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「じゅん文学」100号記念号(名古屋市)

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 2月20日(木)17時07分19秒
返信・引用
  ・昨年の7月に記念号を出したのだが、昨年夏から多忙を極めて触れる機会がなく過ぎてしまったことであった。この場でお詫びし改めて触れたい。

http://6928.teacup.com/377612377612/bbs

 
 

「群系」43号(東京都)その4 貴重な史料開示は、相川良彦「史料・対ソ諜報戦の実態を伝える兵士の回想記」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 2月19日(水)19時20分48秒
返信・引用 編集済
  ・名和哲夫「近代文学七人の侍」は、戦後の日本文学を主導した同人誌「近代文学」とその周辺の人脈、動きを総覧した内容で、十数枚に要領よくまとめた。「近代文学」の雑誌の存在の意味を知らない若い人たちへの良きガイドになっている。また藤枝静男の連載四回目の力作連載は注目すべき仕事である。学生時代に、文学の指導を受けたのが佐々木基一さんであったので、この辺は私にも興味があるところである。

・荻野央「梅崎春生と戦争」。第一次戦後派世代の梅崎の文学は三期に分けられるが、三期の死ぬ直前の代表作「幻化」を中心にした感想。

・坂井瑞穂「谷川雁ー<びろう樹の下の死時計>に記された孤島」。詩人の谷川雁が孤島に一ヶ月滞在した見聞記についての感想という珍しいところに着眼した内容。

・井口時男「追悼句による室井光広論のためのエスキース」。亡くなった室井が主宰していた雑誌「てんでんこ」にまつわる井口の惜別の文章。室井の俳句を紹介しながら、彼と雑誌の周辺を語る内容は惜別に満ちている。

・相川良彦「史料ー横田千吉郎<わが青春の半世紀>」。対ソ諜報戦の実態を伝える一兵卒の回想記」は、義父の諜報活動の実態を当時の戦況紹介とともに描いた史料開示の力作で読み応えあるもの。文学史料とは異質ながら、時代の証言として貴重なものだろう。私の伯父もシベリア抑留体験者だったので、個人的にも身につまされた。

 ・日本軍の諜報活動いかなりし時代の証言つぶさに読めり  石塚 邦男

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「海峡派」147号(北九州市)

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 2月18日(火)22時31分4秒
返信・引用
  ・都満州美「リカバリー・ルーム」は、手術で入院し退院するまでの詳しい描写。この作家はかなりの書き手であったと記憶しているが、この作品も詳細なリアリズム描写で一般には参考になる。

・松本義秀「遥子と翔平」は連載9回目。長い年月の男女の愛の相克劇であるが、作者の思い入れが伝わる力作ではある。

・詩作品は若窪美恵「忘却」、山口淑枝「記憶に」、さとう ゆきの「前夜」、池田幸子「初秋の日々に」の4編。このうち目に止まったのは、さとう ゆきのの作品。会話調の詩語が生きている。山口淑枝の作品も新鮮な描写が光った。

  ホリクリカエサレテ/ながれひきがえる//珍しや/わたしがいうと/じろっとみて(前夜)

  楕円のテーブルから/ひらりっ/落ちたものがあった//  あっ/さっきのひらりっ(記憶に)

    北九州市八幡西区岡田町11-10-510  若窪方

       tel 641-9411

  

http://6928.teacup.com/377612377612/bbs

 

文芸百舌です。

 投稿者:坂之上 千代  投稿日:2020年 2月18日(火)09時12分42秒
返信・引用
  ご批評、ありがとうございました。
耳の痛い所を、正に衝かれました。私の旅行記は、
中途半端になってしまい、反省も悔やみも多い作品となってしまいました。
が、書かねば、の思いが強く、「姉妹の枠」に些か捉われています。
根保様のお言葉通り、いっそ、小説にすべきでした。
少々厄介な姉・妹という序列(?)が邪魔をいたしました。
 私の住所記載ですが、郵便番号を、訂正させてください。
          〒573-0153  です。   すみません。
 雪が続くようです。
 コロナも続きそうです。
 お体ご自愛くださいませ。           反省しきりの坂之上より。







                            
 

「文芸きなり」89号(三重県菰野町)民話の素材を生かした 藤高あつこ「初瀬の独白」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 2月18日(火)04時35分4秒
返信・引用 編集済
  ・地味であるが堅実に号数を重ねているのは、中心になっている会員の編集部体制がしっかりしているゆえであろう。創作4編のほか、<色>というテーマで味のあるエッセイを9編並べているのが特色。

・創作は藤吉佐与子「しあわせかふぇ残照」の男の子を主人公にした高校生の青春もの、藤高あつこ「初瀬の独白」の民話に材をとった女心の微妙などが形になった作品であるが、「初瀬の独白」の王朝的民話の風情に心魅かれた。筆筋や素材の取り方から言って、素人離れしたかなりの書き手のようで注目の作家発見であった。

 郵便ー510-1242 三重県菰野町大羽根園柴垣町13-8 西垣方

    電話ー059-393-1470

http://6928.teacup.com/377612377612/bbs

 

ご批評ありがとうございます

 投稿者:草原克芳  投稿日:2020年 2月17日(月)21時52分55秒
返信・引用 編集済
  二度に渡るご批評、コメント、
ありがとうございます。

根保さんのご指摘の通り、花田清輝は、以前から、何かの形で書いてみたかった批評家で、
武田泰淳とともに、最も感情移入できる文学者の一人でした。
(反対に、保田與重郎と日本浪曼派については、とりあえず「論」めいたものを書いてはみたものの、
いまだに、わたくしにとっては、「他者」のままであります)

