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道徳の価値観

 投稿者:片山正昭  投稿日:2018年 2月18日(日)06時45分14秒 softbank219183134106.bbtec.net
返信・引用 編集済
   道徳は古臭いとか、法に触れなければ正しい行いだという風潮が目に付く。これは幼児からの教育の質の問題である。大学が行う教育者の養成にも問題があるのかも知れない。
 良質な社会とは、居住する人々が平和に充実した人生を全う出来るかどうかである。未開発な社会でも、その社会が裕福であり、長い人生を全う出来る社会なら、それもまた良質な社会である。しかし、今は、世界が相互に接触し、影響し合う時代になったため、あらゆる社会が干渉し合い、良い物も悪いものも受け入れざるを得なくなった。この状況は、幕末の時代に、主に白人社会が一挙に膨張し、世界を蹂躙し始めた頃から加速した。
 それらの社会のミックス状態は、現代でも益々大きくなっている。だが決して忘れてはならないのは、どんな社会でも、それぞれの社会の価値観は同じにはならず、その価値観は道徳によって守られているということだ。国家の道徳は、憲法や法律の決め事の更に上位にある社会維持の規範である。この認識を持たず、むしろ道徳は軽視する人もいる。国際的に民族が交流すると、道徳の秩序は破壊される。

 日本の道徳の殆どは、誰かが作り出したものではない。日本国家二千年の歴史の中に、延々と社会を維持する方策として醸成されてきたものだ。世界的に優れた道徳だ。卑近な例をみれば分ると思う。例えば、人込みや電車の中で、異臭を放つ食事をした口臭では電車に乗れないという法律はない。だが、人には迷惑はかけてはいけないという道徳がある。それをお互いに守るから住みよい社会になるのだ。それは自分勝手だという社会は、近隣の社会にあるかも知れないが、そこが既に社会の大きな違いとなる。同類のことでは、身なり服装、挙動でも、基本は他人に嫌な思いをさせない思いやりの道徳があるのだ。だから、道徳は普遍的に、法の上位にある。

 人が協同の生活をする場合には、どうしても利害がありトラブルが起きる。それを緩和するために、種々の道徳がある。朝起きて食事をして出かける。その節々全てに挨拶がある。どんな些細なことでも、全て人の恩恵のなかに自分があるという基本的なお礼の気持ちなのだ。
 外国の道徳から見れば、日本の人々は丁重、控え目、遠慮などの表現で評価される。若い世代には、それを嫌がる者もいる。故意に道徳に反した振る舞いをしている。だが、日本社会はあくまでも他国にはない伝統の社会だ。それは、何時の時代でも地味なようで新鮮で生き生きしているものだ。多くの国家に災害や危機が起これば、改めてそれが分かる。日本が危機に瀕した時、その整然とした振る舞いの違いに驚いた報道もあったが、日本では特に変わったことではない。
 日本の国家が危機に瀕すれば、国家社会の為に国民の犠牲的精神が発揮される。精神的に強い国家なのだ。米国は、これを極度に恐れた。そして、かの憲法を日本に施した。だが日本の道徳を縛り、変えることは出来ないのである。
 

少子化対策

 投稿者:片山正昭  投稿日:2018年 2月17日(土)06時54分59秒 softbank219183134106.bbtec.net
返信・引用 編集済
   私は十年後の日本に責任持てる年齢ではないから、無責任な意見になるが、日本国の人口減の対策について言いたい。もう既に手遅れであることは誰でも知っている。政治家の経歴を持った人達の怠慢や無能さは明白である。それは今でもまだ評論家的で、今後どのような成り行きを想定し、何を改善してどうなるかを示していない。まるで他人事だ。結果が悪ければ責任は大きい。

 近世の歴史を振り返れば、日本国が世界の先進国になりたいと思った時代は、国力として人口増が必要となり、その対策を行った。国内の経済の活性化が得られず、海外へ進出した時期もある。戦中は、産めよ増やせよと言って国民に奨励した。団塊の世代より前の我々の世代は、周りを見ても兄弟が五人以上は多く見かける。裕福ではなかった当時で、如何に国家意識を受け入れたか、今の世代は想像も出来ないだろう。個人より社会を大事にする観念が違っていた。今は裕福であり、また社会との距離を持つ個々の利己主義が普遍的になってしまった。先の厳しい問題が分かっていながら、誰も協力をしない時代となった。

