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「海」25号(太宰府市)

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2021年 1月19日(火)17時53分45秒
返信・引用 編集済
  ・昭和24年、室蘭栄高校から東京芸大に入学した福井正治は学業を続けられず、焼け跡を彷徨った末に文士になろうと決意し檀一雄の門を叩いた。何とか許され壇家に転がり込んだで丁稚として数カ月檀一雄の下で寄宿生活をした体験を持つ。その後、苫小牧東部の田舎町の厚真町で戦前から石油採掘をしていた親元に帰り、山奥の穂別中学校で英語教師をしながら絵を描き国画会会員になった福井正治であったが、彼は酔うとよく檀一雄の話をしており、私の勤めていた地方新聞にも何度か檀一雄にまつわるエッセイを書いてくれたものであった。

・「海」の第一期時代活躍したその檀一雄ゆかりの織坂幸治の特集を組んでいるので注目。

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「風の道」14号(東京都)

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2021年 1月17日(日)16時52分57秒
返信・引用 編集済
  ・号を重ねるごとに同人・会員も増え、作品も充実してきているのは悦ばしいことである。今号は創作11編、評論2編。140ページを超える。

・創作は吉田慈平「迷い道」を巻頭に、敷香高子「月の砂漠」、大森盛和「桜並木」、田村くみこ「令和二年の夏」、福島遊「2020年を生きて」、荻野央「頭の中の静かな雨、後半」、澤田繁晴「連れづれ草」、文乃彩「チーム・オレンジ」、小川原健太「曲がり街道2」、間島康子「雨女ー一葉の恋その五」、諸知徳「大王暗殺」と豊かな色どりである。以下場を変えて楽しみながら読み感想を述べたい。

   ・〒ー116-0003 東京都荒川区南千住8-3-1-1105 吉田方

                  「風の道同人会

   ・電話ー03-3806-4715

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「季刊遠近」75号(横浜市) 花島眞樹子「女友達」は読ませる才気だが・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2021年 1月17日(日)08時05分21秒
返信・引用 編集済
  ・花島眞樹子「女友達」は、夫の同人雑誌仲間だったという剣持智恵子から「ご主人居ますか」とハスキーな声で他人行儀な電話があった。昔、夫が一度は一緒になりたいと思ったらしい女性であった。帰って来た夫に電話があったことを伝えると「彼女、離婚してね。大分参ってるみたいなんだ」という。すでに何度も会って色々と相談に乗っているらしく、私の心は穏やかではない・・。さて、話はいかに結末するか・・・。そんな主婦の心理小説なのだが、この作者、女心の揺れを書かせるといいところを突いて書き込んでいるのだが、才気にまかせて筆が走り過ぎるのが気になる。細部の表現など神経を使ってほしい。

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「詩と眞實」10月号(熊本市) あびる諒「飛べ、フラミンゴ」すさまじい不良少女の日常描写のリアル

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2021年 1月11日(月)08時23分43秒
返信・引用 編集済
  ・現実逃避のため、がむしゃらに勉強して、本来なら受かるはずがない名門の私立高校に間違って合格したはいいが、勉強が難しくて授業についていけない女子高生のふてくされた日常を、女子高生の目線から描いた60枚。読んでいて吐き気がしてくるような凄まじいリアルな描写で不良少女の世界を見事に描いているのを読んで、呆気にとられながらも、その描写力の力業に感服した。これもアリというのが文学なのだ。

・母は父と離婚するとすぐに私を連れて義父と一緒になり・・・という家庭である。たまに隣町に住む父に会い、小遣いをせしめるのだが、金がないときは男の客をとって都合する不良女子高生。名門女子高生なので、同じ年齢の仲間には一目置かれているが、やることは、根っからの不良女子高生の行動だ・・・というような現代風俗小説的筆筋なのだが、人物描写の底辺に、主人公の少女のどす黒い哀しみが漂っていて考えさせられる作品であった。

・この作家、目を背けたくなるような不良少女を見事に描ききっており、力のある作家であることを認めざるを得ない。これも描写の力であり才能である。

・「文春」の12月号に石原慎太郎が「完全な遊戯」という初期の作品で女性が拉致され輪姦される話を書いたとき、文壇から袋叩きの憂き目に遭い、「あんなものを書くものではない」と言った雑誌「群像」の編集者を殴りつけ、以降、「群像」からは原稿依頼はなくなった、という話を書いていたが、江藤淳と三島由紀夫だけは擁護してくれたという話を読んでいたので、今回のあびる氏の作品も、世間からは眉をひそめられる類の作品であるが、これもアリというのが、文学作品というものであると、ことさら思ったものである。

・文学は道徳教育の範疇からはみだしたものでも成り立つものであることを知ってほしいのである。文学作品は、好きか嫌いかで判断するうちは、素人の読み。優れているか平凡かで判断するのが、文学の道の読み方である。世界文学の作品で言えば、悪魔的な主人公を好んで描いたドストエフスキーなどは、象徴的作家の一人と言えよう。一首献上。

 ・悪霊的主人公を描く作品さへ巧みであれば文学になる  石塚 邦男

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詩誌「詩霊」11号(神奈川県中郡大磯町)

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2021年 1月10日(日)13時24分36秒
返信・引用
  ・黒羽英二が「セアードー・レトキーの詩」というエッセイを書いているのが目にとまった。

   詩集「遠い野原」(1964年)の冒頭の日本語訳紹介。

   私は、永遠なるものについてしゃべりすぎたか、
   空間の親密なるものとそのすべての唄について?
   追求しなおも追求しているこれという目当てのない純粋なるもの
   飽くことなき血の荒々しい憧れのために

 ・神奈川県中郡大磯町東小磯653-8 黒羽方
    電話ー0463-61-2175
  

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塚田吉昭創作集「わずらわしい時代からの手紙」 学生の政治闘争時代の背景放射