あらためて思うのは、
「戦後文学は幻影」ではなかったということ。
佐々木基一がいうのは、終戦時にひそかに期待していた「革命+文学」のコラボレーション
という社会的な夢が消えてしまったという失意であり、
「文学」そのものとしての戦後文学の作品群は、
日本人が、この激動の近代において、一体、何を考えてきたか
という精神の歴史の中に、厳然として聳えているのではないか。

形を変えて、ポストモダン系の批評家、作家の文章の中に、
たとえば、柄谷行人が流布させた「二項対立」という概念、
さらには、その二項対立、二元論の自覚的な「超克」といった発想や、テーマとして、
姿を変えて、継承され、深められてているのではないかということ、
~そんなことを感じる、今日この頃であります。

>良性のコロナウィルスの拡散のように浸透して行く<共通言語>の数列

これは、根保さん一流のブラックジョーク、でしょうか(笑)

いずれにせよ、このとてつもない「転形期」、
モダンからポストモダンへと変貌する「黙示録」的状況を過ぎたあとに
来るべき、新たな「ルネッサンス/復興期」の胎動を前にして、
あの、花田清輝を忘れてしまうのは、
実に、もったいない、やるせない、情けない(武田泰淳『司馬遷』の口調)
と思う今日この頃……ではあります。

『復興期の精神』、
これは、何度読んでも、令和の今現在読んでも、
実に、ステキな一書であります。


   ありがとうございました。

https://6910.teacup.com/capricciolitera/bbs

 

「攻殻機動隊」の並列化と現代の文学状況

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 2月16日(日)16時31分8秒
返信・引用 編集済
  ・前編コンピューター用語で物語が進む「攻殻機動隊(英語名Ghost in the shell)」のアニメが全世界の若者世代にブームになったのはいつであったか。原作は士郎政宗、Stand alone complexは衣笠遊原作でさらにブームになり、日本の近未来世界を世界中に宣伝することになったので有名。

・しかし、おそらく、七十代以上の世代でパソコンにも詳しくない者には、この物語の会話自体良く理解できないに違いない。すなわち、同人雑誌のほとんどの書き手はこの物語の会話を理解できないだろう。たとえ、アイパットを自由に操作できる者でも、コンピューターの専門用語に無知ならば、この物語の男女の会話でさえ理解できないだろう。

・結果、もちろん、最近のSF小説は読んでも理解不能だろう。
そんな世代間の知識の断絶に想いをいたすとき、
世代間の知識のギャップは小説界の好みの版図にも影響し、
価値観のギャップにも反映することになる。

・横文字の小説を読めなくても、翻訳物で欧米の文学知識を相当に得て来た世代でも
コンピューター用語の溢れる物語には容易に馴染めないことになる。
そんな時代に、勧善懲悪小説やモラル小説、抒情小説、私小説は理解できても
コンピューター用語や最新の科学知識の溢れる最先端世界の小説は理解不能だろう。

・とすると、従来の日本の文学世界は、世界の潮流に乗り遅れたガラパゴス化が
ますます進んで孤立することになりそうだ。


 ・文学のガラパコス化の進みゆく見るは哀しき世相なりけり  石塚 邦男

http://6928.teacup.com/377612377612/bbs

 

北海道に狼数頭を放ったらどうなる?

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 2月15日(土)23時37分10秒
返信・引用 編集済
  ・イエローストーンに狼が絶滅して数十年。野生鹿の数が増えて、草木の自然破壊が進み、
小動物が姿を消し、河川の岸辺が荒廃し魚が急減してしまった。
そこで1995年、狼十数頭を野に放ったところ、野生の鹿が減少し、草木の繁茂が回復、
川岸には魚の隠れ家ができ、ビーバーが戻り、小動物が数を増して、
昔のような原野や森が再生したという。

・この例に倣って北海道の自然回復に狼を野に放ったら、北海道の自然林は回復するだろうか?
大いなる実験をして良い時期になっているのではないか、と考えるのだが。

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「ぺたぬう」30号(旭川市)成田福裕「線香花火の願い」少年期の淡い思い出の抒情

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 2月15日(土)08時29分21秒
返信・引用
  ・成田福裕「線香花火の願い」は、少年期の回想的私小説で
室生犀星じみた筆筋に味がある作者である。

・詩作品では森夏生「窓の外」、こむらちさと「ダイアモンドダスト」、
沓澤章俊「非情な夜に」、冬木美智子「春を待つ」の抒情が可憐で美しい。

  旭川市神居8-13-1-5  石川方 電話ー63-4395

    

http://6928.teacup.com/377612377612/bbs

 

「文芸百舌」4号(枚方市) 潜水艦乗りだった父の生き様を 内久美子「改葬」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 2月15日(土)07時56分21秒
返信・引用 編集済
  ・編集後記に「1年に一作でもよい。胸が張り裂ける作品を書こう」と会員を鼓舞している。

・内久美子「改葬」は、田舎に住む妹が、都会の兄に「父さんの遺骨を改葬しました」と
手紙を書く手紙文体の小品は、父の軍歴票をみつけ、海軍潜水学校を出て潜水艦に乗っていた
父の周辺を回想する話。写真、図入りの貴重な記録文学であった。

・坂之上千代「遠い水たまり」は、三十年ぶりに姉と旅をした弥次喜多道中の次第であるから旅行記というべきか。これを姉妹の小説にしてほしかった。


  郵便ー573-0153

    枚方市藤阪東町3-2-1-508 坂之上千代方


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「詩と眞實」4月号 850号記念特集号(熊本市) 日本最古の月刊文芸誌の面目躍如 昭和23年創刊とは頭が下がる

