ぼぉ~っとしてます^^。



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


509件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[509] 買取

投稿者: わし 投稿日:2017年 6月23日(金)08時11分43秒 M014008040000.v4.enabler.ne.jp  通報   返信・引用

 買う時に大変な思いをした品物。売る時は二束三文にしか成りゃしないのが現実。思い出はかけがえのない記憶。その時間を切り取る為に大枚をはたいて購入したカメラやビデオ。長い間使えた物も有れば短期間で役目を終えた物も有った。初代が古く成ったので新しい物を購入しようと思ったけれど。もう撮る機会が激減するのが分かっていた。その時に思ったのが「この時は二度と取り戻す事は出来ないのだから買ってしまおう。」だった。案の定何度活躍出来ただろうか。時代はデジタル化してしまうので、フィルムの一眼レフカメラは消滅して行った。置いておくのも邪魔に成ってしまうし忍びない思いを引きずりながらも、誰か趣味の有る方に大事にしてもらう事をカメラも望んでいるだろうと出す事にした。20万近い出費だったけれど運動会や発表会に10回は出無かったなぁ。記憶してるのは3回だけだな。




[508] 明日出ないだろうか・・・

投稿者: わし 投稿日:2017年 6月19日(月)18時44分23秒 M014008040000.v4.enabler.ne.jp  通報   返信・引用

 今日届いたスチール製の棚をクローゼットの中で組み立てた。不自然な姿勢を我慢しないと出来なかったので腰や肩に負担を覚えた。ジジイに成ってるから今夜は大丈夫でも明日の夕方とか変に痛む様な事には成らないだろうかと心配に成る。壁沿いはそのままでも開いてる方は置いた物が落ちないように板をはめ込んだ。スチールポールが有ったのでフックをかけて小さめのバッグをかけられるようにしたり。まぁ細々した細工をして完成させた。それにしても邪魔なのはランニングマシーンだ。出せば金を取られて処分するようだし。メルカリとかで20円位で売っちまえば良いのにと思ったりする。他人の物だと何でも言えるwww。



[507] う~む!って事は・・・

投稿者: わし 投稿日:2017年 6月19日(月)07時00分53秒 M014008040000.v4.enabler.ne.jp  通報   返信・引用

 パジェロからCLKに乗り換えた時のケンともめた愚痴を聞いてもらってた時に、会話の合いの手で「ただ出しちゃうなら5万でも10万でも買ってやったのに。」と言われて、別に金額はどうでもよく気持ちの問題なんだから「そうだよなぁ。」で流しても良さそうなのに、つい「いやいや店頭では150万円位で売ってて80万円で下取ってもらえる車だからモメちゃったんだよ。」と詳しい説明をしちまった。
 プロが使うような一眼レフカメラだって凄いのを買ったのが早かったよなぁ。釣り竿やリール・自分の部屋・自転車・ステレオ・バイク・カメラ・スキー・ゴルフ・高いギター・クルマ・彼女・・・・・ETC。とにかくオレが持って無い物やオレが欲しくなる物は全部持ってたよなぁ。自由に行動出来る事だけだったろうかオレがミツルより恵まれていた事は。
 ミツルが「アレッ?」と思い出した時期は「チエが高校を卒業するからハワイ旅行をしよう。」って頃だったろう。オレはミツルが調子悪くても景気のせいだから浮き沈みは有るだろうし、オレの自分が始めた大借金を抱える小さな店を持った経済力と3代目で有る塗装会社の跡取りじゃ実入りが違うからいずれは元通りに成るもの思って居た。あそこからは「転落」って言葉が当てはまるかのように戻れなくなったと思う。
 「無理だったのかもしれないなぁ」実力者の親父と会社を背負ってたわけで、プライドと世間体が有っただろうなぁ。ハルちゃんだって仕事に出さなかったし、なにより仕事を選んでいる事を知った時も「ん~。」と思った。「そんな仕事をオレにさせる気か?」って行動に違和感を持った。「ミツルさんはオボッチャンだったから。」って言い分に「そうゆう事か」と思ったけれど、そうじゃ無くて「ワタナベさんちの嫁が仕事に出なきゃならないの?」とか「あんな安い仕事までしなきゃ成らない程に経営が大変なの?」とか思われる事を避けたんだろうなぁ。その葛藤やストレスを誤魔化す為に祭り事やバレー・カーリング・ミニバスなどで発散させてたんだろうな。オレの「起こって来た問題にはその時の判断で対処し甲斐性させないといけない」ってスタンスには否定的だった。「なるべく耐えたり凌いだりして経過を見守る」ってポリシーだったな。オレのやり方は波風を立てて後遺症を残す方法だった。ミツルの場合は少しでも穏やかにやり過ごして基本は仲良さそうにやって行く方法だった。この考え方の違いは環境の違いが大きいな。狭く限定された付き合いの濃い地域性と、広範囲で付き合いの浅い地域性では対処の仕方は違って当然だろう。
 だからこそやれば効果的だったか逆に破綻して行く道だったかは結果論に成るのだろう。ただオレが言いたいのは「人生を全力で必死に生きる」ってカテゴリーから言うとミツルの行動は「不本意な気がしないだろうか?」と思ってしまう。上手く行かなかった場合には振り返った時に「ずっと我慢したんだから仕方ないじゃ無いか!」と自分を言い聞かせるしか無いだろう。オレの場合が上手く行かなかった時にやっぱり「仕方ないじゃ無いか。やれるだけの事はやったんだから。」と納得させるわけだけど。この「やれる事はやった!」と「我慢した!」でやり直せない人生に折り合いをつけるのが悔しくないだろうか?って所が違うんだヨなぁ。