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2021年 1月10日(日)12時51分54秒
返信・引用 編集済
  ・同人誌「カプりチオ」の主要メンバーである塚田吉昭の創作集。寄贈を受けてからかなり経ってしまったが、そのうち触れたいと思いながら一両年経ってしまったとは年月の経過の速さを思わずにはいられない。帯の謳い文句に次のようにある。


   政治闘争の季節といわれた70年。
   若者を熱狂させた学生運動。
   その中身はからっぽだったのではないか。
   そんな時代をひきずって生きるものたちの三つの物語

・その巻頭の作品が「わが愛おしの学生たち」。学生運動で大学卒業が二年遅れた主人公の叔父であったが、教員免許を取得していたため、うまいこと日本海の田舎の名門高校の国語教師に採用された。学生運動をしていたことは生徒には内緒にしてくれという条件であったのだが、どこで知ったのか秀才だが問題のある学生がそれを知っていたのであった。さて田舎教師の運命は・・という話でやや構成、文体ともに粗いが筋書きは面白い趣向。

・「過ぎ去りし われらがふたりの冬の砦」は、柴田翔の小説題名「されどわれらが日々」を髣髴とさせるので、思わずにやりとしてしまったが、作者の塚田氏はその辺も計算のうちであるようだ。日本海の田舎町で教員生活をしてきたトシオのところに、息子の吹男が女を連れてやってきた。息子は学生運動で名をはせていたので地下にもぐらなくてはならないときに、妻になるハナを連れてやってきたのである。しばらく女を預かってくれといって姿を消した。ハナは居候では申し訳ないと夜の仕事に出るようになった。共同生活をしているうちに、トシオはいつしかハナの帰りを待つ男になっていた・・・という話は「カプリチオ」の本誌でも読ん傑印象にのこって作であるが、再読してみても、これが一番気合が入った印象に残った作品である。

・「けれどもひそかに私たちはこがれる」は、これまた「カプリチオ」の本誌で読んで印象に残っていた作品。日本海の町で写真館をやっていた父はなくなり、建物だけが残った家に帰って来た男・・という話は、これまた日本海の荒涼とした冬景色とともに印象的な作品であった。一首献上。

  ・世が変り人変れども心奥の傷は癒えざり今宵は雪ぞ  石塚 邦男



  ・〒 142-0042 東京都品川区豊町6-6-17 塚田吉昭

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植松晃一詩集「生々の綾(しょうじょうのあや)」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2021年 1月10日(日)11時46分45秒
返信・引用 編集済
  ・寄贈を受けながら長く触れていなかった詩集である。作者は1980年東京生まれ、広告代理店勤務、京都のロマン・ロラン研究所の機関誌「ユニテ」に参加。後書きにロマン・ロランのように幻想を超えた誠実な生き方から生まれた作品を書いていきたい、とある。

      「ざくろの花」(第一連)


   黒い枝についた
   ざくろの花が
   ぽとり
   と
   落ちた。
   居場所をなくした
   いのちのように
   音もなく
   静かに
   ぽとり
   と


      「地獄はいつも雨」(第一連)

   地獄はいつも雨
   つみびとたちの魂が
   まっすぐに落ちて来るから
   鬼の傘に降る魂は
   音をたてて弾ける
   なぜ地獄に落ちたのか
   わからないとでもいうように


            注ー寡黙で饒舌でない詩法が読者に余韻を印象付け
              作者の誠実さや正義感を静かに訴えかけている。
              そして世の矛盾に怒りを覚えたとき突如として
              饒舌に訴えかけるのは、詩人の正義感ゆえか・・。





  ・著者現住所ー〒 134-0083
        東京都江戸川区中葛飾7-28-8-206

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川端康成と三島由紀夫のプライベートな隠れた秘密 その2

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2021年 1月 8日(金)19時32分25秒
返信・引用 編集済
  ・石原慎太郎の「文春」十二月号の寄稿文の紹介続編である。石原慎太郎は、ある面では三島由紀夫の文学を認め、その作家精神も認めていたが、文春の「三島由紀夫の滑稽な肉体信仰」と題した文章は、三島由紀夫の冷静で容赦ない人物解析、作品解析をしているものとして注目した。

・「事件自体は馬鹿馬鹿しいとしかいいようがない」として、石原氏は次のように語っている・
「常識というか、想像力が、文学では紛れもない天才だった三島さんには決定的に欠けていた・・・(省略)本当のところ、私のような人間は、彼にとって目ざわりな存在と感じていたと思う。三島さんは何事も定型的な人で、クラシックな人だった。それに対して私は不定形で行動的だし、三島さんを静とすれば、私のほうは動で、鮫のように常に動き回っていないと気が済まない性質だから対極的だった。三島さんは(私の)そういうところをとても評価してくれ、私にとってありがたい存在であり続けた。

・(私の初期の小説)「完全な遊戯」は、女性を拉致して輪姦するという話だという理由だけで、私は文壇から袋叩きに遭った。小説なのだからそんな批判を口にするほうがおかしいが、<群像>の編集長などは、小説家はあんなものを書くものではない、とバカなことを言い出したから、小説家に編集者が道徳を説くのかよ、と殴りつけたことがあった。以来、<群像>からは一切依頼してこなくなった。そんな中で、いちばん擁護してくれたのが江藤淳と三島さんだった。私も三島さんの作品が好きで・・・。「春子」とか「山羊の首」は文句なしに素晴らしいと思う。中でも「禁色」をただただ感心して読んだ記憶がある。あるとき「君は僕の小説で何が一番おもしろかった?」と尋ねられたから「禁色」ですね」と応えたら、三島さんはゲラゲラ笑い出した。「あんなものは駄目だ。キミ、あれはケレンだ、ただのケレンだよ」と笑い飛ばしていた。