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 2月13日(木)10時31分5秒
返信・引用 編集済
  ・月刊文芸誌と銘打ち昭和23年より号を重ねてきた全国最古の月刊文芸誌で、直木賞作家、芥川賞作家が足跡を残している名門である。<同人誌>と言わず、<文芸誌>と唱えているところが破格の存在感。今号は300頁の大冊。70余年の歴史を刻んで今なお月刊を維持するとは、驚嘆に値する<同人誌>である。短編小説25編、詩作品10篇を並べているが、どの作品も年輪を刻んだいぶし銀の作品である。改めて敬意を表し、後ほど稿を改めて作品を紹介したい。

  ・月刊の誌齢850号重ね来し文芸誌読みて爽やか 石塚 邦男

  郵便ー862-0963 熊本市南区出仲間4丁目14-1 今村有成方

    電話ー096-378-0137

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「風の道」12号(東京都)小川原健太「日本私家版・ボランスキーの欲望の館」文学における特異点に挑戦

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 2月13日(木)04時36分36秒
返信・引用 編集済
   小川原健太さんの投稿と前後して、「風の道」が送られて来た。同人・会員も増えて、創作も掌編が多いとはいえ12編と華やかになっていたので、まずは慶賀のいたり。楽しみにして読んでみたい。小川原健太さんは一大決心をして難しいモチーフに挑戦したよう。もちろん、本人の体験談の開示というものではなく、主人公を設定しての物語なのだが、主人公が作者と重なる書き方の筆法を採用しており、微妙な構成になっているのが特色。

・ノーマン・メイラーであったか・・<文学の領域において、未だ踏み込まれていない領域がある。それは人間の性の問題である>という言葉があった気がするが、「老人の自分にとって、女性や性はどういうものか小説で書いてみたいという密かな願望を抱いたのは、恵一が70を過ぎたあたりからであった」・・・という書き出しで始まる70枚を超える冒険作、実験作とでもいえる作品で・・結果として成功、失敗は別にして、男性作家が生涯一作は書いてみたいと夢想する<特異点>に挑戦する内容だろうが、この<特異点>へ恥を忍んで及ばずとも挑戦しようとした凄まじい意欲作であろうか・・・この壮図は見上げたものと、まずは称賛したい。小説を書くということは、人間研究、人間観察における<特異点>への挑戦であるから、身を捨てて己を実験台にするのは当然ながら、良くぞ書こうと決心したものだ、と、まずは無言の拍手を送るものである。

・・・送られて来た「風の道」のページをめくって、最初に思ったのは以上の感想である。他の作品も暫時読み込んで感想をのべるのを楽しみに、今日は就眠である。

  身を捨てて恥を忍んで書きたるか特異点に挑みし一作  石塚 邦男

  

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「群系」43号(東京都)その3 改めて草原克芳のレトリック文体の文芸評論を堪能

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 2月12日(水)00時28分56秒
返信・引用 編集済
   以下に書き残した続きを掲載。


・草原克芳「夜の会の怪人たちー花田清輝<楕円幻想>と日本の戦後」を一気読みして大きく溜息が出たのはなぜであったか。主情的な旋律を伴った独自の評論文体を持ちながら、主情に溺れない寸止めレトリックを駆使した文体が魅力的な文芸評論であった。しかも、取り上げた相手が花田清輝となれば、草原評論の色合いにぴったりの対象で、多分草原自身は楽しく気持ちよく書き進んだことだろう。

さらに魅力は、数学における集合理論の文学的解析めいた<草原論理>ゆえか。はたまた、絵画におけるシュールなコラージュ絵画の絵づらめいた論理を感じたゆえか。あるいは思想と芸術と文学を並列した風俗的立体図をパレット上で混然と混ぜ合わせ、貼り付けたパッチワークの不思議を見たゆえか。とにかく、曲折した道を詩人が行くがごとき魅力を持つ評論であった。

・それは、もはや単なる文学的事象の解析や説明ではなく、独特の批評文体を自らのものにした評論家だけが展開し得る独自の数式にも似たスタイルに裏打ちされた新世界の開示とも言えるだろう。

・<夜の会>に集ったメンバーが互いに刺激し合って、良性のコロナウィルスの拡散のように浸透して行く<共通言語>の数列、それに対する反発と軋轢と協調の混沌たる文学風土が伝搬し合っためくるめくあの時代精神のパノラマだ・・。

・あの時代は、文学、絵画、音楽各ジャンルそれぞれの核融合反応と異質なモデラートの肌合いのぶつかり合いから誕生したビックバーン的新世界だ。その新世界の誕生していくさまを見る絵づらを次々開示して行く草原流レトリック文体は、大向こうを唸らせる評論の醍醐味をいかんなく読者に味あわせてくれたものである。

・そして、己の文体に酔いしれたボードレールが詩を吟じながらうす暗い路地の彼方へ去って行くフランス映画のシーンのような終章の見事さは、物語作家のエピローグいや交響曲のエピローグのように読者の胸に染みてくるのであった。改めて路地裏の神仙境に寝起きする詩人による評論を久しぶりに堪能させてもらった思いがした。

・この草原克芳氏は、ご自分の同人誌の掲示板「カプリチオ掲示板」で、世界の出来事につき、的確で魅力的な批評を行っているのでも有名で、なかなかの人物であることも申しそえておきたい。

 ・戦後かの精神文化の爛熟を見たかこの日の草原克芳  石塚 邦男

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快刀乱麻の復活?

