいると耳にして雑誌を送ってきたらしい。同封に北海道新聞で同人雑誌評をしている妹尾雄太郎氏の好意的な論評が添付してあった。それには成田福裕氏の作品を好意的に激賞していた。つまり、好評であった作品だが、違う評者はどう読むか、そこが知りたかったらしい。

・芥川賞、直木賞の選考でも評者によって評価の在り方が違う場合があるので、その違いを見極めたかった、という気持ちは理解できる。芥川賞、直木賞の選考の場は、ある水準以上の作品の比較評価の場であるから、評価基準は選考委員よって微妙に異なるが、それはレベルの高い作品同士の比較の場であるから当然であるが、肯定にしても否定にしても佳作同士の優劣の場では、選者の好みや長所、短所の評価の力点の置き方によって僅差で上下が判別されるもの。

・同人雑誌の評価の場では、優劣を論ずるのはきわめて容易いことで、「書けている、書けてない」、「特異な素材をこなしているかどうか」、「類型的でないかどうか」、「独自の文体をものにしているか」などで判別するのは、一般の小説愛読者でもある程度はできることであろう。それをあえて、私を指名して雑誌を送ってきた意味を考えるに、「あなたは如何に読むか」あるいは「如何に読まれるか」を試すようなニュアンスにも受け止められて、私が一読者として試されているような気がしないでもなく、ちょっと複雑な思いであった。作品感想は場を改めて記したい。

・だが、一方で「おう、そうか、では批評の腕を試されてみよう」と挑戦的に立ち向かいたい気持ちにもなるのが、この私の個性・・なのか喧嘩好きなのか・・・。(笑い)

   ・試されてみてもやりたい時もある 秀作を読む批評の腕を  石塚 邦男

 ・Petanu
         旭川市神居八条十三丁目1-5   石川侑夫方



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日本文学のエンターテインメント作家の探偵もの作品・・明智小五郎、金田一耕助など

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年11月 2日(木)02時36分45秒
返信・引用 編集済
  江戸川乱歩は・・・明智小五郎

横溝正史は・・・・金田一耕助

高木彬光は・・・・神津恭介

島田荘司は・・・・御手洗潔

内田康夫は・・・・浅見光彦

栗木薫は・・・・伊集院大介


・このようにならべるとお分かりのように、

作家の作品に登場する有名探偵の名ですね。

今やどの有名人にも増して有名だそうです。

それぞれ、風貌も性格も個性的ですね。

「作品に現れた探偵の性格と風貌」の分析・・・

大学の文学部の卒論にも取り上げられているそうで・・

文芸評論の同人誌「群系」や「星灯」あたりで書く人でもでないかなぁ・・。


   ・桐壺の君やうれしく現はれて恋を囁く夢をぞ見たり   石塚 邦男

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ポール・ヴェルレーヌ(Paul Verlaine)の有名な「秋の歌(落葉)Chanson Dautomne」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年11月 2日(木)02時17分31秒
返信・引用 編集済
  上田敏、堀口大学、金子光晴、窪田般弥などの訳があるが、

やはり文語の訳が良くて、

上田敏、堀口大学の文語訳までが詩として成り立ち、

以下の口語訳は読めたものではない、歌えたものではないですね。

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「星灯」5号(東京都) その1 野川環「ラスト・マン・スタンディング」に見る新鮮な文体の感性

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年10月28日(土)22時39分34秒
返信・引用 編集済
  ・巻末に「星灯創刊の辞」を改めて掲げている。
そこに、次のような味のある感動的な言葉があるので引用する。

・大事なのは、売れるか売れないかではない。これから生まれる新しい言葉に、決して売りわたすことのない魂を込めて、時代のど真ん中めがけて投げ込めるかどうかが問われているのだ。

・めざすのは、川端康成の「美しい日本」のベールをはぎ、大江健三郎の「あいまいな日本」を克服した「やさしい日本」というまったく新しい未来である。文学でいえば、それは小林多喜二と太宰治の統一である。理想をめざす「熱い心」と、現実に傷ついた「冷めた目」の共存。

