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    <title>教育を正す掲示板</title>
    <link>http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs?</link>
    <description>両偏向教育事件の経緯、資料がここで見られます。
当掲示板の趣旨に反する投稿はご遠慮ください。</description>
    <dc:language>ja</dc:language>
    <dc:date>2009-11-23T15:18:19+09:00</dc:date>
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  <item rdf:about="http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1240">
    <title>国立１女バス越境について</title>
    <link>http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1240</link>
    <description>中学部活越境のよい点もあるでしょう。
ただ高校や大学でなく、相手が小学生や中学生だということ。
義務教育で子供に教えることは学校も親もうそをつかない。人を大切にする。なにごともがんばること。少なくともずっといっしょにやってきた友達と競い敗れるならば親も子も納得するでしょう。それが毎年他市から地域の親も子もしらない有望選手が入ってきたらそれはまた違う話でしょう。それでも、学校、地域の親や子供が納得しているならよいのかも。</description>
    <dc:creator>府中市民</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-23T15:18:19+09:00</dc:date>
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  <item rdf:about="http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1239">
    <title>＜ある無神論者にあてた手紙＞</title>
    <link>http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1239</link>
    <description>旧約、新約ともに、開祖の教えを正確に伝えることには失敗しているといえるでしょう。コーランにしても同じことです。その時々の世情により、教えは伝える者によって歪められてきたからです。
しかし、ハートで神をとらえる者にとって、新約の神にせよ、旧約の神にせよ、あるいはイスラムの神にせよ、そこに普遍的な慈愛の神を見出すのは難しいことではありません。聖賢たちの教えが混乱しているように見えるのは、彼らが混乱しているからではなく、その教えを受け止める側の混乱によるのではないでしょうか。
聖者の教えは、もとを正せばいずれも口…</description>
    <dc:creator>SHO</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-15T23:01:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1238">
    <title>＜無限存在と輪廻転生＞</title>
    <link>http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1238</link>
    <description>10カラットのダイヤも100カラットのダイヤも、炭素の塊であることに変わりがないのと同じように、苦しみ、悲しみにどれほど高値を付けてみたところで、それらが有限なものを失うところから派生した幻であることに変わりはない。なぜ幻であるかといえば、それは我々の本質が輪廻転生を繰り返す無限存在であるからだ。

我々は苦しみ、悲しみ、憎しみ、喜び、その他諸々、感情の全てを味わいつくすために幾度と無く生まれ出でていることだろう。それが輪廻転生の思想である。ならば、既にその味を十分に知りえた人生は選択されることがないに違いあるま…</description>
    <dc:creator>SHO</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-15T22:59:18+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1237">
    <title>＜神の恩寵と因果応報＞</title>
    <link>http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1237</link>
    <description>多くの善男善女が、これほど多くの苦しむ人々、非業の死を遂げる無念の人々を前にしながら、どうして神は何もしてくれないのかと無邪気に尋ねる。

しかしながら、現実の世に起こるあらゆる出来事に偶然はないと私は思う。全てに原因があり、そしてその原因にふさわしい結果が待ち受けるのではないだろうか。それが因果応報である。因果応報の存在もまた神の存在と同じく、それを感じるしか認識の手立てがない。しかし、あると実感する者にとってはまぎれもない真実なのである。

因果応報は、この世界の壮大なドラマを創り出すのに欠かせぬ…</description>
    <dc:creator>SHO</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-15T22:57:16+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1236">
    <title>＜神はハートにあり＞</title>
    <link>http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1236</link>
    <description>神という呼び名を目にすると、これを「理解」するために多くの人はあれこれと既存の知識をたどろうとする。つまり、己の外側に神を見出そうとするわけだ。けれども、ハートのスイッチを切った学者や思想家、あるいはその真似をする者たちがいかに頭をひねってみたところで神にたどり着けるはずもなく、往々にして“神は人間が方便としてつくり出した概念に過ぎないもの”という結論に達してしまう。こうなると、ほとんどの探究者は伝えられる概念の相違点ばかりが気になって、神の普遍性に思いが及ばなくなってしまうようだ。