 投稿者:小川原健太  投稿日:2020年 2月10日(月)04時07分13秒
返信・引用
  根保孝栄様
「群系」への矢継ぎ早の書き込みにほっとしています。このところ書き込みがずいぶんと間遠になっていたので、もしかして体調を崩されていないかと案じていましたので。北海道もやっと雪があったようですね。苫小牧辺りはどのくらい積もるものなのか、日本海側の私にはよくわからん。冬の釧路は寒かったが積雪はあまりなかったような記憶する。

こちらでも、先日雪があった。まっすぐ流れるように落ちてくるそれを書斎の窓からずーと見てると、体がだんだん上昇していくような錯覚にとらわれる。少年のころ寝っ転がって降る雪を見上げたときの感覚。風が変わって雪が横なぐりに一面に吹いてくると体が身構えるように緊張するのが分かる。猛吹雪の中を頭から突き進むようにして歩いた感覚が蘇るようだ。未明の雪明りもそう。

 またまた健筆、快刀乱麻の復活なら、我々の「風の道」も送らせていただきたく思います。去年の秋にはできていたのだが、その頃も、根保さん、札幌とか旭川とかよく出かけられいたのだったか、本板にあまり書き込みのなかったころで、遠慮して後に送ろうと思ったのがそのままになっていました。編集長に言わせると「粒が揃っている」、私に言わせると「小粒に揃ってマンネリ化」。私は形にとらわれない破格を心掛けた。要するに滅茶苦茶、題して〈日本・私家版「ポランスキーの欲望の館」〉。よろしくお願いします。
 

ご批評、痛み入ります

 投稿者:群系永野悟  投稿日:2020年 2月 8日(土)22時59分53秒
返信・引用 編集済
   根保さま
 この度は小誌「群系」をお取り上げになり、たいへん紙背に至る読みで、嬉しくもあり感心もしました。群系掲示板でこのことを伝え書きし、リンクを貼ったらこちら様の板のアクセスも目に見えて上がっているようでした。皆気になり、注目しているのですねえ。
 今更、戦後文学ですが、誰かが持続してやっていないと、またどなたかがそれを受け止め応援してくれないと、この国はよく言って技術の国、でも一人ひとりは精神も魂もないように、日々便利さの中に浮遊していくのではないかと思っています。
 しかし今更に根保さんの文学性に思いをいたしました。よく同人誌をその都度読んで批評されていると思います。文学の鬼には年齢さえも吹っ飛びます。小生らも頑張ります。今後ともよろしく。

 http://gunnkei2.sakura.ne.jp/index.html
 http://gunnkei2.sakura.ne.jp/99_blank001.html
 

「群系」43号(東京都)その2 大堀敏靖の安吾論におけるニヒリズムの分析に注目、石井洋詩の島尾敏雄論の新境地 

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 2月 8日(土)00時42分51秒
返信・引用 編集済
  ・なぜか、その1で大堀敏靖作品と石井洋詩作品の感想を付け足す書き込みをしたところ、二度にわたって書き込みが消えるアクシデントに見舞われました。何か都合の悪い事態が起きたようで、改めて続きを書き込むことにします。

・大堀敏靖「坂口安吾の堕落論・続堕落論ーテストとしてのニヒリズム」は、ニヒリズムとは縁遠い<真っ当な日本男児>の大堀氏が、さてニヒリズムをどのように捉えているのか興味を持って読み始めたが、総論としてなかなかの力作評論であった、という感想を持った。
坂口安吾程度のニヒリズムは、現代ではニヒリズムのうちには入らないのも時代の変化であるが、塾経営の大堀氏の教育方針には八割方賛成である。とは言え現代で言うところのニヒリズムとは、旧来の日本語訳の<虚無主義>とはやや異なる意味になっていることを認識したいものである。現代で言うところのニヒリズムとは、物事をシニカルに観る、つまり斜に構えて物事を観る皮肉屋程度の意味合いが濃厚であることを確認したいものだと思う。

 ただ、文学作品における<ニヒリズム>という感覚は、また時代風俗上で言われるニヒリズムとは、やや違った語感で捉えられていることも押さえておきたいものである。とはいえ、戦中戦後の天皇観の比較対照などの筆筋は、良否は別にして、大堀史観の面目躍如ではあった。

・石井洋詩「島尾敏雄・出発はついに訪れずを読むー意志の結果として生へ踏み出すドラマ」は、島尾敏雄という作家が、敗戦をどのように捉えていたか、に焦点を合わせた作品分析が主軸で、いわゆる島尾文学のもう一つの主軸である病妻ものにはさほど踏み込んでいないところが特色になっている。私個人の島尾文学論は、戦争体験文学が主軸であり、それは論ずるにたるものだが、島尾文学における病妻ものは、さほど評価に値するものではないという考え方なので、今回の石井氏の評論は、評価していいものという感想を持ったものである。


 ・ニヒリズムのもてはやされし混乱期に安吾文学光を放つ  石塚 邦男

 ・特攻の覚悟を持てど終戦となりし虚脱よ島尾文学   

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「群系」43号(東京都)その1 圧巻は永野悟「戦後日本の再出発ー昭和20~30年代の文学」、草原克芳「花田清輝論」における戦後文学の精神風土紹介の面白さ

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 2月 5日(水)02時18分29秒
返信・引用 編集済
  ・ざっと読み流した今号で注目したのは特集の「戦後日本の再出発ー昭和20~30年代の文学」。
特に巻頭の永野悟「政治と文学論争とは何であったかー戦後の文学を振り返る」は、20ページに及ぶ力作評論で、ちょうど私個人の青春期に文芸評論愛読者の一人であったこととも重なり、日本文学歴史上で最も論争華やかなりし頃の回顧という意味でも注目すべきものであった。この論考につき、この場で少々深入りして読み込んでみたい。