 精神的な理解で改善出来ないなら、この政策は損得で行うしかないということになる。いずれ己の身にかかる損得だから、今の政策として思い切った政策にすればよい。例えば、二人以上の子供を持つ母親には、働かずとも生活出来る収入を与えるのはどうだろう。母親に負担がかかるのは明白だ。特に三人目以上の子供は全て大学まで無料であり、少々の学資の小使銭も与えられる。勿論財政は逼迫する。しかし、考えればその逼迫はいずれやってくるものだ。だから、その負担は独身の働き手から更に多く徴収する。恐らく結果として、日本国民は、海外へ移民を考える者も増える。先進国で安楽で税が安くなる国は、これからは存在出来ない。だが、世界はまだまだ未開発国は多いから、そこが多くの移民を受け入れる。その生活が基本的に良いかどうかは、好き好きになる。社会は乱れるだろう。だが、座して死すよりよいのではないか。
 他方では、技術の進歩は加速的に発達するから、ロボット産業により、単純作業は代替出来る。しかし、その根本は、日本に産業の基盤がなければ、そのコストは改革出来ず発展も遅れる。国内産業の発展には、産業に例外なく、厳しい総合的な経済政策の如何が問われるのである。ここが考えどころだ。一世代約三十年として、五十年辛抱して地道に政治を行えば、日本の行く末は何とかなるのではないか。
 

敗戦の痛手

 投稿者:片山正昭  投稿日:2018年 2月15日(木)07時01分2秒 softbank219183134106.bbtec.net
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   国家が行う戦争は、その国家の命運を決める。国家が滅びるということは、その国家の民族が必ずしも消滅することではない。新たな別の民族の支配が始まることだ。文化の価値観の異なる民族の支配に屈することだから、それまでの国家が消滅することになり、支配される実態が残る。

 現在の中国は、漢民族の支配する国家で、歴史は七十年である。国家内に存在する多くの他民族は、支配下、占領下にあるから自主的参政はない。朝鮮半島も歴史的に民族の一体化が全国民に及ぶことがなく、中国の民族に支配される歴史だ。日本はその意味では、全人民の一体的国家としての歴史が長い。世界一と言っていい。

 日本国が海外と行った戦争は過去に何度かある。それらの戦争は、国家としての対外に対する思惑がある。だが結果として負ければ国家の存在はなくなる。先の大戦で日本は敗れたから、国家としては支配下におかれた。勝てなかったが悪いことをした訳ではなく、日本国家の思惑にある平和が実現し得なかったのだ。だが戦争は結果的には、アジア諸国の欧米支配の植民地を排除し、白人優位の人種差別を改め、独立国を続々と誕生させた。

 一つの国家は、世界の多くの国家の中にあり、その国家間の平和を求める。平和は、手段ではなく結果の現象である。だから、平和と言っても、その平和の色は、赤や青や黒の平和があり多種多様だ。平和の状態は、その国家群のあり方によって決まる。人々の社会が、その中の人々の構成や思惑によって治まるのと同じだ。それを構成する人々は大人もあれば子供もいる。学校の先生もいれば、暴力団もいる。だが、少なくともその社会を先導するのは、一人前に知識や支配力を持つ数少ない大人であり、その人々が決めるルールだ。

 先の大戦でも、日本国家は、当時の植民地支配の時代の中で、大東亜共栄圏を目指した平和だった。解放を目指す主導権争いだった。民族を滅ぼす戦いではない。だから他民族の絶滅を意図したドイツの戦争とは明確に異なる。その基本的歴史観を間違ってはいけない。国家が戦争に負ければ、悲哀は残り、損失は膨大だが、それが平和を求める代償なのだ。先の大戦の悲哀感を憲法に持ち込むなどは、愚の骨頂と言わざるを得ない。

 平和は戦争をしないことだ。世界の多くの国家が戦争をしなければよいのだが、戦争をしないのは、喧嘩をしないのと同じで、その理由は千差万別で、人は闘争本能を持つから、争いを取り除くことは不可能だ。争いをしない多くの場合は、負けるから出来ないという理由が多い。国家間の戦争問題も同じだ。日本が、世界に向け、世界にとって最も優れた普遍的価値観を先導したいと思うなら、早く今の間違った平和理念の憲法を廃止し、日本が一人前の大人になることだ。間違っても従属的な国家になってはならない。扶養される子供のままでは何も始まらない。過去を嘆くのではなく、誰にも劣らない伝統的日本の素養をしっかり磨くことだ。
 