一方、今ある秩序、全宇…</description>
    <dc:creator>SHO</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-13T08:21:31+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1235">
    <title>＜神性と獣性＞</title>
    <link>http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1235</link>
    <description>死にいたる老人が自宅で息を引き取ることがほとんどなくなってしまった昨今、現代日本人の多くが死を身近に目撃することがなくなってしまった。このため、半ば盲目的に死を恐れる人々が巷にはあふれかえっているように見える。
しかし、死よりも恐ろしい、むごたらしい生などいくらでもあるというのに、死ばかりを恐れるのはナンセンスだ。
死は神の与え給うた救済の一つだと私は思う。目に見える命の営みにばかりとらわれていると、命より大切なものの存在を見失ってしまうのではないだろうか。命より大切なもの、それは人としての誇りである。
…</description>
    <dc:creator>SHO</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-13T08:17:18+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1234">
    <title>SHOさんへ</title>
    <link>http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1234</link>
    <description>後づけでいろいろとくっつけるのは明解さを欠いてしまいます。

生命の本質が利己的でそれの発現を獣性とよび、利他的な慈悲の心を神性とよぶのは
SHOさんの考え方なので、それはそれでいいでしょう。

しかし、以下の表現をした場合、それは人間だけという表現になります。
＞
人間はそのような利己的性質を抱えながら、異なるものに対して慈愛の念を抱く稀有な性質を有しています。つまり、人とは生命の本質たる利己的性質、小生はこれを獣性と呼んでいますが、その獣性と、他者を慈しむ利他的性質、神のごとき性質としての神…</description>
    <dc:creator>くまげん</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-12T19:02:24+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1233">
    <title>＜追伸＞</title>
    <link>http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1233</link>
    <description>くまげん様

“謙虚さに欠ける”などと失礼なことを申し上げましたが、これは自戒でもあります（笑）ので、悪しからずご了承ください。
人は誰しも相手の中に己自身の偽らざる姿を見出してしまうのではないでしょうか。</description>
    <dc:creator>SHO</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-12T10:00:44+09:00</dc:date>
  </item>
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    <title>＜老婆心より一言＞</title>
    <link>http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1232</link>
    <description>くまげん様

生命の本質が利己的であるとは申しましたが、人間以外は全て利己的であるなどと申し上げた覚えもございません。人間であっても、慈悲の念を捨て去るのを躊躇しない輩もおれば、獣であっても慈悲の念を有するものがあるからです。
たとえば、西洋では悪役が定番の狼ですが、その生態に詳しい学者の観察によると、この慈悲心ゆえに、狼は自らの餓死をかえりみず捕らえた獲物をあえて逃がしてしまうケースがあるといいます。そのことを昔の日本人が知っていたかどうかは定かでありませんが、日本における狼の名の由来は大神なのです。実…</description>
    <dc:creator>SHO</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-12T08:55:07+09:00</dc:date>
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  <item rdf:about="http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1231">
    <title>狼が羊を食べるのは</title>
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    <description>羊のために必要だ。

　なぜなら、羊が増えすぎると食べるべき草がなくなってしまって、全滅してしまう。

じゃあ、狼がべらぼうに増えてしまうのではないか？

　狼など捕食動物たちは…どうしたことか…というより、そうであったからこそ生き延びたのであろうが…出産数が少ない。もしも、多ければ、必要な羊の数も増え、羊の増加率を越えたとき、狼も羊も全滅する。

　出産数が多い個体はこのようにして淘汰された結果、バランスのよい種だけが生き延びた
と考えるとわかりやすい。

　狼が羊を食べるのは＜利…</description>
    <dc:creator>くまげん</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-12T06:55:32+09:00</dc:date>
  </item>
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    <title>利己を獣性といいかえても</title>
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    <description>利己が天然自然なもの、利他が人間特性と区分けるだけで、なんら人間中心主義を
脱するところか、人間こそ万物の中心だと宣言するようなものです。