[506] 今更だけど・・・・

投稿者: わし 投稿日:2017年 6月16日(金)22時36分35秒 M014008040000.v4.enabler.ne.jp  通報   返信・引用

 オレのミツルの評価は普遍的で中学生の頃の印象のまま今に至っている。彼は常にオレの先に居てオレがミツルに追いつけばオレの望む事なんて叶えられると思って来た。客観的に見る事は一度も無かったなぁ。少し「あれ?」と気にかかった発言を聞いた事が有ったのを記憶してる。「親父が金が無くてマサオに借りてんだよ。ヤツは相当貯め込んでるからさぁ。」てのと。「フミオは子供に金がかからなく成って長いからかなり金を持ってるよ。今度ちょっと困った時には貸せよと言ったら「イイヨ」と言ったぞ。」てのかな。まだ有ったきもするけれど今思い浮かぶのはこの時だな。
 給料不払いが続き結果として強制的に債権放棄させられてる息子に金を借りるのかい?って不思議と。その行為を肯定してしまう弟と、それに対して社長解任や独立をしないで「弟は金を持ってるから・・・」と視点が違う方向から傍観してるミツルの行動は気に成った。
 「フミオが相当持ってるみたいだ。」って言ったけど、ミツルにはどれ位が相当って言う額なんだろうと思った。フミオんとこは子供の養育費がどれだけかかってたんだろう?アパートだって建て替えて無いよなぁ。建て替え無かったから建築費用を貯めて有るって事なら「相当持ってるな。」とオレも思うけど。2~3千万持ってたとしてもそれって安心できる金額じゃ無いように思ってるオレが大それた考え方なんだろうか?
 もしかするとミツルの世間の評価は違っていたかもしれないなぁ。実家を出て「義母を1人にしておけないから。」って大義は成立するにしても、2軒の家のどちらも建て替える事が無かった。貧乏だと自覚してたオレやシオダもオダギリも果てはコウジだって家を建てた。家を建てれば良いわけじゃ無いけれど。ヒガミ根性で見てた者は「家1軒も建てられなかった男」と見る者だって居たかもしれない。



