瀧田ゼミ12期生 掲示板



カテゴリ:[ 子供/学校/教育 ]


244件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[246] 合宿の感想

投稿者: 外川 投稿日:2016年 4月 1日(金)09時24分38秒 KD182249242164.au-net.ne.jp  通報   返信・引用

・「こころ」とは「心」の多様性に各々が立ち向かう物語である。

・発表を終えて
発表後に感じたのは伝えることの難しさでした。くっすんと春休み中話し合ってみんなに伝えたいと思っていたことが伝わらない感じがとてももどかしくて、悔しくて、申し訳なくなりました。微妙な何かを説明しようとするとにきはさぼらずにあらゆる方法で言語化できるように努めたいと思います。卒論までにはそういった技術も身につける必要があると感じました。

・合宿の感想
合宿は楽しかったです。自分も案外みんなとわいわいするのが好きなんだなーと思いました。
薄っぺらい感想ですみません。




[245] 合宿を終えて

投稿者: 楠川 投稿日:2016年 3月31日(木)23時13分18秒 i220-221-1-199.s41.a012.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

・「こころ」とは解釈の余地ゆえに残り続ける物語である。

・自分が去年の春のサブゼミの時間に発言した「文学に触れ自ら傷つきにいくのは何故なのか。文学を読む意味を問い続けたい。」という言葉が掲示板に残っています。自分はこのサブゼミでの発言が常に頭の片隅にあり、各作品の発表を終えてもどこか終わりきらない、なにか空しい気持ちが今までは残り続けていました。春合宿では「こころ」という人が自殺する作品を研究し、研究史にも触れ自分のちっぽけさが浮き彫りとなったため発表準備段階で春セメサブゼミ時に抱いた気持ちが特に強くなりました。自分の持つこういった気持ちと向き合うことになったのが春合宿だったと感じています。準備を進め、研究史について考えていると、ふと自分のサブゼミでの発言、気持ちはもしかすると今までの研究者たち(主に論文1~7のの論者)も皆抱えていたのではないかな?と思いました。自分たちが発表準備中に感じた「先行研究ですでに言われているのではないか?」という疑惑を実は先行研究の論者も持っていてそれと向き合いながら研究をしていたのではないでしょうか。そう考えていみると何となく自分たちの今考えている作品論もわずかながらにも研究史の一部に組み込まれたような実感が生まれ気持ちが楽になっていきました。「こころ」テクスト内で登場人物たちは「淋しい」を連発しますが研究史の膨大さを見てみると「こころ」は作品レベルでは「淋しい」ものではないと思いました。その明るさにに近い実感が自分とケンちゃんの生み出した作品論に反映されていたのかなと思います。発表を終えて改めて「こころ」について考えてみるとまだまだ言及していない部分がたくさんあることに気が付きます。以前なら「空しさ」を感じるはずですが、今はそれとは違うまだ言語化出来ない気持ちになっています。とりあえず現段階ではそれを「こころ」の持つ魅力と解して上記の「~物語である」にまとめました。

・そうはいっても発表後まず頭に浮かんだ単語は「悔しい」でした。飲み会のあとの夜は秋セメ反省会で発した「伝わらなければ意味がない。表現できなければ意味がない。」という自分の言葉に責められ続けました。ですがそこに留まらずに、過去の自分と向き合うというところから現在の自分の位置を見出し、それをこれからの未来(自分の生活や研究)に活かせたらいいな。という前向きな気持ちで4年生からは頑張っていこうと思います。こういった思考も春合宿という経験から得られたものだと考えています。内容はさておき作品論を作ることが出来ないわけではないという微妙な二重否定から得られる謙虚さと自信を常にこころに置いておきます。



[244] 合宿の反省

投稿者: 小林 投稿日:2016年 3月31日(木)22時49分7秒 110-132-135-104.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用

1、質疑応答は別で投稿しました。

2、発表を終えての感想
 小森氏の論文にかなり引っ張られてしまったり、行き当たりばったりな構成のせいで結論が納得できないものとなってしまったりと、多くの反省点が残る発表となりました。発表後やリアペで一つ一つの接続がうまく出来ていないと感じたと意見を頂いたとおり、実際自分たちの言いたいことをどんどんちらしていくような感じになってしまい、わかりにくい発表になってしまいました。
 着地点を定めてから論を構築することの必要性は、春・秋のレポートを書いているときにも感じていたので、これから卒論を書くに当たっての自分の課題として受け止めていこうと思いました。