・草原克芳「夜の会の怪人たちー花田清輝<楕円幻想>と日本の戦後」はレトリックを駆使した曲芸的文体の魅力を持っていた花田清輝を中心軸にした文芸評論界の風俗的足跡をなぞっていて面白い。この人の花田清輝的諧謔文体の魅力とともに、いつもながら読ませる文章の仕掛け。

・間島康子「安倍公房<壁>王のS・カルマ氏の犯罪ー公房の砂漠」は奇妙に色気を感じる安倍公房についての作者の疑問符解明の展開がユニークで、詩人らしい切り込み方が新鮮であった。

・以上ざっと目を通しての総覧であるが、暫時これから各論的に内容を読み込んで感想を述べてみたいと思っている。

  ・清輝の文芸批評に魅せられし青春の日ありて懐かし  石塚 邦男

 ・評論の黄金時代偲ばるる戦後文学華やかなりしころ

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「苫小牧市民文芸」61号(苫小牧市)その4 迫力ある土井重男「検証 大誠丸の遭難と殺傷事件」、秀麗な文体が魅力の千葉恒雄「私の法隆寺」に魅了される

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 2月 3日(月)14時44分19秒
返信・引用 編集済
  ・苫小牧市民文芸の前身「苫小牧文学」が創刊されたの乙は、昭和34年である。
王子製紙の労働争議に決着がついた年であった。町を二分した大争議の後の和解を目指す意味もあったろう。年一回発刊であるが、一応、苫小牧市の予算がついている官費プラス広告収入によって賄うシステムであった。

・私は昭和36年の3号誌から小説を投稿している。
21歳のとき「雪の囚われ」という20枚の作品であった。
安保騒ぎの翌年のこと、大学を1年休学して
故郷で実家の仕事を手伝っていたときのことである。
そんなこんなで、愛着のある場であった。
今号には、僭越ながら私も「実録 苫小牧文学史拾遺」の一文を寄稿している。

・ノンフィクションと銘打つのは土井重男「検証 大誠丸の遭難と殺傷事件」は、
元船員の体験記からヒントを得て、昭和二十年、北海道厚賀沖で米軍の魚雷を受けて沈んだ
大誠丸の沈没の折の迫力ある再現ドキュメントである。厚賀現地に今も残る
慰霊碑と碑文紹介から説き起こす内容は迫力ある筆筋で読ませる。

・千葉恒雄「私の法隆寺」は、法隆寺を愛する筆者の最新の資料掘り起こしによる
法隆寺研究の披歴で、愛情あふれる筆筋の探査が秀麗な文体とともに読者を魅了してやまない力作であった。先日もNHkの衛星放送で「法隆寺」を視聴して感激を新たにしたばかりであった。千葉さんは現代美術・工芸にも詳しく、画商経験者でもあり、その深い蘊蓄は、私の記者生活時代も大いに刺激を受けたことであった。

 ・斑鳩を望む野の果て大伽藍古代の風のそよぐ花の香  石塚 邦男

  ・斑鳩の雪野の果ての大伽藍訪ねし友の澄みし双眸   

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中国発の新型肺炎は習近平政権最大の危機を呼んでいる

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 1月30日(木)00時50分20秒
返信・引用
  ・雑誌の話しではなく、中国発の新型肺炎の話。
中国の農民戸籍の都市労働者は健康保険もないので、日頃は病院にも行けない。
今回の新型肺炎の罹患者は病院にも罹れないのだ。
ゆえに、有り金叩いてぎりぎり我慢の末に高熱に耐え切れず病院へ殺到している。
武漢市の病院の模様をネットで観察すると、異常な長蛇の列だ。
病院のスタッフも対応しきれず、有り合わせの薬を与えて「自宅安静してください」と
体よく断り追い帰しているいるようで、これでは罹患者を野に放つようなもの。

・健康保険もない農民戸籍の労働者は、病院の手当ても受けられず、
自宅で死ぬのを待つ以外にないありさまのようだ。

・習近平政権の土台を揺るがす事態が刻々迫っているという実情。
それに、中央政府の指示がとろい。遅すぎる。
医療現場は、中央政府の指示がない限り動けない。
下手に自主的に動くと、後で責任問題になって罰せられ、監獄に収監されるかもしれない。
だから、医療現場では、実態に応じて対応する自由裁量はできず、
組織が機能していないようなのだ。

・中央の指令がなくては動けない現場の硬直化した医療組織が足かせになって、
治療の実が上がっていないのである。この新型ウイルスの猛威を抑え込むことは
当面難しいようだ。となると、中国経済はマヒ状態に陥ることになる。
生産現場にも影響し、都市封鎖で流通機能はマヒし、物品の輸送もマヒ。

・ただでさえ不景気のどん底にある中国の企業は、自転車操業で物がさばけず金が動かなくては
借金の返済もままならず、倒産しかない。

・新型肺炎は、中国経済の混乱に拍車をかけており、
習近平政権は最大の危機に直面しているといって過言ではない。

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「苫小牧市民文芸」61号(苫小牧市) その3 町田修一「谷間のエンゼル」は、日高山脈の麓の集落の飯場と分校の教師らの交流話は貴重、にしきどちあき「鬼神 阿弖流為」の桃太郎伝説との整合性がユニーク

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2020年 1月 7日(火)22時48分24秒
返信・引用 編集済
  ・創作は八編である。それぞれの作品には出来不出来や稚拙、ベテランの違いは別にして、作者の創作に対する向き合い方、創作の取り組み方、文体の作り方に表われた創作哲学みたいなものを感じて面白かった。詩作品でもそうだが作者が挑戦するジャンルをどう捉えるかで、同じ筋書き、内容を書いても出来上がった作品の色合いはまるで異なるものに仕上がるものである。その違いが垣間見えて面白かったのである。それは、小説を書き慣れる慣れないの違いばかりではなく、小説というものの宿命的性格によるものでもあろうか。