   ・この石原慎太郎の三島由紀夫との交流記録は
   三島文学と石原文学の差異と共通項が読み取ら
   れて興味の深いものであった。皆さんも一読を。

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川端康成文学と三島由紀夫文学のプライベートな隠れた秘密

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2021年 1月 8日(金)03時13分44秒
返信・引用 編集済
  ・三島由紀夫は川端康成のノーベル文学賞受賞に陰ながら推薦して貢献したらしいが、それは川端康成の存在に大いに尊敬の念を持っていたためのようだ。ところで、「文芸春秋」昨年十二月号の石原慎太郎の「三島由紀夫の死から五十年」の寄稿文によると、川端康成は、三島由紀夫文学をさほど評価していなかったみたいだと石原氏は次のように語る。

・川端さんが三島さんのことを高く評価して師弟関係だったというが、私が印象的だったのは、川端さんが実は三島さんを嫌っていたことだった。川端さんと電車で一緒になった時「石原さん、あなたみたいな人は私の作品を読んでくれてますか」と聞くから「好きですよ。僕は人がいうみたいに<山の音>とかいうより最近の<みずうみ>がいいですね。ああいう訳の判らない小説は気持ち悪くて好きです」と言ったら、「ああ、そうですか、実は私もあれが好きです」と。

・ところが、三島さんは違った。私が<みずうみ>を評価したら「あんな不定形なドロドロした作品のどこがいいんだ」と言う。「不定形だからいいんじゃない。あなたみたいな定型的な小説はすぐ飽きられちゃいますよ」と言ったら憮然としていた。
 そのことを川端さんに伝えると「アハハ、あの小説は三島君には絶対に無理です。絶対に無理」。「絶対に無理」と二回も繰り返したのを覚えている。さすが、そのことは三島さんには話せなかった。何と言ったらいいか、実際には無残な師弟関係だった。

・以上のエピソードは示唆的である。川端文学と三島文学は、相容れない壁があったのであるが、さて、一般読者、文学愛好者は、このエピソードを読んで如何に感じるであろうか。

 

「風の道」14号

 投稿者:小川原健太  投稿日:2021年 1月 7日(木)20時35分32秒
返信・引用 編集済
  根保様

あけましておめでとうございます
このところ掲示板の書き込みが滞っていますが、年始でゆっくりしているのだろうと推測してます。苫小牧は雪は多いですか。先日、TVで留萌の吹雪をみた。白黒テレビのような灰色の画面がなんとも懐かしかった。

「風の道」14号をお送りします。先月初めにはできていたのですが、年末年始なにかとご多忙かと、また私の方もばたばたが重なって、送りそびれた。というより、このコロナ禍で、合評会はこの20日〆の感想文の紙上合評のみ。前号もそうだったし張り合いが抜ける。拙作「曲がり街道」(二)」でいえば、テーマが変わってきたというか、方向感覚が失われてうろうろしている感覚。連載物となると、前号で見ていなければ、中途の(二)からは読む人はまずはいないだろうし、つまり同人以外には読まれない。毎度のことではあるが。そんなこんなで意気阻喪、だれにも送らないでしまった。

 東京のコロナ、今日2447人。知人も罹った。そんなこんな思い屈すると無性にタバコが喫いたくなる。根保さんのように度胸をきめて喫ってる男を単純に羨ましくたいしたものと思う。高校生のとき、数人で隠れて喫ったときの感覚が思い出される。教師に見つかってと…と書いたのだがカット。本文は、雑誌に同封するつもりが、今度は印刷機が不調。それでカットして、この板にのせることにした。拙作に関しては、容赦のない読みをしていただきたく。
 本年もよろしくお願いします。

 

「カプリチオ」51号(東京都)その3 老婦人の友人同士の絶妙の会話は、桂城和子「霧笛」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年12月31日(木)13時16分43秒
返信・引用 編集済
  ・桂城和子「霧笛」は、70をとっくに過ぎた老婦人同士の細やかで明るい付き合いのありさまが、街の的確な環境描写とともに、おしゃべりの絶妙の会話を描いた作品で読ませる。

・コロナ騒ぎで中止になっていたそのコーラス講座が久しぶりに再開し大声を出したあと、行きつけの店でランチ定食を食べながら、生涯独身の私は、依子の子ども時代の話に耳を傾ける。中国の大連から引き揚げて来た6歳の依子は、引き揚げ船の船底で霧笛を聴いた記憶がある。船で亡くなった子が沢山いたらしいが、水葬にするとき、亡くなった人の歳の数だけ汽笛を鳴らすという話がいつからか信じられていて、子供心に汽笛の回数を数えたものだという体験を持つ依子は、最後の旅は豪華船で世界を一周して死にたいと思っている。ご主人はどうするの、と尋ねると、私が先に死ぬのだから、そこまで面倒みられない、あとは好きにするんじゃない?とあっさりした言い方だ。

・生涯独身の私に依子は何を話しても良いと思っているらしく、夫婦の愚痴をあからさまにぶちまけてくれるのだが、その日依子のスマホの呼び出し音が鳴り「あなた、ちょっと一緒に来てくれない」と気色ばんで依子は言った。急ぎ足の依子の後を追って人混みを縫って行くのは大変で息が切れるほどだ。依子のダンナが女に騙されて金を振り込んだらしいという。その振込先は同じ町内の女だという。さて、結末は・・・という話は、スリラー小説の短編を読んでいるみたいで、この女流作家の特異な小説の仕掛けを楽しめたのである。


・冬野良「仁王」は、NHKのレ・ミゼラブルのドラマを観た感想を述べるエッセイ的イントロから説き起こして、作者の私小説的回想を物語る内容なのだが、田舎の小学校低学年の生活ぶりなど、残酷な子供時代の苛めの問題とからめた味のある私小説である。子供とは純粋、無垢だという一般の観方は、一方では宜うにしても、子供は残酷なことを平気でするものだ、ということを学んだ作者の人生訓が印象的である。この「レ・ミゼラブル」の内容と作品感想を述べた後、作者(または主人公)は、40年前に外越の安アパートに住んでいたころの貧しい青春時代の回想に入って行く。ある日商店街の古書店に入って一冊の本を買い求めた。部屋に帰って本を開くと、最初の方に、閂という字があり、それに(かんぬき)とルビが振ってあったのを思い出す。・・・・こういうところが印象的なので、読者は、思わず先を読む気になるのである。