・まずは、人間そのものに向かいあいたい。「人間をしっかり描けば、社会は自然と滲み出てくる」と小津安二郎は言った。

・以上の言葉を具現化したような作品が巻頭の野川環「ラスト・マン・スタンでイング」。
40を過ぎた男が自転車旅行の末に辿り着いた場所・・主人公「大」の目線から描かれる周囲の繊細な描写が、文学になっているのである。筋書きがどうの、展開がどうのという評価軸を超越した新しい感性の文体である。それは細密描写の絵画のような、あるいは点描画家の作品のような手法なのだが、その描写からにじみでる不思議なリアリズムは、文章構成のテニオハの置き方、区切り方などの文法論議を超えた文章世界をみせてくれるのだ。あたかも文章の寄せては返す波の紋跡のような、あるいは砂丘の風紋のようなもの・・・あるいは、音楽における音階のロンドのような・・・文章の示す絵姿、声紋のごとき波跡で紡がれていく風景と心象である。

・この作品には、しかも実験小説めいた作為は感じ取れず、自然児の踊りの仕草のような、あるいはピアニストが練習曲を弾く指の動きのごとき文章の綾が示されるのみなのだが、そのソフトなタッチが読者をモーツアルトの楽曲を聴くがごとく酔わせるのである。下手な解説、説明よりも、実際の文章を引用すると分かりが速いかもしれない。(続く)

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「文芸ほべつ」15号(北海道穂別町)  問題提起の溝田實「だれだ、聖域を荒らすのは」浅野晃にまつわる議論が呼ぶ波紋

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年10月27日(金)05時18分58秒
返信・引用 編集済
  ・苫小牧市の隣町で人口数千人の穂別町に年一回発刊している町民有志によろ文芸誌で、小さな町に文芸の灯を絶やすまいとしている関係者の想いがつまった同人誌。執筆者を観ると、外部の人間ながら、かつて何らかの形で町に関係していた者も多い。文芸に関係する者が少ない町ゆえ、これも当然のことだろう。短歌、俳句、随想のほか文芸活動者の追悼の文などを収めているなか、注目した異色の作品があったので紹介したい。

・溝田實「だれだ、聖域を荒らすのは」は、問題のエッセイ。筆者溝田は、苫小牧市在住詩人の入谷寿一が穂別町ゆかりの詩人にして歌人、文芸評論家として戦後レッドパージに遭い苫小牧に隠棲していた有名人浅野晃について書いた文章に抗議しているのである。抗議する入谷の文章とはどのようなものなのか。溝田は巻頭にその文章を掲げる。

「浅野は転向以後の皇国史観に基つく国体護持の思想を豪も変える意志はない。かえって、共産主義とその党のために死を賭して貫いた千代子(筆者注ー浅野晃の妻)の固い思想までも、自分の超保守思想の下に脚色している。詩は人間の魂の最も純粋な叫びである。思想詩人、鎮魂の詩人と評される浅野であるならば、何よりも千代子自身の思想、生き方を尊重すべきでなかったか」

・この文章は、入谷が「文芸ほべつ」14号に書いたもので、溝田は次のように反論を書く。

「彼(入谷)は、詩人以前の問題としての、人間浅野晃さえ理解していないし、あまりにも一面的な見方に於いての言い様である。特に許せないのは、今は亡き浅野先生を誹謗中傷するとは、死者に鞭打つが如き人倫に悖る言動であろう。」

・この溝田の言い分は、7割方感情論であるが、良い悪いではなく、反論するにしても冷静な論理がないと、感情論で始まり、好き嫌いで論旨が終結することになる。心すべき例証である。もっとも、入谷の浅野晃論も今いち深掘りしていなかったが・・・。

  ・論理にて始まり論理に結びゆくものでありたし感情抑へて    石塚 邦男


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やらず、ぶったくりの巫女妖婦・・ 小池百合子は、どう責任をとるのか・・騙された前原民進党代表の責任も重い

