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ご丁寧な返信ありがとうござます。
民主主義が正義であるという世論が強いから、他の考えが<私は>思い浮かばない。
提案できない。というのはおかしな話ではないでしょうか?
民主主義を批判できるのも民主主義の前提にある自由権ゆえに。というのは
批判の対象にできないものではないでしょうか?
SHOさんが言いたいのは能力に過分な自由は不自由をもたらすという考えでは
ありませんか?
それについては、自由を行動の選択枝とすればよく、能力に応じて選択枝は各個人に
想定されるので過分になることはない。むしろ、自由であるのに能力がなくて選択枝
がなくなるという事態の方が多いのではないか。という問題の方が多いと思います。
たとえば、人は雇用者ではなく被雇用者として生まれるわけではありません。雇用者にも
被雇用者にもなるのです。(封建社会ではそうではありません。)なのに、大勢の人々は
被雇用者たるように生きるのです。それは<責任>の問題です。
>民衆が自由に幸福になる手段を選べるなら幸福になれるのだという考えは、民衆という存在が、そもそも全体利益を考慮しない利己的性質を含むのだという観点を隠蔽しているのではないでしょうか。その主張がいきつくところは、衆愚政治でしかありません。
そしてそれは特別な例を持ち出すまでもなく、今日の政治がそれを証明しているのではないでしょうか
>
全体利益はそもそも誰に利益をもたらすのでしょうか?であれば利己的な人間がいる
だけできちんと船体利益ももたらされることになります。
SHOさんがいいたいのは利益ではなく規則つまり道徳の保存のことではないですか?
だからこそ、資本主義の話になるのですが…。資本主義、市場がもたらすものは、同じ
階級であっても貧富による格差です。それが、それまであった道徳や共同体主義を破壊
します。なぜなら、利益は能力に応じて分配されるという市場を通じた新しいルールが
それらを駆逐していくからです。
衆愚政治の対義語はたぶん賢帝政治だと思いますが…、そもそも賢帝といわれるのは
政治がうまくいっているからです。暴君である保障は何ひとつありません。
つめり、賢帝を求める意識そのものが愚民の意識ということになりませんか?
賢帝であろうとひとりひとりがすること以外には無いとおもいます。
しかし、何が賢いことなのかは、実は確定されません。
というよりも、それを論議し体制として作り上げていくことが政治ですよね。
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