   私が生まれ育ったのはG県西部に位置する山間の部落だった。
   当時は保育園も幼稚園もなかった。いったい6歳まで家でなに
   をしていたのだろうと今思い出そうとしても、まったく何をし
   ていたのかはっきりしない。家で本を読んだ記憶もないし、父
   親や母親から字を教わったという記憶もないから、きっと漫画
   本も読んだことはなかったと思う。というより読めない。ただ
   絵を見ていたのかもしれない。テレビもなかった。そんな子供
   が6歳になって突然、歩いてたしか一時間近くかかる小学校に
   行くことになり、期待とは裏腹に野蛮な子供も跋扈する小さな
   野獣の群れの中に放り込まれたのだある。

・以上のような幼少期の思い出に筆が及んで行くのであるが、その筆筋が子供世界の残酷さと無垢に彩られた幼少年期を回想する苛めの世界を描き、子供の無垢の世界の残酷体験を語って、「レ・ミゼラブル」の悲惨な物語の印象と連動させる筆筋に、読者は考えさせられるであろう。

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海25号続き エッセイ  くわらあん

 投稿者:高岡啓次郎  投稿日:2020年12月29日(火)17時48分32秒
返信・引用 編集済
  くわらあん 上水敬由

 今年九州を襲った台風の体験を下地にして、かつての地震や豪雨災害にふれる。今回の避難についても妻の忠告に従って行動したわけだが、それは4年前の熊本大地震のときに一度避難したあとに家に戻ろうとしたとき、まだ戻らないと言った妻の用心深さのおかげで命拾いしたことがあったからだ。そのときは二回目の揺れが最初よりもさらなる激震になり、ベッドの上に無残にも家具が倒れていて、もし戻っていたら命の保証はなかったことになる。著者は言う。「人間、怖がるべきときには怖がった方がいいのだ」と。
 避難先のホテルでは外に大風が吹き荒れていて、どこからともなく「くわらあん」と聞こえたという。それは繰り返し耳をかすめる。それは大災害にみまわれたときの人間の脳が起こした一種のパレイドリアであったわけだが、こうした錯覚は人の世にしばしば起きる。太宰治の小説にある『トカトントン』を思い出した。敗戦後の虚脱感を幻聴で表現した作品だ。上水さんのエッセイもその着眼点は面白い。しかしエッセイにもフィクションはあっていい。作者がこのある種の幻聴のさいに深い思考の淵に落ちていく。あるいは過去のある場面にとらえられていく。そんなことも書き加えたら、さらに面白い読み物となり、一遍の小説にもなり得るかもしれない。
 

井本元義さんの詩集の購買先を

 投稿者:根保孝・石塚邦男  投稿日:2020年12月29日(火)10時16分41秒
返信・引用 編集済
  高岡さん、詩集の購買先をコメントの最後に紹介願います。よろしく。

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井本元義の第4詩集『虚日の季節』は完成度の高い言葉の彫刻である

 投稿者:高岡啓次郎  投稿日:2020年12月28日(月)20時01分2秒
返信・引用 編集済
  虚日の季節  井本元義 福岡

 いい文章とは、思わず朗読したくなるものをいう。声に出して何度も繰り返す。味わいがあり、響きがあり、思考を刺激し、心にそっと降り積もる。さまざまな香りをともない、読む者を異空間に連れていく。普遍性を持つ詩は年齢や性別を超えて人を感動させる。小説を書く人はそこからインスピレーションを得るだろう。シナリオを書く人はドラマを生み出すヒントを見つけるに違いない。私が最近手にした井本さんの『虚日の季節』はそんな詩集である。希望する人には作者の連絡先を教えよう。あなたも手にとって読むがいい。閉じていた人の目は覚醒し、目覚めていた人には深い眠りを提供するかもしれない。いい詩とはそういうものだと私は思う。詩集の中ではパントウムという詩の技巧も使われ、音楽的なリズムもあってなかなかいい。詩の勉強をしたい人は入手して読まれることをおすすめしたい。


購入希望の方は楽天、アマゾン通販にて購入できます。書名を検索していただけると分かります。作者と直接コンタクトを取りたい方は下記に連絡なさって下さい。

813-0025 福岡市東区青葉6-7-4 井本元義  090-3075-5701
                          
 

「季刊遠近」75号(横浜市)

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年12月27日(日)06時42分48秒
返信・引用
  ・編集者が代わったためか、発行所が横浜に。精力的な季刊発刊は相変わらず。小説は花島真樹子「女友達」ほか、難波田節子、浅利勝照、山田美枝子などの作品が並びコロナ騒ぎのなかにも勢いがある。後ほど触れたい。

http://6928.teacup.com/377612377612/bbs

 

高岡さんお久し振りです

 投稿者:根保孝・石塚邦男  投稿日:2020年12月25日(金)15時57分22秒
返信・引用
  「「海」私のところにも送って来ました。
時間がとれましたら、感想を書かせて頂きます。