[505] 所得には左右されなかった

投稿者: わし 投稿日:2017年 6月16日(金)07時20分29秒 M014008040000.v4.enabler.ne.jp  通報   返信・引用

 4畳半のオンボロアパートの家賃が1万5千円~2万円の時代に最低賃金法が施行されて税引き後6万3千円だった。光熱費や健康保険と年金を引けば3万円程の生活費で一月を過ごす。銭湯が140円、山手線の1駅料金が60円、宝くじの一等が2千万円・・・そんな時代だった。食べ盛りの若者は給料日前の10日位で銭湯に行けない位に貧乏だった。
 結婚すると1日千円と弁当の暮らしだった。缶コーヒー2本とタバコで300円を使って残りを貯めて小遣いとしていた。賭けポーカーやスピードで嫁を負かして小遣いを増やしてる自分に自己嫌悪したのは忘れられない。店を開けるとそこそこに繁盛した。それでも経験した事の無い大借金が有頂天に成る事を戒めていた。普段の暮らし振りは開店前と変わる事は無かった。売り上げに陰りが出て来る頃に社員がサラリーマンに転職して円満退社して行った。もう一段売り上げダウンする頃に学費と返済から解放された。
 所得は最高時でも1千万円には少し届かなかった。普段の暮らし以外の金額は全てが返済や養育費などで構成されていて、年収200万円の時とそれ程変わらない価値観で今に至っている。25才の時に「うあっ、高っけ~!」と思う物は変わらない。でもそれで良かったんだろう。
 子供達にこの「自分の能力に対して正確な価値観」を身に着けて欲しかった。その願いは上手い具合に機能したように思える。子供2人を前にして「ヴィトンのバッグは贅沢だと思う。」って意見に「それは違う」って説明をした。その時は2人共「お父さんの言ってる事は難しくれ分からない。」と言っていたけれど。海外旅行やDLのパスポートを持ってしょっちゅう出かけていたし、オレ達夫婦が驚くほどに貯金してたりする。彼女達なりに収支をコントロール出来るように成っていたんだと思った。
 



[504] up & down

投稿者: わし 投稿日:2017年 6月15日(木)22時39分10秒 M014008040000.v4.enabler.ne.jp  通報   返信・引用

The life might be repeated up and down?
オレの人生60年をグラフにしたらどんな曲線を描くだろうか。60才に成るオレの価値観で親の若い時の人生まで評価する事に成るのは失礼にも思えるが・・・・。高校2年生で親父を失うまでの暮らし向きは貧しさが身に染みる事は無かったが決して豊かでは無かった。住む家は築60年程だったと思う。立派な農家の家とは違い単に古い民家だったし、冬の夜なんて外気温と室内温の差がほとんど無いような家だった。多分平均的な家庭より少し下のレベルだったような気がするので40点かな。
 そして高校卒業して紆余曲折を繰り返し結婚して6畳間と4畳半のキッチンにバス・トイレ付きの古いアパートからオレの本当の意味の人生がスタートした。それでもエアコンを付けて電話もビデオも有る暮らしはそこそこ満足してたので50点かな。
 転勤を機に嫁の実家に転がり込んで長女が生まれた。親が旅費を出してくれてチェイサーで行く温泉旅行に幸福を感じた。水上・草津・箱根・那須など「オレが自家用車で家族をホテルに連れて行けるなんて。」みたいな満足感を味わえた。新婚旅行でしか海外旅行なんて出来ないと思っていたのに、ミツルの家族とサイパンに行けた時は涙が出る程嬉しかった。まるで成功者に成れたかの様な満足感が有った。この頃は莫大な借金がプレッシャーだったけれど、毎月の返済だけしか気にしないようにしたら乗り越えられたし60点位。
 子供達が高校から専門学校や短大に進み卒業するまでは返済に学費も加わり大変だったし夫婦も少し荒れてたから40点。
 子供達が就職しローンが終了したけど親の介護生活がスタートしたので差し引きすると40点のまま。
 親が特養に入り娘2人が出て行き生活費はかからないけれど、淋しい感じで50点か。



[503] 急増中

投稿者: わし 投稿日:2017年 6月14日(水)08時10分59秒 M014008040000.v4.enabler.ne.jp  通報   返信・引用

 ミツルの病気は患者数が急増中にようだ。NHKが特集を組んで放送していたけれど・・・。アスベストが使われていた真っ最中に少年時代を生きたオレ達世代はストライクゾーンの中心って事だ。発症までに数十年を要する病・・・・・ややこしい。
 まぁ人は生まれた時点で死に向かってまっしぐらに生きて行くわけで、長く生きりゃ良いわけでも無いしどう生きたかを本人が納得出来れば正解だろうと思う。幼子を残して行く未練ほど悔しく恨めしい事は無いと思うけれど、我儘な親の離婚以外で「親の居ない環境」を子供に与える事が子の育成に貢献する場合だって有る事を信じても良いと思う。
 オレとしての未練はミツルとのラスベガスとカリブ海への旅行達成が出来無かった事だけ。でもこれは欲張りな発想から始まった計画で、元々はミツルの家族とハワイ旅行する事だった。最初は完全に無理って事でうちの4人で行く予定だったけれど「来年なら行ける」って事でとりやめにして上越国際に一緒に行った。そして次の年は「子供が小さ過ぎるからハワイは遠すぎる。」って意見でサイパン旅行に成った。それじゃその2年後にハワイに行こうと予定したけれど、チエがミニバスを始めてスケジュールが組めなく成った。「試合に負ければ行ける」とか「結果としちゃ行けた」とか・・・温泉旅行じゃ無いから諦めた。それがちょっとしたいきさつで行けたわけで、オレはクヒオ通りの交差点でミツルと信号待ちをしてる光景にデジャブを感じる位に夢見たハワイ旅行を体現出来たんだっけ。