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年10月25日(水)08時50分25秒
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  ・小池百合子の神通力の風頼みで「希望の党」に集まった新人たち・・。
供託金、比例名簿登載料、その他合計一千万円を自己負担したのに、
選挙応援にも来てもらえず、孤独な戦いを強いられた「希望の党」立候補者。

・小池百合子の不用意な排除発言で地獄の戦いを強いられた立候補者。
前原民進党代表の責任も大きい。「まかせてほしい」と胸を叩いた浅はかさ。

・有能な新人候補者を討ち死にさせた責任は取らねばならないだろう。
野党を分裂させ、立候補者の応援にも顔を出せなかった小池百合子のぶざまな行動。
許せない。恨み骨髄に達している落選者だろう。

・だが、忘れてはならないのは、小池百合子という稀代の詐欺師まがいの女が出てこなければ、安倍晋三自民党の堅い牙城を崩せないという実情も忘れてはなるまい。とにかく、小池百合子という巫女まがいの女傑めいた妖婦は、安倍晋三の牙城にもう一歩まで迫ったのである。この壮図を試みた神がかり巫女であったことは間違いない。土壇場で自らの失言で墓穴を掘ったとはいえ、死に体になり果てたわけではない。誰もがなし得なかったことを神がかりの神通力でやり遂げようとしたのだ。ここは評価していい。

・髭の宰相若狭も、小池神通力が消えた途端、あえなく討ち死に・・だが、死に体からヴァンパイアのように蘇る機会もわずかに残っているとしたら、稀代の巫女妖婦小池百合子の神通力が先祖返りすれば、息を吹き返す機会もあるだろう。

・まだ、最終の幕は下りてはいない。第二幕はこれからだ。

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「中部ペン」24号(名古屋市)2 軽妙な朝岡明美「ジャンプ」  人生の悲哀を描く山口馨「砂の本ー駑馬」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年10月25日(水)07時30分31秒
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  ・朝岡朋美「ジャンプ」は、夫は定年退職後、嘱託期間も終えて、終日家に居てぶらぶらしている。妻は「私には定年がない。還暦を機会に好きなように生きることにしたの」と宣言した。そして、あなたの鼾から解放されたいの、と言って別室で寝ることになった。妻は、食堂の忙しい時間帯ランチタイム時のアルバイトに出ている。夫はしたことのない家事も少しずつするように教育されている最中だ。ある日、妻は、アメリカに渡り英語を勉強するためシアトルでホームステイすることにした、と突然言い出す。夫は仕方ないので、お前の好きなようにするさ、と応えたのだが・・・という話は、定年を迎えた亭主には身につまされる話かもしれない。

・良くある話で、下手に書くと平凡で通俗的なものになりがちなところだ。一読、さらりと軽く書いているようだが、人物の細部は個性的に書けているので、いつしか読ませられる。うらぶれた定年退職の男同士が、互いの実情を自嘲しながら語り合場面は男性心理が書けていて秀逸である。なかなかの作者だ。世界的な壮大な問題意識を持つ登場人物を造形せずとも、平和日本の片隅の小さな一齣を見事に描くのも、これまた文学である。文学作品の評価は、数学の答えのように一つではない多様なものであることを再認識したい。

・山口馨「砂の本ー駑馬」は、中部ペンクラブ文学賞受賞作品。主人公が一年前、数カ月住んでいたアパートの解体工事が始まった。定年になって意に沿わぬ再雇用の仕事をするならしろという会社の意向。副題に「駑馬」とある。この意味は、歩くのが遅い馬のことで、鈍い人間を言う意味にも使われる。ビル管理、清掃の仕事をすることになったが・・という話。定年を迎えた男の悲哀を描いたものとして、さして珍しくない内容ながら、人生の終着駅を迎えようとする働き詰めの男たちの悲哀を浮き彫りにした筆筋が印象に残る。