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海(九州)25号

 投稿者:高岡啓次郎  投稿日:2020年12月25日(金)08時55分27秒
返信・引用 編集済
  あだし野へ  有森信二

 久しぶりに深い比喩が生きた小説に出逢った。「あだし野」は無情で悲惨なこの世をさす仏教語だ。京都にはその名を取った地名もある。
 福岡に住んでいる浦松丈助は大学の事務方に長年たずさわってきたが、まもなく定年を迎える。試験問題の用紙を大蔵省印刷局まで取りに行くという責任と緊張をともなう仕事を何十年もしてきたわけだが、この人がかかえている心の闇がページが進むにつれて明らかになっていく。半年前に長崎を襲った大雨によって家族三人を亡くしていたのだった。長崎にいた母親と、そこを訪れていた丈助の妻と身重の娘がまきこまれてしまった。時代背景からいえば、この災害は1982年7月23日の災害をさすと思われる。二九九名もの死者を出す大惨事だったが、本人は大学内のトラブルがあるという誤報で家族と一緒に長崎に行かなかったために生き残ってしまう。
 実は彼には世界があだし野に映るもうひとつの鮮烈な記憶がある。23歳の時に長崎の原爆を体験しているのだ。そのときすでに博多に来ていたから本人は助かったが、父親は亡くなっている。街がない。100%の死。そんな表現も出てくる。つまり丈助にとってこの世は何重もの意味において「あだし野」なのである。
 小説の最後は丈助が京都の嵯峨野を訪れる場面となる。目的地はあだし野にある念仏寺。そこで彼は時空を超えた霊的な体験をする。浮遊したまま気がついたら墓石に囲まれている。そこで彼は死者たちの苦しみを生で感じ取る。ぼくたちには墓がない。本人が見た夢の中の誰かの叫びも浮かんでくる。この小説は秀作に違いない。
 

「群系」44号(東京都)最終感想 永野悟「東京自叙伝」の名もない民衆の生きざまに目線を向けた感動 

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年12月20日(日)05時38分17秒
返信・引用 編集済
  ・主宰者の永野悟氏が次号発刊を前に入院されたということで、同人一同心配しているようだが、長く腎臓の病で透析をしながら雑誌発刊に情熱を傾けている姿には頭の下がる思いで雑誌を拝読してきたものである。全快を祈念しながら、44号誌の作品に改めて眼を通してみた。

・奥泉光「東京自叙伝の構造」と題した60枚に及ぶ力作。文庫本で450ページにも及ぶ「自叙伝」は、150年に渡り、東京(江戸)に住んで自己中心的な生き方をした、偉人伝でもなければなんでもない変な人物の生き様を拾い取った内容のようだが、なぜ作者の永野氏がこの作品をあえて文学の評論誌である「群系」において取り上げたのか、その真意を正確にくみ取ることができず、コメントを差し控えて来たのだが、永野氏が病に伏していることを知って、何となく読み返す気になったものであった。

・通読し終えて永野氏がこの作品「東京自叙伝」を取り上げて書く気になった動機が、改めて分かったような気がした。名もない民衆の生き方が、江戸を支え東京を支えて時代の歴史を刻んできたことの意味、歴史上は名もない無名の民衆こそ時代を支えてきたことを、作者の永野氏は無言に読者に語りかけていることを知り、なぜか読後に感動の細波がたったものである。

 ・歴史上名もなき者の足跡に心魅かるる文士が居たり  石塚 邦男

http://6928.teacup.com/377612377612/bbs

 

・「御知らせ」単行本、同人雑誌は以下の住所に送付を

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年12月18日(金)06時55分53秒
返信・引用 編集済
  ・新刊の単行本、同人雑誌の送付は以下の住所に送付を。
    佳き作品、ユニークな作品については、この場で感想を披歴しております。


 〒053-0011  苫小牧市末広町1-12-1-920 根保 孝栄方

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「苫小牧市民文芸」62号(苫小牧市)その8 古代の道を歩く貴重な探査は、千葉恒雄「山の辺の道を歩く」、森山弘毅の貴重な作家・中野重治の足跡探査の新資料「中野重治の1946年北海道」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年12月15日(火)02時37分56秒
返信・引用 編集済
  ・「苫小牧市民文芸」は、このところ同人雑誌に所属しない専門的なまとまった仕事が掲載されるのが目立っているのはなぜか。理由を突き詰めると、同人雑誌の魅力が失せたことにもあるようだ。また、同人雑誌主宰者の魅力が失せていることにもよるであろう。最近の同人雑誌は、文章教室的な集団が多いため、文学の神髄を語り合う場としてのサロンの場、空間としての機能を果たせなくなっているのではないか。それゆえ、良き書き手が同人雑誌に集まらないのではないか。つまり、現在の同人雑誌は昔と違って軽く見られているようだ。

・いずれにしても、最近の「市民文芸」には、一匹狼的な専門的な研究者、文学探究者、書き手が投稿しているのが目立つのである。一方で、文学とは無縁の人生を歩んできながら、ぜひとも専門分野で書き残したいものがある、として投稿してくる者もいるのである。

・千葉恒雄「山の辺の道を歩く」は、奈良の春日大社から桜井の大神神社までの約30キロのうち、大神神社から石上神宮をめざす道程を古代史を頭に入れながら散策する随想50枚の楽しい力作随想である。筆筋からすると、この原稿の古代の探査は、まだまだ続きそうな様子で、来年の「市民文芸」も楽しみである。

・作者の千葉氏は、元商工会議所に勤めながら、実家の千葉旅館の経営に携わり、地権者を集合して新しい都市ホテルを経営してきた企業人である。青年時代から絵画、古美術に興味を持ち、一時期は画廊も経営する経験も持つ洒落たお人柄で、商工会議所の職員時代は、中小企業診断士の資格を持って、企業の相談に応じていた異色の存在。

・現在、時間があると、仕事を抜きにして日本各地の古美術、建造物の鑑賞探索をしている奇特な人物である。


・森山弘毅「中野重治の1946年北海道ー全集未収録の事蹟寄稿に寄せてー」は、昭和初期の作家として有名な中野重治が北海道に残した足跡の再確認を行っている文学史上学術的に貴重な探査研究である。森山氏は釧路公立大学の名誉教授で元苫小牧高専教授ついう経歴の持ち主で、言わば文学の専門研究者であり学究の人という存在。そういう人物が市民文芸に投稿してきたのは、過去稀有のことであった。この作品内容については、稿を改めて触れてみたい。