3、~という物語である
 「こころ」は、確固として動かない普遍性と時代を映す柔軟性を併せ持つ物語である。

4、その他合宿の感想
 自分のこれからの課題をはっきりと意識することのできた、意義のある合宿でした。自分の先行研究への向き合い方を正さなければならないと感じました。
宿もとてもいい宿で、発表以外もとても楽しかったです。合宿係さんありがとうございました。



[243] 合宿について

投稿者: 佐藤結衣 投稿日:2016年 3月31日(木)22時39分10秒 p504012-ipngn5901funabasi.chiba.ocn.ne.jp  通報   返信・引用

①発表後の感想
発表する事前にリハや他の人の意見に自分たちの論をさらしていなかったためにどこかテクストからズレた論になってしまった。自分だけが納得する論ではなく、まずは文章の読み込み(特に今回は長編小説だったため取りこぼしもあったので)をキチンとしていきたい。
②時代によって多様化する「こころ」の物語
③合宿後の感想
今までで一番難しく、そして力にもなった合宿になったと思います。忙しさにかまけて作品や論文にちゃんと向き合えてなかったことが大きな反省点で、きっとこのあとも忙しさの中で研究、調査をしていかなければならないのでやはり「忙しい」を理由に手を抜くことはあってはならないと思いました。この反省を生かし卒論に向けていきたいと思います。



[242] 合宿について

投稿者: 本間 投稿日:2016年 3月31日(木)22時18分21秒 s1435078.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp  通報   返信・引用

①発表後の感想
今回は「こころ」を扱い、構造の把握や細かい分析が丁寧になされていないと論の説得力がなくなってしまうということを強く実感した。最初は大まかに全体を掴みきれず、解釈ばかりしていたが、「批評理論入門」を読み直しながら考えたり、かみやんからのアドバイスを聞いたりして分析を固めていけたのは良かった点であった。「こころ」は解釈の幅がある作品だったので、文学研究をする上で分析なしでは本当に良い論証はできないのだなと改めて思った。
しかし今回の発表でそこに気づいたことと、作品の中にあるたくさんの要素を拾って論証ができたことは良かった点である。
論文⑥は難しい論文で、理解するまでに時間がかかった。なかなか理解ができず、かみやんに簡単に説明をしてもらい、そのあと論文を読んで少しずつ理解を深めた。論文⑥の内容もそうだが、論文自体の読み方も、以前より分かった。他七本の論文も合わせて論文⑥を読み込むとこれまでの研究を踏まえている上に新しい視点での言及がなされていることが発見でき、複数の論文と比較して初めて分かることもあると実感したことは今回の発表で自身が成長したところだった。

②「こころ」とは
「こころ」とは「先生」との思い出と「先生」からの「知」を読者に受け継ぐ物語

③合宿後の感想
今回の合宿では、自分の力となるものをたくさん得た。私はずっと「良い論文=テクスト論重視」と思っていたのだが、作家論の中にも情報量が多く、論の強度が強いものが存在することを知った。情報量の多さ故に理解しにくい論文となっていることもあるが、その中にも良い論文はあり、そういった研究を踏まえないテクスト論の方が寧ろ良い論文とは言えないと知ることができたことは今後の文学研究にも活かされると思った。また論文の流れはただ論文を年代順に読んでいくより、論文が書かれた時代背景と絡めて読む方がその論文が書かれた理由も理解でき、論文の流れが明確になるように思った。今回の合宿は、論文の流れ、その掴み方、論文の善し悪しに関して等、論文を読むことが苦手だった私には必要な勉強であった。



[241] 論文②発表班

投稿者: 江頭・横田地 投稿日:2016年 3月31日(木)22時13分58秒 KD125054206043.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