国間の嘘と恥の認識差

 投稿者:片山正昭  投稿日:2018年 2月13日(火)07時22分8秒 softbank219183134106.bbtec.net
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   韓国人や中国人の挙動をみるに、日本人と何かが違う。歴然としているのは、嘘と恥の認識の差である。日本では、嘘つきは泥棒の始まりであり、社会道徳をわきまえず他人より劣るのは恥である。
 日本では、嘘により利益を得ても誰も称賛せず、恥ずべき行いになる。幾ら大金持ちになっても、或いは出世しても、その手段が悪いと、その人の人格は卑下される。物事は結果ではなく、その過程が公正でなければならない。これは、韓国人には全くと言っていいほど異なる価値観である。更に、そこに不適正があることに、日本人であれば強い恥辱をもつ。この恥辱意識が、中国や韓国には希薄なようだ。希薄と言うよりないと言った方が正しいのかも知れない。だから、歴史認識ひとつ取り上げても、事実の検証はどうでもよく、自分でつくる嘘の方弁や、手前勝手な作り話が横行する。その認識に明らかに矛盾があっても、何ほどのこともなく、勿論恥ずかしい思いもないようだ。嘘も方便だらけという社会は、ほんとうに嫌な社会だと思う。そもそも、他人に迷惑かけるという認識より、自分が得をするという感覚の方が強いのだろう。自分が犠牲を払っても、他人に尽くすということが美徳にならないのではないか。儒教の先憂後楽の思想もない。

 この違いは幾ら双方の交わりが増えても、恐らく百年を経ても同じにはならない。日本の二千年以上に及ぶ道徳は、その中に一時代は武士道があった。今、武士はいない時代だが、その精神の一部はまだ生きている。中国も韓国も、国家の歴史は民族の闘争だから、建国は別の国家となり、そのような道徳は民族間では伝わらない。歴史認識は、その当時の世情や価値観を基礎にするという初歩的道理が理解出来るはずもなく、今に都合がよいかどうかの現世代感覚だけの、いわゆるいいとこ取りに過ぎない。多くの方々にはもう知られていると思うが、国家そのものの誕生や、その建国の動機や人物の素養など、嘘で固めることが普通に行われている。いわゆる妄想の起源による国家とも言える。詳しい専門家の著書を是非読んでもらいたい。

 日本の他国との違いは、その社会教育にある。子供は物心がつき始めると、すでに羞恥心を持っている。だから、三つ子の魂百までというように、幼少時期に人との接触を誤ると、生涯にわたりその人の人格に影響する。類は類をよぶ。最近の世代の幼児教育は知らないが、我々の世代では、両親による教育だけではなく、祖父母と共に生活し、近隣社会とも密着していたから、あらゆる角度から教育を受けた。親より接触時間の長い祖父母の影響が大きかった。また、童話では、社会道徳を教える話が用いられている。例えば、「花咲爺」「いなばの白兎」「兎と亀」「舌きり雀」「こぶとり爺」「蟻とキリギリス」など典型的な話で道徳を教える。特に嘘をつけば必ず罰が当たることを教える。因果応報の理である。

 朝鮮民族の厄介なところは、中華思想が厳然と生きていることだ。これは典型的な妄想だ。だから、末席の日本国という考えから脱却出来ず、日本国に劣るあらゆることが受け入れられない。日本が朝鮮と戦ったことはなく、植民地時代に高度な文化を与えた事実にもかかわらず、併合された事実だけが今でも受け入れられない。全く当時の実情から見れば他愛もない話だ。現在の国家行事でさえ事実に反し、また次世代の子供の教育は、共産圏の戦略と同じだが、真実より国策による事実に反する知識を臆面もなく児童に与える。
 中国も歴史をよく見れば分ることだが、実体は民族闘争だから歴史の連続性がない。中国国家の歴史観はお粗末で、政権ごとの認識や価値観が全く異なる国家、と言うより民族の支配組織なのだ。だから異なる民族は全て植民地支配になる。事実を検証する価値観は全くなく大事にする文化は勿論無いに等しい。

 日本国は、歴史的に中国とは対抗したが、朝鮮は中国やソ連に常に従属的だった。朝鮮の中国に対する誠実さと、日本への対応は異なる。日本に不幸が訪れると、それは優越感となる。日本の大災害に対応する動きひとつ見ても分かるだろう。嘘のような悪徳でも、日本に対しては羞恥心が起らない。明治時代の歴史によく似た事態がまた再来しようとしている。日本にとっては実に厄介な国なのだ。
 