・なお、短詩部門についての感想は、「根保孝栄の文芸掲示板」にアップしているので、そちらを参照してほしい。

    ・「根保孝栄文芸掲示板」は以下に。

     http://6909.teacup.com/nebo/bbs

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「カプリチオ」51号(東京都)その2 男女の彩を見事に描いた加藤京子の「春に訪れるもの」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年12月10日(木)10時22分54秒
返信・引用 編集済
  ・加藤京子「春に訪れるもの」の主人公の周造は、齢八十の男。五十年続けたクリーニング業を息子の周一に譲り山裾の別荘を買ったのは十年前。その別荘で目覚めた場面から始まる小説なのだが、細やかな環境描写が読者を魅了する。アレが猛威を振るっているので、人のいない山の中なら安心かと別荘生活を始めた主人公なのだ。自宅近くの介護施設で集団感染が起き、娘の真由子から「事態が収束するまで別荘にいるべきよ」と言われ、しびしぶ山中の別荘生活になったのだ。ここで、コロナ禍のことをコロナと表記せず、<アレ>と表記したところだけでも、この作者のセンスが読み取れるのである。

・この別荘生活を八十代の男である主人公の目線から細やかな心境描写と自然描写として描くところがなかなか優れていて味があり文学的に読ませるのである。

・心配は娘の真由子だ。起業家の夫と別居して二年。息子と娘を引き連れて戻って来た。亭主は妻子を連れ戻しにも来ず馬鹿高い学費をきちんと振り込んでいるところをみると、この別居状態が都合がいいに違いない。娘の真由子にはこっちから離婚届を突きつけてやれ、と言ってやるが、真由子は「無責任なこと言わないで」と返してきた。そんな真由子から「ちゃんと薬飲んだ?」などと、ひっきりなしに携帯がかかってくる。

・四十四年前、周造が三十五歳のとき、ようやくクリーニング業も順調になり、子供二人が可愛い盛りになったころ、行きつけの飲み屋に仲間と行ったとき、姉御肌の女将を手伝う二十代半ばの女の子チカに出会う。軽いノリで、「夜桜でも見に行こうか」と誘ったのがきっかけで男女の関係になってしまう。

・チカと話しているうちになかなか学のあることも言うと思ったら、元は学生活動家で教師もやっていたという。なぜ、こんな場末に流れ着いたのか・・。それが、この小説のもうひとつの陰影を彩っているのだが、クリーニング店に住み込みで入った周造の半生とチカとのギャップが、この作品をさらなる立体的な味わいを深めていているのである。

・周造の青春も紆余曲折している。高校生のときは、お前なら甲子園で実力を発揮できる。間違いなくプロへも行けると野球部の顧問やコーチにおだてられ、その気になって練習に励んだが、県大会の準決勝でまさかの敗退、今度は掌返したように後援会に顔向けできない、校名に泥を塗ったなどと言われ、そこで初めて自分は彼らの名を売るための道具でしかなかったことに気づかされたのだった。

・周造は、週に一度家族に飲みに行くふりをしてチカのアパートに通った。その場面の描写を紹介する。

    出会った頃は何かを秘めているように見えたチカだったが、
    実際はとことん自分に正直で、事のあいだに互いの快楽を
    高めようと努める様子は熱心を通り越し、けなげですらあ
    った。そんな夜周造は自分が年上の妻帯者であることを忘
    れどこまでも従った。また別の夜にはチカはすべてを周造
    に委ねてあくまでも従順になり、そこから得られる感覚を
    波間にたゆたうように享受した。そんなふうにして最後は
    ともに解き放たれ、別れ際には電気を消した戸口で、互い
    を労わるように無言で抱き合うのが習慣になった。周造は
    自分もチカも堕落したとは少しも思わなかった。むしろ出
    会うべき時に二人が天啓のように出会い、互いに求めてい
    た相手を得たのだと思った。それと同時に、チカのような
    女を手元にずっと留めておくことは不可能であり、遠から
    ず別れが来ると、どこかでわかっていた。

・やはり世間は黙っていなかった。飲み仲間とは口裏を合わせていたが、二人の関係はいつしか世間に洩れていった。おそらく飲み仲間が言いふらしたのだろう。ある日店に入って行くと、女将が「ね、あんた、道を違えている自覚あるの?」と厳しい顔を向けて来た。チカは店を辞めてしまう。チカの話だと、女将は周造に好意を寄せていて、チカが付き合うのが面白くなかったらしい。チカは「あなたの人生から身を引きます。あなたは奥さんと子供さんのところへ帰る人です」といい、あっさりと去って行ったのである。

・それから何十年経った今、別荘に住んでいる周造の携帯に息子の周一から電話があった。
チカさんという人が訪ねて来たので、電話かわるから、という・・・。

・周造は、人生の様々な局面に立ったとき、そのチカをよく思い出すのだ・・・という話なのだが、この小説の主人公は、チカという女の子であることを読者は読んで行くうちに理解するのである。そして、この周造とチカのやり取りの陰影が渋い形で描写され、秀逸なのである。道ならぬ男女の細やかな情愛をしみじみと明るく描いた作品は既成作家の作品でも珍しいもので、ましてや同人雑誌の作品ではほとんど見当たらず、そんな意味合いでも印象深いものであった。

・チカは、あの女将と同居し一緒に住んでいたが、ひと月前その死を見送って、この街が懐かしくなって訪ねて来たという・・。そんなエンディングの小説に、最後に読者はほっとするのだが、男女の機微が描かれたエンディングであった。作家として力がありセンスもある女流である。

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「カプリチオ」51号(東京都)その1 高水準の作品が並ぶ。