1.質問
・当時ポオや「ウィリアム・ウィルソン」はどのように受容されていたか。(楠川)
→日本における最初のポオの受容は1887年(明治20年)であり、論文でも登場した饗庭篁村による『黒猫』の翻訳です。しかし、正確な翻訳ではなくその後すぐに内田魯庵による正訳が出されました。
その後ラフカディオ・ハーンが講義内で言及していたり、森鴎外『雁』、谷崎潤一郎『刺青』、萩原朔太郎『鶏』、佐藤春夫『西班牙犬の家』芥川龍之介『尾生の信』、江戸川乱歩『二世銭銅貨』、横光利一などポオの影響を受けた人は数多くいました。
昭和以降では1941年には潤一郎の弟による谷崎精二による『エドガァ・ポォ小説全集』の刊行が開始され、1963年には東京創元社より、30名近い文学者が各作品の翻訳を分担した『ポオ全集』が刊行されてます。また、私が使用した岩波文庫の『黒猫・モルグ街の殺人事件 他五篇』は論文②発表と同じ1978年に第1刷が発行されているため、当時ポオの作品は探偵物として受容が高かったのではないかと思います。


・ 黒=穢れ、恐怖、あるべきでない姿としていたが、「先生」によって「私」が黒く染められたのなら、私は「穢れた存在」、「恐怖を与える存在」、「あるべきでない姿」になったということか。(本間)
→そうだと考えます。しかし、「恐怖を与える存在」というのは当てはまらないと思います。すみません。
「先生」によって「私」が黒く染められてしまったことで、「私」が「先生」の二の舞になってしまう、新たな「先生」を作ってしまうのではないかと考えました。


2.発表を終えての感想
今回の春合宿の発表を終えて、発表はかなり偏った解釈を皆さんに提示してしまったもののとりあえずレジュメの形にすることが出来てよかったです。今回の準備はかなり大変で、連絡がとれない学校に来ないなどその他諸々問題が多すぎてストレスが溜まりに溜まって女の子じゃなかったら殴り合いの喧嘩が出来るのになぁと思いながら色んなものに当たってました。
しかし、自分には「こころ」を一人で発表する力がないと思っていたので、横田地さんの力も借りての発表だったと思います。出来は良いものとは言えなかったですが、この悔しさをバネに卒業研究では良いものを作りたいと思いました。


3.「こころ」とは~物語である。

真実を語ることだけを目的とした物語である(横田地)
無限の解釈によって形を変え続ける物語である。(江頭)


4.その他感想
発表班としては辛かったですが、準備などで学校に行けば皆がいたので意見を貰ったり、怒りを鎮めてくれたりとても助かりました。合宿でも勉強はもちろん楽しかったし、他でも色々楽しく、久々に本気で笑ったと思います。ありがとうございました。



[240] 発表⑤ 質疑応答

投稿者: 小林・佐藤 投稿日:2016年 3月31日(木)21時54分29秒 110-132-135-104.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用

・ レジュメ14ページの最後に“「純潔」は消える”とあるが、「己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいて遣りたい」はどう処理するか。(本間)

レジュメ15ページの「下」における自己擁護の構造に関係してきます。
発表でも説明したように、「先生の遺書」は先生の嘘から始まっています。そしてそのことは、この遺書が事実ありのままを告白しているものではなく、自己を正当化しようとする姿勢も含まれているものであることを明らかにしている、と考えました。
更に、指摘してくれた「~なるべく純白に保存しておいてやりたい」(下 五十六)の部分や「純白なものに一雫の印気でも容赦なく振り掛けるのは~」(下 五十二)の部分など、結婚後の妻(お嬢さん)に対して先生が「純白」という言葉を使う場面では、「私を理解してくれる貴方の事だから、説明する必要もあるまいと思いますが」等、くどくどと不自然なくらい必死に弁明している様子が見て取れます。先に述べたように先生が遺書において自己を正当化しているとして、先生が血縁関係を信じられず擬似家族的な関係しか信じられない、という私たちの論に合わせて考えると、先生は血縁関係であるが故に信じることができない妻(お嬢さん)には遺書を見せたくないが、必死な弁明からも分かるように、そう思うに罪悪感を感じている。だから、それを隠すために「純白」というかつてお嬢さんに感じていた言葉を使い、自己をも騙す形で自己を正当化している、と考えました。



・「絶対的な信頼とは血縁のないものからの信頼=お嬢さんに求める純潔」というのがよくわからなかった。(寺地)