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「新現実」第八次56号(東京都)その1 問題提起の茨田晁夫「官能小説装置」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年10月25日(水)06時17分13秒
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  ・茨田晁夫「官能小説装置」は、ロマンポルノ出版社の社長と社員が、営業振興のために次の企画を討論するなかで、純文学作家の大家でさえ、有名な作品に官能小説まがいの描写を堂々と描いていることを語り合う・・・という内容で、川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎作品の描写例を、これでもかというように引用しているところが面白かった。これを読んだ同人雑誌作家たちは、大いに勇気付けられることだろう。例を挙げる。

・そして登はおどろきを以て眺めた。彼の腹の深い毛をつんざいて誇らしげに聳え立つつややかな仏塔を--三島由紀夫「午後の曳航」

・「譲治さん、あなたは好い児ね、ひとつ接吻してあげるわ」と、彼女はからかい半分によくそんなことを云ったものです。からかわれるとしっていながら、唇を向けて来るので私もそれを吸うようにすると、アワヤと云う時その唇は逃げてしまって、はッと二三寸離れた所から私の口へ息を吹っかけ、「これが友達の接吻よ」と、そう云って彼女はニヤリと笑いますーー谷崎潤一郎「痴人の愛」

・もう三時間も前のこと、島村は退屈まぎれに左手の人差し指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどころなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたがーー川端康成「雪国」

こう読むと、戦後巷にあふれていた「かすとり小説」のようなのだが、こんな描写だけで成り立っていないところが、純文学作家の大家の作品である。同人雑誌作家がこのような場面を描くと、批評家からも読者からも顰蹙を買うことになるので、要注意である。

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小選挙区制度の問題・・つまり、うんと勝つか、うんと負けるかのどちらかの丁半選挙制度

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年10月24日(火)04時04分35秒
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  ・三割の票で六割勝った自民党。

六割の票を取りながら、三割しか議席が取れなかった野党・・・。

これが現在の小選挙区制度なんです。

つまり、大勝ちするか、大負けするかのどちらかの丁半選挙制度が

現在の小選挙区制度なんですね。

野党が一本化していたら、楽に三百議席をものにできていたはず。

野党は選挙で勝って議席で負けたのが、今回の野党分裂選挙の実情なんですね。

それゆえ、安倍晋三自民党総裁・総理は、勝利に酔えず笑えなかったということでしょう。

野党は共闘の仕組みをきちんとすれば、今回は逆転楽勝だったはずですね。

小池百合子の希望の党の企みがなければ、

民進・共産の共闘で、軽く200議席は取れていたはず。

あるいはまた、小池百合子の希望の党が民進左派を差別せず、民進の全員を受け入れていたら、

この場合も、逆転勝利の展望も開けていたかも。

「一寸先は闇・・・」というのが政界の常識で、怖いところですね。

次回には、この轍は踏みたくないと、野党は歯ぎしりしているでしょうね。


     選挙結果

自民党    284(284)

立憲民主    55(15)

希望の党    50(57)

公明党     29(34)

共産党     12(21)

維新の党    11(14)

社民党      2(2)

無所属     22

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口は災いの元・・小池百合子の奢った発言から、有権者はそっぽを向いた

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年10月23日(月)23時55分46秒
返信・引用
  ・一時は120ー130は取りそうな勢いだった希望の党も
小池百合子の奢った差別発言で、有権者はそっぽをむいてしまった。

・半面、差別された民進党の残党が急きょ「駆け込み寺」として結成した
枝野新党「立憲民主党」の15人は、有権者の同情を集めて、55人に膨れ上がる大勝。

・<口は災いの元>の諺は生きていたことになった。

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春秋左氏伝・・・成公十八年

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2017年10月23日(月)23時34分39秒
返信・引用 編集済
      周氏に兄有れど

    兄に慧無し

    叔(豆)と麦(ばく)とを

    弁ずる能はず、と    (春秋左氏伝)


    意訳ー周氏に一人の兄が居たが

       この兄は利口な周氏と違って

       賢くないので

       豆と麦の違いについてすら

       説明することができないほど暗愚であった。

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