・町田修一「谷間のエンゼル」は、日高山脈の麓の集落。
雪が積もる十二月の末の農繁期に木材の伐採、馬による木材の運びだしが始まる。
いわゆる馬搬という作業。雪の斜面を切り出した丸太を滑らせて馬で運び下る作業。
その作業始めを集落では山開きという。山の飯塲に寝泊まりする山男たち。
この山開きを記念して、男たちは集落の子らに少年少女雑誌などを贈ることにしている。
それは、飯塲と村の辺地学校とを結ぶ電話があるからだ。
集落の生活、飯塲の生活などを描写した珍しい作柄が貴重。

・山田幸一郎「脱皮」は、八十七歳の高齢の老婆になったキンは軽い脳梗塞になって
入院、同居していた勉夫婦はキンを入院させる。そのような話なのだが、
人間関係、家族の情愛など自然体で素直に書かれる内容が読む者をなごませる。

・高岡啓次郎「離婚志願者」は、役所の窓口に離婚届をしに来た中年の婦人がいるが、証人欄が空白でうけつけてくれない。その押し問答を横にいた主人公が耳にして、自分の若い頃、父母も離婚の渦中にあったことを思い出すという短編はしみじみとした味わいに仕上がったベテランの秀作短編。

・にしきど ちあき「鬼神 阿弖流為」は、大和の国が日高見国に侵略した歴史が、桃太郎伝説として今も残っているという意味合いを解きほぐす伝説探査の読力作読み物である。
日高見国の鬼神は阿弖流為伝説であり、真の桃太郎も阿弖流為であると結論つける着想は新鮮でユニークである。

・山内房江「思い出さがし・・春夏秋冬」は、八十路にはいった作者が、はるか昔の三十代のころに勤務した田舎の分校の生活を思い出し回想した内容。細やかな描写はいいが筋書きの切れが悪く平板な描写が長々続く欠点が修正すれば秀作になりそう。

・宮原頼子「霧の残影」は、前号の続きで、波乱万丈の人生模様を繊細につづっているのはいいが、やはり小説としては整理しきれていないのは、描写が平板で強弱がないためだろう。場面の転換と心理描写を深めれば秀作になりそう。

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「いぶり文芸」50号(室蘭市)その1 注目の古代秘史もの吉田隆一の「津軽海峡をわたったヤマト船団③」は圧巻の戦闘場面再現が読ませる

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年12月20日(金)01時21分21秒
返信・引用 編集済
   胆振芸術祭実行委員会発刊。年一回であるが、北海道の広い行政地区のひとつ胆振地方の芸術文化活動を振興する目的で、北海道の予算で発刊されて来たもので50周年になる。作品は文学ジャンルをほぼすべてを包含したもので、投稿資格者は同地区に居住する者となっている。

・創作は五編。彩というペンネームの作者が「ジェスチャーズ」という題名の二十枚ほどの会話体の小説を最初に読んだが、この作者、なかなかの書き手である。訳者を目指している男が主人公でその男の心境独白体で、口下手でセリフをまともに言えない悩みとか、芝居の裏方に回されて落ち込んだり、知り合った友達との交友関係を描いたものなのだが、セリフ回しが苦手でも、身振り手振りの才能を認められ救われた思いになる心境が描かれていて、異彩を放つ作品に仕上がっていた優良株発見である。

・南美砂「出されなかった手紙」は、満州の奉天に住んでいた夫と私と子供たち。昭和十八年、私と子供たちは有珠湾に面した町の実家に一時帰国して十ヶ月。夫に出した手紙は届いたであろうかと思案している私・・・という内容。二年数カ月前、長女が満州で肺炎にかかり失くしてしまったことがあり、そのあと生まれた子を北海道で育て、元気に育った頃に満州に来いと夫に言われて実家に来た私であった・・。戦況が厳しくなって、骨壺が届いた。髪の毛と死亡診断書と三通の手紙である。そんな昔のことを、養護老人ホームに入っている作者が思い出して書いている話は胸に迫った。

・庄司義孝「女神」、東京の高円寺の鮮魚店で住み込みで働いている<俺>は、夜は都内のパチンコ店やマージャン店、風俗店で遊んで暮らしている。そんな若者の女性遍歴、交友関係という風俗小説なのだが、やや通俗的な描写に終わっているにしても、筆力は買いたい作者。

・高岡啓次郎「海流」は、長編の一部掲載という続き物なのであるが、作者は数々の文学賞を受賞しているベテランで、なかなかの思い入れのある大作のようである。プロローグに象徴される内容が意味深で次回に期待される。そのプロローグを下に紹介。

   東京を離れて北に向かった男がいた。あてもなく旅をし
   やって来たのは見たこともない異界だった。二つの海流が
   ぶつかりあうエリモの海岸に立った男は、いま自分がここ
   に来てしまったことの意味について考える。

・評論は二編。いずれも力作である。

・加藤平八郎「事実は小説よりも」は、東京都議会が「漫画焚書条例」を制定したが、これについての異論、抗議論である。例を挙げて反論しているところが際立っていて着眼を評価したい。

・吉田隆一「北海道古代秘史ー津軽海峡をわたったヤマト船団③」は、この作者がここ数年渾身の力を振り絞って取り組んでいる古代史の探査ものである。この作品の価値は、七世紀に北海道を訪れた大和朝廷の船団が、どのような振る舞いをし、どのような航路を辿り、いかに行動したかを、日本書紀のわずかな記述を根拠に当時の北海道の地の特殊な位置づけ、諸民族の動きなど、類推してゆく作者のスリリングな思考の足跡にある。