 これは、私たちの結論として「何にも依拠しない信頼関係」としているものと同義になります。小森氏の論で言うところの「血の論理」つまり血縁関係による信頼というものを信じられなくなった先生の心を和らげたのが、奥さんやお嬢さんといった血縁関係も何もない人たちから無条件に向けられる信頼でした。そのため先生はその無条件な信頼という形をずっとお嬢さんに対して求めていた、ということが言いたかったのです。「純潔」という言葉を使ったのがわかりづらかっただろうと反省しています。すみません。



・レジュメ17ページ「擬似家族の共同体を天皇自体にも求めていた」という所と、結論の「依拠しない」という所が理解にまでたどりつけなかった。(江頭)

まず「擬似家族の共同体を~」の所について説明させていただきます。天皇は、父性という意味で国民の父的な存在である、という前提から、その父的な存在に先生が家族的な繋がりを感じていて、更にそれは血縁関係の無い関係、つまり大きな擬似家族であると考えました。
しかし、これは私たちの発表でテーマにした「擬似家族」から先生の自殺を考えたらどういうものになるか、と半ば無理矢理考えたものだったので、納得できないものとなってしまいました。一応みなさんに提示しておこうと思ってレジュメに載せましたが、自分たちでも今ひとつ納得できないものを載せて発表を分かりにくくしてしまったと感じています。
結論の「依拠しない」は、例えば先生が叔父に持っていた信頼は血縁関係を拠り所とした信頼で、それに対して先生が「私」に向ける信頼は、根拠というか、「親族だから」というような確かな繋がりがなにもない信頼です。これを肯定的な言葉で表したくて「なににも依拠しない」という言葉を使いました。



・「中」の部分で「私」の語りは現在進行形とは言い切れない部分もあるのではないかと思った。(外川)

ここでは「上」「中」の語りの違いを説明したかったのです。
「上」では先生という過去の人を思い出して語っているということが「先生の亡くなるまでに」(上十二)等の記述から、むしろ強調されているかのようにはっきりとわかります。もし「中」がこのような「上」の語りと同じ語り方がされていたとしたら、「いよいよ父の上に最後の瞬間が来たのだと覚悟した」(中十七)という記述にはならないだろうと思われます。他の部分でも「中」では父を思い出すような語り方は見当たりません。また、レジュメにも載せたのですが、「中」では「今私が聞くのは何時起こるか分からない事実であった。」(中十)のように、「今」という言葉が「私」が手記を書いている現在ではなく、「中」の物語内の時間、つまり、過去の「今」を指す言葉として使われています。これは過去の事柄を語っている手記であるのに、まるでリアルタイムで起こっている事柄のように語っていると言えると思います。
これらのことから、「上」も「中」も手記なのでもちろん過去の事柄を語っているものなのですが、「中」は現在語りに近い語り方がされていると考えました。「中」が完全に過去語りではなく現在語りであるかと聞かれると微妙な部分もありますが、「上」に比べると明らかに現在進行形のように語られているということです。説明不足でした。すみません。



・「擬似家族」というフレーズがでてから後は小森氏の論文④との相違点を明確にして欲しいと感じた。(楠川)

小森氏の論では、先生はお嬢さんと結婚することにより結局お嬢さんを擬似家族ではなく血縁的な繋がりのある家族にしてしまっていることが見逃されていると考え、そこに注目しました。結婚した後わざとらしく「もうお嬢さんではありませんから、妻といいます」(下五十一)としていることを根拠に、血縁的な繋がりを持つことによって先生がお嬢さん(妻)を信じることができなくなったと考えました。
また、小森氏の論では「私」の行動を先生の「生」を差異化しているとしていますが、私たちは「私」は先生を差異化しているのではないと考えました。「血の論理(家族の倫理)」を捨てる必要のない「私」が父を捨て先生へと向かったことは先生をなぞっていて、それによりやむを得ず「血の論理(家族の倫理)」を捨ててしまった先生の孤独な人生を肯定し、救済していると結論づけました。そのため、私たちは「私」がこの後も先生と奥さんとの血縁関係のない繋がりを続けていくと考え、奥さんとの間に子供をつくることはないと考えています。
  とは言えかなり小森氏の論に乗っかった形の論になってしまったと感じています。はっきりと相違点を示すことができなかったのも、小森氏の論を前提としてその上で考えを深めてみた、という形になってしまったためです。今回の発表の反省点です。