[502] なんだかねぇ

投稿者: わし 投稿日:2017年 6月13日(火)22時27分28秒 M014008040000.v4.enabler.ne.jp  通報   返信・引用

 変な人は来なくて良い。昔の様に変だろうがヘチマだろうが売り上げを上げなきゃ成らなかった時期は、誰でも良いから来て欲しかった。義務が終わり老いが進み必要とする経費が少なく成った。若い娘さんは来なくなったけれど丁度良い。若い人に話を合わせるのはストレスだし相手だって楽しく無いはず。性格と言うか性根の曲がったり腐ってる者も来なくて良い。角を立てずに来なく出来る方法を模索してる時も有った。あと半月で還暦だ。願わくば娘達に幸せな人生を与え給えと祈る。

 ヒロミと共に生きた40年間。ヒロミを知る前の20年が長かったと思って居る内に、その倍の期間を一緒に過ごした。それこそ四六時中って言葉通りに今まで別々に過ごした時間ってどれだけ有るだろうか。年に3日有ったら多い方だ。40年とは14600日間だ。その内の120日位しか会わない日が無かったって事だ。オレにとってのヒロミは付き合ってから子供が出来るまでの7年は彼女だった。それから嫁・社員・娘の母の3役が30年位続いた。58才にしてやっとオレの妻・社員だけに成った。



[501] 難しい

投稿者: わし 投稿日:2017年 6月12日(月)22時31分8秒 M014008040000.v4.enabler.ne.jp  通報   返信・引用

 ゲンちゃんも色んな連中に「結婚しないのか?」と聞かれてるのだろう。辟易してる様子で「ノーコメントっす!」って答えだった。とにかく結婚したくない・結婚しない・出来ない・そんな連中が大勢居る。30才を過ぎて来ると、結婚への憧れよりも厳しい現実を沢山知ってしまうだろう。結婚したら小遣いは減るし自分の自由な時間が消える事も分かってしまう。増してや年々その結婚後に起きて来る煩わしい事態に対応する気力は薄れて行く。何が起きても自己責任。人生は一度だけ。親のエゴから結婚して欲しく思うが、子の人生までも自分の思い通りにしようとは思わない。古きヨーロッパの常識としては末娘は老いた自分の世話をさせる為に産んでいたらしい(シンデレラのように)。イスラムの教えでは親の言い成りに成らない娘は死刑にさせても構わないらしい。オレは過去の戦争後はアメリカに占領された事に感謝している。中国やロシアで無くて良かった。



[500] 色んな状況

投稿者: わし 投稿日:2017年 6月12日(月)12時49分6秒 M014008040000.v4.enabler.ne.jp  通報   返信・引用

 ミツルの「ユウコに会いたいんだよなぁ。」ってのが病の前で良かった。連絡して迷惑そうな扱いをされて良かった。ミツルの事だから弱った自分を見せたく無いだろうし、思ったとしても会いたいなんて言わなかったろうなぁ。オレは死ぬ前に会いたい人なんて居ないなぁ。居なくて良かったと思って居る。もしもヨメと一緒に成らなかったとしても死ぬ前に会いたい相手じゃ無かった気がする。オレの人生って如何なって居ようが「ちくしょう!」と思いながらも後悔はしないでいる気がする。後悔よりも諦めだろうと思う。「チクショウ」と「仕方ない。」だけで生きて来たんだろうなぁ。

岐阜行きの話が無かったりカミハラみたいに断っていたら、誰を選んで結婚出来たとしてもたとえヒロミと結婚していても未練を残した人生を生きてた気がする。


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