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年12月 6日(日)08時54分40秒
返信・引用 編集済
  ・加藤京子「春に訪れるもの」は、妻子あるクリーニング屋の主人と元学生運動家で元教員の女性との愛情の絡みを描いたものだが、女流作家の作者が男心を見事に書けている点では出色の作品であろうか。詳細は後ほど。

・特集として「パンデミックをよそ目に詩を語ろう」という企画は、作者それぞれ個性的な作品の取り上げ方で、詩に対する理解も思い入れも深く、なかなか楽しめる内容で詩を愛する読者にも刺激的で示唆的な内容であろう。これも後ほど詳細に。水準の高い同人を抱える同人誌で一読感服した。

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老害晒す

 投稿者:匿名  投稿日:2020年12月 5日(土)00時51分18秒
返信・引用
  このジジイ、前科10犯のゴミでJCレイプの常習犯
危険運転や日常でストレス発散に暴言暴行
生きる価値ない老害。
拡散お願いします。
 

オフコース「さよなら」の曲  もうすぐ冬ですね

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年12月 4日(金)07時50分29秒
返信・引用 編集済
  ・70年代の初めかな、オフコースの「さよなら」の曲が好きだったな。
人に限らず、「さよなら」を言ってきたものが多かった時代だったからかもしれない。

  もうすぐ外は冬だ・・歌詞がよかった。


     「さよなら」

  もう終わりだね君が小さく見える
  僕はおもわず君を抱きしめたくなる
  「私は泣かないからこのままひとりにして」
  君の頬を涙が流れて落ちる

  「僕らは自由だね」いつかそう話したね
  まるで今日のことなんて思いもしないで

  さよならサヨナラさよなら
  もうすぐ外は白い冬
  愛したのはたしかに君だけそのままの君だけ

  愛は哀しいね僕のかわりに君が
  今日は誰かの胸に眠るかもしれない

  僕がてれるから誰も見ていない道を
  寄り添い歩ける寒い日が君は好きだった

  さよならサヨナラさよなら
  もうすぐ外は白い冬
  愛したのは確かにきみだけ
  そのままの君だけ

  さよならさよならさよならさよなら・・・・




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田中英道は、昔、「東大文学」で小説を書いていた

 投稿者:根保孝・石塚邦男  投稿日:2020年12月 4日(金)07時22分7秒
返信・引用
  ・東北大学の名誉教授で美術史家、哲学者の田中英道は、私らが学生同人雑誌をやっていたころ、「東大文学」という同人雑誌で小説を書いてましたね。名前記憶してます。当時が懐かしいです。

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「苫小牧市民文芸」62号(苫小牧市)その7 随筆の味わい 影絵のような青春の揺らぎを描いたのは出口明彦の「バッドカンパニー」、古代日本社会の背景を暗示する山上正一「私の万葉集ノート・手古奈考」は漢字文化圏の比較文学の対象として注目

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年12月 3日(木)01時15分50秒
返信・引用 編集済
  ・随筆は11編。この中で出口明彦「バッドカンパニー(I君への手紙)、山上正一「私の万葉集ノート(手古奈)小考」が、テーマ、モチーフをしっかり捉えて独自の筆筋を披露していた。

・出口明彦の随筆は、北大の学生時代、旧い木造アパートに住み、童話研究会の活動をしていた当時、精神的な影響を受けたI君の思い出なのだが、文学へ眼を見開かれたのはその友人の影響であったことを懐かしく回想する筆筋が味のある一編になっていて印象的であった。この文章は、短歌や俳句部門の平板な作品よりも、はるかに精神的に高尚であり哲学的であることを再確認してほしいものである。選者がそれを見抜けないとしたら、選者諸氏は余程<文学>の神髄を理解していないということであろう。文学関係の学者が必ずしも文学を理解しているとは限らない例証をここに見た。

・山上正一の作品は、随筆というよりも堅物エッセイ(評論)の性格を持つだろう。万葉集の作品には手児名(手古奈)を題材にした作品が多くみられるが、その謂れとルーツをたどる力作エッセイで探査好きの作者の深入りしてのめり込む姿勢がしつこい位の厚みある探査として浮き彫られて読み応えがあった。ただし、あえて付け加えると、万葉集は漢字で記されているので、読みようによっては、漢字文化圏の朝鮮語でも読めるし中国語でも読めるという立場もあるということである。日本語読みだけがすべてではないことを頭の隅におくことであろう。

・古代の日本社会・文化には、大王による統一後、飛鳥、天平・奈良・平安と朝鮮半島、中国の先進文化を取り入れ、大陸の刺激を受けて発展して来た。ゆえに遣隋使、遣唐使の公的交流のほか、記録に現れていない私的な交流が盛んに行われ、大和の国の都には、朝鮮諸国、中国諸国の人脈があふれており、平城京、平安京の都の人口の三分の一は半島、大陸の人種であふれた国際都市であったのである。

・故に貴族社会では、中国語、朝鮮語を書き話すのが当たり前の上流社会であったのである。そういう時代に編まれた万葉集は、漢字文化圏で育った者がすべて読めるように中国語でも朝鮮語でも読める「万葉集」の記述方法を選択していたことを忘れてはならないだろう。いい例が空海、最澄の中国留学の事例である。最澄、空海は留学前から中国語も朝鮮語も日本語と同じくらいに堪能であったのである。そうでなければ大陸に留学しても学ぶことができなかったはずだ。つまり、最澄、空海は日本に居た時から外国語堪能な国際人であったということである。

・また、古代において都を頻繁に遷都したのは、大陸からの疫病流行により、これを避けるためが主目的であったという新しい見方が、最近クローズアップされているのも注目に値する。新型コロナの流行は、国際交流が活発であった古代日本社会でも宿命的災難であったのである。いずれにしても、山上正一の「万葉集」の論考は、文学の問題にとどまらず、古代社会のありよう全般に広く問題提起する論考であったことで市民文芸という閉ざされた場に貴重なものであった。