 船団の長は阿倍比羅夫。船団が蝦夷地の後志にある尻別川の河口に辿り着き謎の民族である粛慎(みちはせ)に遭遇したことが日本書紀にありありと記述されているのだが、この粛慎の民とどのような交渉であったのか、また敵対的な戦闘の次第はどのようなものであったのか、作者の吉田隆一氏は、考古学的遺跡との関連も踏まえて詳細に想像力を巡らせて考察を進めるのである。その歴史的視座が読者に多大の興奮をもたらして夢中にさせてくれるのである。

 粛慎の民との海戦がかなり大規模に行われたらしいが、その場所は日本書紀では曖昧であり、ヤマトの討伐船団が滞船した場所の特定、戦いの次第とその結末はどのようなものであったのか、それを解明していく吉田隆一氏の執拗な歴史探査の足跡はダイナミックに劇的であるところが読ませるのである。そして、結論として氏は「ヤマト・エミシ連合軍と粛慎の戦いの島は奥尻である」としている。そして、その大規模な戦闘模様をパノラマ的に再現して見せる筆筋は、大団円的に迫力があり、読者を圧倒する異色の古代史探査ものであった。
一首献上・・・。

  ・古代史の謎に挑みし吉田氏の渾身の作読みて溜息  石塚 邦男

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「中部ペンクラブ」(名古屋市)の会報に現れた熱気

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年12月14日(土)08時34分16秒
返信・引用 編集済
  ・「中部ペンクラブ」(中村賢三編集委員長)の事務局から会報75号が送られてきた。8頁の小紙なのだが、この紙面には、10月に東京で開かれた「全国同人雑誌会議」の模様をトップに公開シンポジュウム「中部ペン26号を読み文学を語る」の概要を掲載、会員の親睦と絆を深めている。名古屋を中心にした文学活動は、このペンクラブを中心に大いに盛り上がり、まとまりもあって羨ましい限りである。

 ・郵便ー464-0067 名古屋市千種区池下1-4-7

     オクト王子ビル六階 中部ペンクラブ事務局

      電話ー052-752-3033

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「苫小牧市民文芸」61号(苫小牧市)その2 作者の祈りの姿勢が感動を呼ぶ詩作品

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年12月 7日(土)07時05分11秒
返信・引用 編集済
  ・現代詩が低迷するようになったのは、戦後の散文詩運動のためであった。
随筆のテーマ、モチーフを行変えで羅列すると散文詩になる、という安易な詩の大衆化運動によって、詩精神がなおざりにされたがゆえであった。今こそ詩精神の復権が求められる時代なのだが、では<詩精神>とは何なのか、このことから説き起こさないと問題の解決にはならないだろう。

・音楽におけるジャズ演奏とか詩における自動記述法などの手法は、共通した視界があるように思う。象徴的手法や喩法による詩語の選択などを言わずとも、<詩>は散文の歩行ではなく、舞踏における差し手返し手のさばきや舞踏における足さばきであるという認識が要点になり、あるいは、<詩>は事実や感情の散文的説明ではなく、言葉による<祈り>であり<呪詛>であり、魂が乗り移った巫女的言葉であるはずだ、という散文との仕分けが浮かび上がるということだろう。

・平たく言うと、例えばお経は、意味的に釈迦の行跡を説明する内容ではあっても、お経として唱えられるとき<詩>に変容するのは、そこに唱える者の<祈り>と言う魂の行為があって作者の願いが言葉に溶け込むためだろう。すなわち、経を唱えることにより邪気をはらう祈りに転位するのである。大昔から<詩>が力を持つのは、この呪術的エネルギーを持つためと信じられてきたからであり、現代においても<詩人>とは、呪術世界に位置する心性のあるなしによって屹立しているとも言えそうだ。作品感想にはいる。

・今号は作品10編と最近にない数。それも新人が多いのは嬉しい。

・今田隆子「八月」は、作者が斑鳩の旅を終えて帰ってきて思った祈りの意味を自分に問いかける内容にまとめ、背景に終戦時の八月の意味合いを喩法的に匂わせるところが心憎い出来上がり。最終連紹介

  生きているもののつとめだろうか
    そっと手をあわせることで
  そっと目を伏せることで
  許されているような
  ことしも
  八月

・北島秀明「旅立ち」は、白鳥の渡りのさまと息子の旅立ちを重ね合わせて祈りの意味を問いかけている

  旅立ちの残像を
  眼の裏に
  あざやかに のこして

  「そうだ。今日は息子の卒業式だ」

・星まゆみ「鉄路のなみだ」は、故郷へつづく日高の鉄路は、地震でずたずたになり早期復旧の見通しは暗い。そんなところに焦点を合わせて、祈る作者の切ない心情である。

  復旧の見透しは
  暗雲が立ちこめている
  トンネルのなかで
  微かな光を放つ
  季節はずれの蛍のごとく

・このほか、乙坂鷲「家族・疑問」の近くて遠い家族の絆に想いを馳せた作品、
斎藤よつ「鋏ヤーイ」の鋏と作者の係り合い、佐々木努「ぼくは独りぼっちだった」の孤独な少年時代の回想、田中洋子「おふろ」の童詩めいた楽しいおふろの水遊び、〇というペンネームでカジノ誘致の問題を皮肉った風刺詩、山田幸一郎「ダイヤモンド婚」の夫婦の機微、入谷壽一「祝賀婚」の曾孫の結婚を祝す祝い詩など、それぞれの人生模様から生まれた個性的作品が印象に残った。

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11月25日は憂国忌

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年11月26日(火)06時35分51秒
返信・引用
  ・三島由紀夫忌ですね。昭和45年11月25日でした。