嘘をつく習慣

 投稿者:片山正昭  投稿日:2018年 2月11日(日)06時10分0秒 softbank219183134106.bbtec.net
返信・引用 編集済
   高度な社会を維持するのに、最も大事な道徳は何かと言えば、それは嘘をつかないということである。博愛主義や人道主義のようなものもあるが、社会や国家を高度に維持する集団は、その基礎に、人々の道徳が嘘をつかないという信頼関係がない限り成り立たない。専制主義は、統治者の強力な支配によってのみ維持されるから、壊れやすく高度な社会には程遠い。

 日本国の先人は、それが歴史的に分かっているから、嘘をつかない道徳を幼児の頃から教育する。幼児に語る「花咲爺」などの童話はそのことを示している。嘘に対する嫌悪感があれば、社会の運営は穏やかになるのである。だから、日本の道徳は世界に誇れるものなのだ。
 しかし最近、正直者は馬鹿をみるという考えが広まっている。嘘も方便と言いながら、方便ではない悪意も横行する。これが、国によっては国際的な係争にまで及んでいる。嘘のない社会の基礎は偉大であり、事実と妄想の区別もはっきりしている。日本国の人々の信仰が偏らずに許容されるのは、宗教の事実と妄想を見極める人々の科学的能力が優れているからだ。すなわち、妄想や嘘が社会を滅ぼす要因にはなり難い社会になっているからだ。しかし、世界は、事実とは異なる悪意の歴史認識が横行し、その事実を追求する科学的思考をも軽視する。要は、全てが国家戦略優先であり、正義感は薄い。特に、接触の多い隣国の低い倫理観には注意を要する。

 これが国家間の問題になれば、極めて煩わしい問題になる。日本国民は事実を正しく認識し、証明が出来ない限り、それはあくまでも想像である。想像は想像の価値でしかない。それにも関わらず、想像を基にして作り出す方策や戦略は、事実に反するから日本では卑下される。嘘の社会を造り出すからだ。戦前の社会でも、為政者が不誠実だったのではない。当時のどこの国でもあったことだが、世論を統制するための事実隠しが行われた。情報を断つ戦略で、結果的には嘘と同じにはなるが、状況は少し異なる。そのような政策は、現在でも自由民主主義社会以外では行われている。

 国家の衰退が始まると、嘘は益々横行する。これが社会を洗脳し、破滅への道へ落ちてゆく。社会は、これらの嘘を恥じる心で踏み止まることが出来るかによって結果が異なる。嘘を恥じ嫌う人々の心が、社会にとって如何に偉大なものかが分かる。これが備わる国家は盤石なのだ。
 今の老人の世代は、子供の頃は三世代の所帯だったから、自然に老人世代の体験的教訓を受けている。だが今の世代は、子供は幼少時より施設で教育されるから、この時点で子供の生涯の倫理観が固まる。極めて重大な時代の変化だ。その体制に本当に憂いはないのだろうか。後に分ることだが、自分が後期高齢者になっても、未だに当時の指導者と付き合えるような価値は、本当に大事なのだ。そのようなものが社会の基礎にあるのだ。
 

憲法改正反対に疑問

 投稿者:片山正昭  投稿日:2018年 2月 9日(金)07時02分28秒 softbank219183134106.bbtec.net
返信・引用 編集済
   憲法改正に何故反対するのだろうか。これがなかなか分からない。国家の憲法としての体裁や素性が良くないことは既に述べた。これまで何度も触れたが、憲法の主旨に反することをやらなければ、国家の運営が出来なかったことは、誰でも承知の通りだ。それなのに、現憲法を宣伝文句のように平和憲法と言う。とても理解出来ない。

 幾つかその理由を考えてみる。平和憲法と言うからには、日本人は戦争好きだから、軍隊を持たせないことで戦えなくするというのだろう。このような理由は、大体隣国の意向が絡んでいる。ただ、隣国は、人権を考えない専制的階級主義の価値観を持つ国家だから、それを受け入れなければならない。子供の社会を連想すれば分り易いが、世の中のガキ大将は、弱くて取りえのない子には構わないが、物持ちの子には色々なイジメを行う。だから、日本国は目立たない子と同じようにならなければイジメを受けることになる。