・注文ひとつ。評論または堅物エッセイを発表する場合、大学の紀要方式の調査物の文体と一般の文芸評論の文体は区別して書く意識がほしいということである。文芸評論の文体は、意識的に文学的な文体を構築する意識で書く必要がある。つまり、一般に分かりやすい随筆的な平易な文体を選択すべきだろう。それも表現技術の巧拙の問題である。


 ・青春の影絵を映す作品と古典探査の足取り読みたり   石塚邦男


   ・なお、短詩部門の感想は「根保孝栄の文芸掲示板」に掲載しているので、
  そちらを参考に。

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「苫小牧市民文芸」62号(苫小牧市)の詩部門の感想の続きは「根保孝栄の文芸掲示板」の場で公開

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年12月 2日(水)23時46分23秒
返信・引用 編集済
  ・「根保孝栄文芸掲示板」のURLは以下に。

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「じゅん文学」104号(名古屋)その1 眼をそむけたくなる異様なリアリズムの迫力は飯田労「破れ蓮」の母親殺し 作者への批判も出てきそうだが・・問題提起の作品

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年12月 1日(火)22時17分35秒
返信・引用 編集済
  ・飯田労「破れ蓮」は、まず、題名からしていい。(やれはちす)と読むらしい。

・バアバを殺してしまったのだが、その遺体をどこに捨てようかと思案している私・・。という恐ろしい話である。シゲという名の婆さんなのだが、近所の人たちはまだ生きていると思って「シゲさん元気かい」なんて挨拶代わりに問いかけてくる。私は「足腰が弱ってきたけれど、相変わらず食欲だけは人並みさ」と応えることにしていた。私は、遺体を溜池に沈めようとしていたが、とりあえずはレンコンを作る蓮池に埋めることにした。このように筋書きをたどっただけで、まともな話ではないことが分かるが、新聞の事件記事とは違って、小説の形になっているからなお怖い、という感想。かなりの書き手のようである。

・バアバは私の母親だ。農業が嫌で鉄工所に就職した私が結婚し実家に同居したのだが、父が亡くなって、バアバと妻の間が険悪になった。バアバは昼から酒を飲み妻に嫌味をいう女に豹変した。そして、意味不明のことを言い出す女になった。医者の診断では、ルビー小体痴呆症だという。徘徊が始まり暴力を振るうようになり、汚物をまき散らすようになって、持て余した妻は娘を連れて家を出て行った。姉も最初のうちは、よく見舞いに来ていたが、そのうち間遠になり、顔を出さなくなった。

・湯船で溺れかけたバアバを慌ててたすけようとしたとき、殺意が兆しバアバの身体を湯船に沈めてしまった。正気に返って、さて後始末をどうするかと考えたあげく・・という話はリアルで凄まじい話で眼をそむけたくなる迫力である。

・こういう恐ろしい話を書けるのも、ひとつの才能で注目した。ドストエフスキー的、悪霊的人物としてではなく、善意の男が止むを得ない状況に陥り、母殺しをしなくてはならない極限状況に追い込まれていく話なのだが、注目の作家であろう。

・この作品は、別の意味で作品のモラル、作家のモラルの問題に波紋を投げかけるだろう。モラル以前に、読者によって好き嫌いがはっきりする部類の作品だろう。

・と言うのも、母殺しという凄惨な出来事を作品化した作者の書き手のモラルに対する批判の目線が当然湧きおくることが予想され、作品の質の問題にも言及されるということである。ここまで書いてもいいのか、という嫌悪感を覚える読者に、作者はいかに弁明するか、それは、小説技術以前の課題もでてきそうである。その意味でも、問題提起の作品であろう。

  ・吐き気する場面描写に辟易するも迫力ありし母殺しとは   石塚 邦男

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ドイツテレビ映画「Babylon Berlin」主題歌「Zu Asche zu Slaub 」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年12月 1日(火)07時40分17秒
返信・引用 編集済
    「Zu Asche zu  Slaub」ーBabylon Berlin主題歌ー


  灰は灰に 塵は塵に
  光は奪われたが 終わりではない
  最後に奇跡はきっと起きる

  絵空事かもしれない 雲をつかむような話だけど
  結末は誰にもわからない

  壁の時計をごらん 砂に まで埋まっている
  その手を私に委ねて 共に永遠になろう
  さあ、選択の時が来た
  暗くのはざまに追いやられても あなたを許そう
  あなたの死は近い それでも視界は冴えている

  私が見えるか 準備はできている
  不滅なものを 共に探しに行こう

  絵空事かもしれない 雲をつかむような話だけど
  結末は誰にもわからない それでも視界は冴えている
  あなたの死は近い

  私が見えるか 準備はできている
  不滅なものを 共に探しに行こう


       注ー好きな歌です。最近のヒットだと思います
         何よりも、哲学的な歌詞とニヒルな曲想が
         詩的な幻想の世界に誘ってくれるのがいい

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「弦」106・107号(名古屋市)その2 静かな感動を届けてくれるベテランの筆筋

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年11月28日(土)00時52分43秒
返信・引用 編集済
  ・国方学「母さんの生まれた日」は、母さんが亡くなったとき、父さんのところに行けてよかったね、という気持ちで、父の亡くなったときとは違う気持であった。20年前父が亡くなったとき、まだ娘気分の残る30歳そこそこであったためか、突然のことで言い知れない喪失感を味わったものだ。そんな主人公の気持ちを描いた作品は静かな筆筋なだけに印象的である。

・木戸順子「庭先デリバリー」は、夫が亡くなった後、ひとり暮らしになったアパートから一戸建ての家に住みたいと思っていた矢先、高校時代の友人の家の隣にいい家が見つかり、引っ越して4年。今では彼女のために得意の料理の腕を振るって届ける親密な関係にある・・そんな日常を淡々と語る筆筋は、ベテランらしい味のある風情で読者を魅了する。

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