ありは利他しませんか？蜂は利他しませんか？かばの背中に止まる鷺は利他しませんか？

たったこれだけでＳＨＯさんの根拠は崩れてしまいます。
利他もまた一般的に自然界で見られる行動なのです。

人間だけといいたい生物学者たちがこれもまた利己的な行動であるといいました。
ところが、そうすると、やはり、人間もまた利他ではなく利己な行動としてそれを
して…</description>
    <dc:creator>くまげん</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-12T06:49:28+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1229">
    <title>＜獣性と神性との間にあるのが人＞</title>
    <link>http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1229</link>
    <description>くまげん様

＞日本からみれば北朝鮮は他だからこれを助けなければならない！
＞…ほら、何を馬鹿なことを！と思ったでしょ。…それ利己主義ですよ。

申し訳ありませんが、小生は貴兄のごとく馬鹿なことだとは思いません。ゆえに、適切な例示とはいえません。
そもそも、人間が利己主義なのではありません。生命が本質的に利己主義なだけです。しかし、人間はそのような利己的性質を抱えながら、異なるものに対して慈愛の念を抱く稀有な性質を有しています。つまり、人とは生命の本質たる利己的性質、小生はこれを獣性と呼んでいます…</description>
    <dc:creator>SHO</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-11T13:31:46+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1228">
    <title>利己主義が単純に人間の基本的な</title>
    <link>http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1228</link>
    <description>あり方だからでしょ。それ個々人の思いとは別だと考えればよろしい。

じゃあ、なぜ今まで利己主義はよくないものだと言われてきたのか？

利己主義の対義語は利他主義です。じゃあこの他とは何でしょうか？
日本からみれば北朝鮮は他だからこれを助けなければならない！

…ほら、何を馬鹿なことを！と思ったでしょ。…それ利己主義ですよ。
だから、本来は利己主義なんです。それをある範囲を設定して利（己＝仲間）主義
にして運営してきたにすぎません。

仲間を規定した上での利己主義が、仲間を規定せずの利…</description>
    <dc:creator>くまげん</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-11T04:37:30+09:00</dc:date>
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  <item rdf:about="http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1227">
    <title>＜個々の思いは連鎖する＞</title>
    <link>http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1227</link>
    <description>くまげん様
相手がわかるかわからぬかが問題ではありません。貴兄が相手の主張をわかろうとなさるか否かが問題です。

＞端的にいえば、自分が決断できるのは自分のことだけ。そして、その決断が社会に反映するためには他者が必要。
＞その他者がまた別の他者に媒介してくれなければ、自分の決断は社会に影響を与えない。
って当たり前のこと

おっしゃる通りです。ゆえに、文化は誰か個人の意思が作り出すものでは有り得ません。しかし、個人の意思は他者を介在し、その共感と共鳴するところによって有機的に連鎖していくのでは…</description>
    <dc:creator>SHO</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-10T08:45:57+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1226">
    <title>民主主義が同じプロトコルを共有する</title>
    <link>http://6928.teacup.com/kyouiku/bbs/1226</link>
    <description>個々人によってしかなしえません。

　個々人の意思や意識の足し算とやらをどうやって行うつもりですか？

この一点だけでそれを下部とすることが不可能であることが…わかりませんか？わからない
でしょうね。

　つまり、個々人の行為や表現が他者を媒介して他の他者に伝わるという仕組みなしには
おっしゃられる上部構造はなしえません。その上で個々人の行為や表現は他者に向かって
行われなければそもそも意味がないということも指摘できます。

　つまり、他者を意識しているの点でこれらはおっしゃられる…</description>
    <dc:creator>くまげん</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-09T07:01:34+09:00</dc:date>
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