 軍備を持ち世界に貢献するには、日本人は世界に出て犠牲を払わなければならない。人が死ぬ。それがイヤだから、出来るだけ関わり合いたくない。だから軍備を持ってはいけない。軍備がなければ、誰も協力しろとは言わない。そのような日本国でよいと思う。この考えも間違いだ。このような利己主義は成り立たない。現在、世界から受けている経済的利益を限りなく放棄して、生活水準を低レベル国家にすることが出来るのか。その覚悟はあるのか。

 軍事費の経費は極めて高価である。だから、軍事を止めれば社会保障を充実出来る。これに類する意見は、共産党員から聞く。これはもう利己主義そのもので長続きはしない。世界の先進国は、そのような国家を許さない。あたかも税金を払わない国民と同じようなものだ。安保ただ乗り論とも言われる。

 日本が米国の属国でいられる間は、今の憲法でも何とかなる。米軍に支払うコストは高価だが、人命は安全だ。しばらくこのままでいいじゃないかと言う。ところが、米国人の世論が、変わってきている。自分の事は自分でやれと言っている。これは大変なことだ。その問題の大きな変化すら、政治家でも分かっていないようだ。米国が持つ軍備の水準は一朝一夕には出来ないし、人命の価値に対する意識改革は大きい。

 私の世代の学生時代は左翼思想が強く、安保条約反対闘争で大荒れした。これは、学生の政治知識が未熟で、感情が先走りした状態だった。結果的には、左翼思想の持主は武力闘争に入り、日本国から飛び出す結果となった。左翼思想で成功する国家はない。今でも社会主義国家はあるが、共産主義はない。社会主義国家には、人権や言論の自由はない。現在それらの国家が、民主主義国家の弱点を突いて大きくなっている。憲法問題など、もうとっくに卒業していなければ、国を守ることは出来ないのではないか。
 どう考えても、憲法改正反対の理由が分からないが、他に何かもっと反対する理由があるのだろうか。老人世代は、地球の裏側まで行って戦争するのかと言うが、その地球の裏側から日本は多くの益を得ている。それが、次世代ではもっと緊密になってゆくのだ。時代というのはそういうものだ。

 

自民党憲法草案への意見

 投稿者:片山正昭  投稿日:2018年 2月 7日(水)05時24分41秒 softbank219183134106.bbtec.net
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   安倍総理が国会で憲法改正について述べた。第九条はそのままで、自衛隊を付加し明記すればよいという話だ。この発言は自民党の憲法草案とは違う。憲法改正の発議のためにやらざるをえない妥協だと思う。それも分からぬではないが、憲法は普通の議題ではないから、やはりすっきりした文章にすべきではないか。それに向けて、よく理解するよう野党に説得すべきではないか。野党指導者の卓見を期待したい。
 自民党の憲法草案を読んでみた。幾つか気になるところがある。先ず、憲法の前文は、簡素化したのはよいが、余計なものとして、先の大戦を書くことはない。全体に文章が前文らしくない。箇条書きのようにみえる。もう少し格調高く出来ないものか。人間性や人の上に人をつくらずという道徳的なものには触れないのか。
 現憲法の第九条は、条文を残したままというのは条文が無用の長物になる。それだけではない。一項の戦争放棄、威嚇などの概念が、国家としては不適である。ここは、平和主義への希求と努力を述べることでよい。二項は削除し、軍隊明記の付加はよい。日本国家は、米国基地を廃棄した日本国を描き、世界に貢献する姿を追求すべきだ。
 その他は、国家に法律があり組織があるのに、憲法に規定されていない項目の追加が多い。憲法が出来た時代からの社会の進展があるからだろう。これらの追加は、全体に詳細過ぎるように思えた。例えば、緊急事態条文は、もっと基本的なものにし、それ以外は法で補えばよいように思う。憲法には、その組織の理念や主旨を簡潔に触れるだけでよいのではないか。法律の基本的精神を規定すればよい。
 自民党憲法草案は、別途に変更箇所の丁寧な解説書を残し、多くの党や議員に納得してもらう努力をすべきではないか。中途半端な分かり難い条文を残さないことだ。詳細過ぎて時代と共にすぐ陳腐化するような規定や現在の名称などは、法律に譲り憲法では避けるべきだ。憲法学者はどう言うのだろう。
 