[239] 合宿について

投稿者: 寺地 投稿日:2016年 3月31日(木)16時45分46秒 i118-21-136-123.s30.a048.ap.plala.or.jp  通報   返信・引用

1、質問回答
ペアで話し合い、坂下さんがまとめて投稿してくれました。

2、発表を終えての感想
まずは、発表が終わってホッとしています。これまでとは違い、「こころ」という誰もが知っている作品を、それもみんなで同じ作品を扱ったわけですから、精神的にも体力的にも今までで一番きつかったです。発表では小森陽一さんの論文を担当しましたが、ついつい小森さんが述べていることに自分の考えが引っ張られてしまって大変でした。作品論も浮かんでは消えの繰り返しで、レジュメが出来上がって皆さんに配って発表が終わるまでずっと不安しかありませんでした。そして案の定、論の弱さを指摘されてしまう結果になってしまいました。
しかし私たちの班の良かったと思うところは、話し合い始めてから最後まで自分たちの結論を変えなかったことです。自分たちの出した答えを信じて、これが私たちの結論ですと胸を張って言えたのは、良かった点だと思います。
とても苦しかったですが、大学生活で5本の指に入るくらいの大きな経験となりました。

3、「こころ」とは、家族という共同体のあり方を模索する物語である。

4、その他感想
合宿係として至らない点ばかりでしたが、みなさんのご協力のおかげで無事に終えることが出来ました。ありがとうございました。



[238] 合宿について

投稿者: サカシタ 投稿日:2016年 3月31日(木)15時59分30秒 KD182250250226.au-net.ne.jp  通報   返信・引用

●発表を終えての感想。
担当論文へのリスペクトとおそれがありリアぺで皆さんにも指摘をいただきました。作品論を構築するうえで担当論文に縛られてしまうのは当然といえば当然ですが、接点・相違点を明確に、良くも悪くも自分の作品論には責任を持つことが大事なのかなと思います。
  てらちと考えた作品論で一番言いたかったことは言えたのでその点では満足しています。

●「こころ」とは、各時代の読者が自身の心に合う個人主義を見出していく物語である。

●その他合宿の感想
春合宿(の準備含め)たしかに今までで一番苦しかったです。が、全員「こころ」で頭がいっぱいという状況もなんだかそれなりに楽しかったです。合宿から帰ってから本をよんで趣味の読書ってこんなに楽しかったっけ? というきもちがあり、「初読の感想」の強さを感じました。はやく皆さんの卒業研究をききたいです。



[237] 論文④ 質問回答

投稿者: 坂下・寺地 投稿日:2016年 3月31日(木)15時55分28秒 KD182250250226.au-net.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

Q.海を異質な空間とするのは、庭で「私」が瞑想からさめるような境界がありませんでしたが、なにかあるのでしょうか。(佐藤結衣)

A.公共的な場所であるはずの海は、「広い蒼い海の表面に浮いているものは、その近所に私ら二人より外になかった」ように、二人だけしかいない空間になります。そして
海:「もう帰りませんか」(P12L11)
庭:「もう、徐々帰りましょう」(P77L2)
と2つの場面のリンクが見えてきます。このどこか別の場所から元の場所に帰るという既視感を海の場面での異質な空間の理由付けのひとつとして挙げます。

Q.自由な人間関係の選択ができるという結論について、「私」を中心として考えていたが、先生はどうなのか。人を信頼できない先生でしたが、なにか関わりはあるのでしょうか。(佐藤結衣)

A.
先生は家族を自ら捨て、下宿先にいきつきます。この選択は自由な意志だけれど、叔父の裏切りという要因があるので、捨てざるを得なかったとも考えられます。

下宿先のお嬢さんと結婚し、現在に至る。

「私」が先生を慕い、親しくなる。「私」が家に入り込んできたので、受動的。先生の選択ではありません。

自殺

先生は下宿先を選ぶという点で自由な選択をしました。ですが、先生は特に共同体の行き来をしたりせず、人と関わろうとしない点から「私」のように自由ではないと考えます。


レンタル掲示板
244件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。

お知らせ · よくある質問(FAQ) · お問合せ窓口 · teacup.レンタル掲示板

© GMO Media, Inc.