凡人のみる憲法Ⅱ

 投稿者:片山正昭  投稿日:2018年 2月 5日(月)06時53分2秒 softbank219183134106.bbtec.net
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   改めて何度も憲法第九条を読んでみる。結論としては、日本の次世代が、自国のみならず世界の秩序に貢献する積極的な国造りを目指すなら、この第九条は1.2項共に廃棄すべきである。
 日本国憲法を改正することは至難の業であり、失敗出来ないことはよく分る。安倍政権が第九条はそのままで自衛隊を明記すればよいと言ったことが理解出来ない訳ではない。特に、公明党の協力に配慮したのがその全てだろうと思う。だが正道をゆくならば、この第九条は廃棄するのが正しい。新憲法の大前提は、米国との安保条約がない、米軍が撤退し去った普通の国家でなければならない。現状認識からの類推では、憲法の本質から外れるのではないか。

 現憲法の第九条一項は、平和主義の理念をいうものだが、国家が持つ武力の本質を正しく見ていない。武力は進歩してゆく。国家の形態も著しく変化する。国際紛争の実態も変わる。日本が世界の秩序に貢献したくても、武力行使による施策の圏外の論争ばかりで、世界とは異質の行動で相手にされない。余計な文言は不必要であり、文章は必要最小限の平和精神にすべきではないか。特に武力の威嚇の意味は、今では武力を行使しなくても、大量破壊兵器を持つだけでも、防衛上の威嚇機能となることは明白である。戦争放棄も意味がない。仮に他国を侵略する意図での戦争放棄と明記しても、侵略とは言わず解放と言えば太平洋戦争は起る。
 第二項は、すでに多くの方が削除すると言われているように、自明の無駄な文言である。戦争に専守防衛の概念などはない。防衛でも他国を直撃して破壊する。実態として近代武器の戦争では何の意味もない。

 物事には妥協ということはあるが、不合理なものを放置して上書きするようなことは、特に日本国の基本の憲法に行ってはならない。そうならないように、国民を説得するのが政治家ではないか。特に公明党は、いつも選挙が目の前にちらついたマイナス思考のように思える。積極的に進歩的な政治家になって欲しい。憲法改正は次元の違う政治課題である筈ではないか。党のために大義を失ってはならない。

 更に腑に落ちないことがある。それは、今の世代は高校、大学の教育を殆どの人が受けている。日本国憲法の問題は誰でも知っている。難しい問題ではない。老人世代は、今ほどの進学率ではなかったが、憲法は学習している。マスコミの認識が遅れているのか、意図的なのかは分からないが、市民が憲法について無知であるかのような報道をする。憲法の条文は何処にでも出ているから、見ればすぐ分ることだと思う。他の法律より遥かに周知すべき決まりごとなのだ。憲法を読めばすぐ分ることだが、当時の米国の憲法起草者による憲法の主旨は単純であり、日本に一切の軍備をさせず、戦争もさせないことだ。米国の敵には、二度となさないための条文なのだ。これが大学を出た凡人の読み取る日本国憲法だ。そうでないならば、当たり前のことだが、分かり易く改正すべきだ。
 

予算委員会の議論のまずさ

 投稿者:片山正昭  投稿日:2018年 2月 3日(土)06時17分22秒 softbank219183134106.bbtec.net
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   国会中継で予算委員会の質疑状況が報道される。以前からずっと思っていたが、どうしてこうも質疑の内容のレベルが低いのだろう。国家の予算を審議するなら、その主旨は、国体の運営に重要な問題を予算との関連で行うべきではないか。
 何時の時点からだったか覚えていないが、予算委員会の国会中継を見なくなってしまった。理由は、予算とはあまり関係なさそうな行政規律の問題ばかりが取り上げられ、各党の揚げ足取りの戦略ばかりが議論になる。どこが予算委員会なのかと首をかしげる。政党間の争いならば、別途に場を設けて行えばよいのではないか。国家の予算を審議するなら、何故その予算の必要性や不必要性などの政策や、国家の方向性に関する理念のあり方を議論しないのだろう。
 議論している内容が、国家の一大事にはあまり関係ないように見える。議題が、国会議員の常識として、予算にどうつながり、どのような規模の予算になるのか見えない。だから党利党略のような場面の映像が出ると大抵は消してしまう。行政に問題があるなら、それを改善すれば、どの予算がどれくらい削減されるか示してくれれば、その議論の価値が分かるのではないか。
 国家予算は、過去の予算の継続だから、国家の将来への発展をどのように捉え変えてゆく予算なのかを、時間をかけて議論するのではないのか。予算委員会の規則がどのようになっているかは知らないが、あるとすれば、それは本質を離れ陳腐化しているのではないか。予算委員会なら、予算の可否を審議し、貴重な時間の浪費をしないで欲しい。視聴者の関心を考えたことはあるのだろうか。
 

朝鮮半島をどう見るか

 投稿者:片山正昭  投稿日:2018年 2月 1日(木)05時27分23秒 softbank219183134106.bbtec.net
返信・引用 編集済
   先行きのことは誰にも確かなことは言えない。ただ自分で得た資料を総合しながら、その中から最も合理的な推定をするしかない。それでも、物事は思わぬはずみで方向を変えることもある。だから、過去の歴史は大切であり、事実を正しく知ることが欠かせない。特に民族の特性は、決して他民族と同じにはならない。

 中国の共産主義政権の動向により、周囲の国家の安全保障は緊迫する。日本にとって、隣国の朝鮮半島の動きが、直接日本へ大きな影響を与えることは確かだ。このことは、現代だけではなく、百五十年前から続いている。歴史的には二千年前からになる。だから、現状だけが特別ではない。その意味から、将来についても、ある程度の予測をしておかねばならない。
 朝鮮半島は、米軍が撤退すれば南北は統合される。米軍が多大な費用をかけて、軍隊を派遣しているのは、ただ一つ自由民主主義を守りたいからだ。日本に米軍が駐留するのも同じだ。ロシア、中国、北朝鮮の社会主義国家の事実上の専制主義は受け入れられない。これは、米国、日本国民も同じ考えなのだ。ところが、韓国は違っている。基本的に、国民は自由民主主義には関心がなく、その国家形態を維持しているだけと言っていい。中国共産主義に対する違和感は殆ど持っていないと言っていいから、国としての相互依存にも支障はない。軍事は自由主義を守るというより、強力な政権を維持したいのが本音ではないだろうか。韓国の大統領制の行方は、北朝鮮と中国の如何によることになる。日本が行う自由民主主義の政策や規律に対し、不誠実と言える対応が頻発するのはその表れの一つと言える。また、韓国は、日本に利益を受けても評価はしない。それは、日本の尊重する道徳が、朝鮮人には理解出来ないからだ。いやむしろ、朝鮮民族の利己的自尊の性癖によるものだ。

 米国が自国主義への傾向を強め、韓国から引けば、韓国は統合され中国、北朝鮮を中心にした政権になる。政権の中枢になる人物は、すでに韓国の中にもいる。左翼思想が強いというより、専制的階級意識があり、反日を推進する。勿論、自由民主主義はなくなり専制主義に限りなく移行するが、韓国人には違和感はない。これまでも政権の中枢にあった人物の末路は憐れで、人格の尊重は殆どないから分かると思う。まさに独善的専制主義の特質そのものだ。中国の配下にあるから、独立しているように見えても、中国の意向が重視され社会は安定する。中華思想の実現なのだ。中国の、民族主義的、階級的な専制主義には、朝鮮社会は従順で抵抗がない。現在の韓国の中国に対する貿易拡大も、この事を是認しているから警戒感はない。結果的には韓国経済に対する支配権は中国が持っている。自由主義圏の経済社会の基準の順守を尊重する価値観はない。先進国の自由主義経済の価値観とは異なり、一種の統制経済の様相がある。歴史的な朝貢貿易を想像すればよい。
 朝鮮の軍事力は、南北の統一により強大になる。日本に対する優越感を持ちたいと考えるから、海洋が接近した両国に紛争が強まる。国際法には中国と同じく独断的対応だから、行動は独善的なものになる。竹島どころか他についても問題を持ち込む。国土の拡張に節度は存在しない。策略などを称賛し、規則に対する遵守の価値観は基本的に重視されず、結果が良ければ良しとなる。慰安婦問題、軍艦島の対処をみても分かる。

 中国を囲むアジアの小国は、中国の意向に左右されるから、日本の政治は、その本丸の中国を相手に対応しなければならない。それが、将来の外交課題の全てになる。日本はあくまでも、中国が自由民主主義への道をゆくように折衝する大変な事態になる。米国主体から、日本主体になることへの変化は並大抵ではない。日本は経済も軍事も、中国に対応出来る能力を持ち、中国が日本を協力者として無視出来ない関係になる水準を維持することが肝要である。

 

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