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香港の騒乱を見聞きするごとに・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年11月26日(火)01時56分52秒
返信・引用
  ・香港の騒乱を見聞きするごとに、六十年安保闘争の学生時代のことが哀れに蘇る。
今回の選挙結果でほっとしたのもつかの間、これから先のことを思うと絶望的になる。
中国共産党の巨大な権力には到底太刀打ちできないだろうことは、誰しもが思うことだろう。

・悲しいかな、一党独裁国家の巨大な権力には学生や市民の抵抗も抗するすべはないだろう。
そう思うと哀れになる。

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待望の井本元義「太陽を灼いた青年 アルチュール・ランボー伝」が一冊に

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年11月13日(水)10時22分4秒
返信・引用 編集済
  ・福岡市在住の作家で詩人として名のある井本元義が、このほど「アルチュール・ランボーと旅して」と題した一冊「太陽を灼いた青年」を「書肆侃侃房」から発刊した。長く同人誌「海」に連載していたものを一冊にまとめたもので、近年まれにみる「ランボー伝」として話題を呼びそうだ。

・これについては後に詳しく論述したいが、とりあえず発刊を報告しておく。

 ・連絡先 郵便ー813-0025 福岡市東区青葉6-7-4  井本元義

    電話ー090-3075-5701

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「海峡派」144号(北九州市)山田キノ「美しい景色」は、認知症の妻を看病する夫の切ない話

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年11月11日(月)04時44分8秒
返信・引用
  ・山田キノ「美しき景色」は、6、7枚のショート・ショートの作品なのだが、40歳になったばかりの妻が若年性認知症にかかってしまい、けなげに看病する夫との生活、会話のやりとりという点描なのだが、切ない話が胸を打つ。前に紹介したかもしれないが、手元の雑誌を何気なく開いて感想を一言書きたくなった作品である。一人っ子の妻の両親はすでに他界していて、夫の自分がいなくては妻は路頭に迷うことになる。子宮筋腫で子もできないのに、妊娠していると信じてわが身を大事にしようとする妻・・。それを否定するのはあまりにも可哀想なので、妊娠していることを受け入れて優しく接する夫なのだ。そんな切ない話を一場の芝居のように描写している作品である。

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「苫小牧市民文芸」61号(苫小牧市) その1 短詩部門の出色は出口明彦の短歌7首「木の国行」熟成した短歌用語の駆使に感嘆

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年11月 6日(水)13時04分50秒
返信・引用 編集済
  ・発足は昭和34年(1959年)、60年安保の前の年である。苫小牧市では全国的に有名な王子製紙の争議が最盛期に入った年という奇妙な取り合わせの年である。当時は、苫小牧市の援助と有志の資金集めによって成り立つ官民合同の文芸誌であったが、途中から苫小牧市民対象にした原稿集めによる<市民文芸>になったものである。創作は50枚以内として枚数に応じて負担、50枚なら一万円負担。特別の瑕疵がない限り掲載されるというもの。年一回発刊して61年になる。私は学生時代の昭和36年の3号から編集委員に加わり、20枚ほどの創作を発表したのを皮切りに、以後、飛び飛びながら各年創作を発表してきた深い係り合いがあった。

・今号は278ページの大冊。創作、ドキュメント、エッセイ、短歌、俳句、川柳、詩のほぼ全ジャンルを網羅、まさに市民文芸の冠にふさわしい全方位の市民文芸雑誌。編集委員は各文学団体の代表者などで構成され、市民文芸賞の選考は外部の有識者に依頼しているシステムである。この方式には賛否両論があるが、幾たびか試行錯誤の上で最大公約数的判断により組織が構成されたもの。今後も時代変化に応じて変わっていくものと見られる。

・毎号、「市民文芸賞」を設けて、作者の努力を顕彰することをしている。
短詩部門では短歌の佐々木富子「柊の花」が市民文芸賞、長文部門で土井重男のノンフィクション「検証大誠丸の遭難と殺傷事件」が奨励賞、短詩部門の山口昭悦の俳句「終章」が奨励賞となっているが、受賞には至らなかったが、私の目線からして格段に優れた短詩形作品があったので、以下に紹介しておきたい。

・いつも長物を重点に評しているので、今回は短詩形を先に読み解きたい。
短歌は、出口明彦の「木の国行」7首が群を抜いて秀逸であった。秀逸とした理由は短歌言葉の熟成がほぼ完璧であったことである。比較的若い作者であるが、文語的短歌用語の修練では飛びぬけた完成度を見せていた。注目の新人発見である。父母の出生地、自分の出生地などを訪ねる作者の心情が今時珍しい古典的な短歌用語を駆使して切々と胸を打つ見事な秀句に仕上げた技量を高く買いたいのである。この作品が<市民文芸賞>候補にならなかったのは、選者に短歌を読み切る者がいなかったゆえか・・。

・若山駅駅頭今しそのかみの風の復員父のうぶすな

・闇市ののちなるみその商店街に血気奔れる若き父見ゆ

・紀三井寺かの文左衛門が母を負ひ登りし階くらくら仰ぎぬ

・伊太郎曽の社の杜の木の国の秋のひかりを纏ひてひとり


・「根保孝栄文芸掲示板」のURAは以下に。

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「群系」42号(東京都)その3 本格的な文芸評論の王道を行く島尾敏雄の作品論は石井洋詩「出孤島記を読む」の論考

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年11月 4日(月)06時27分1秒
返信・引用 編集済
  ・石井洋詩「島尾敏雄 出孤島記を読む」は、「単独の作品論」として西尾宣明、高坂薫、蒲田義和の三氏の研究を挙げて「本稿では<私>の倫理意識について考えてみたい」として論を展開する本格的な取り組みの研究で重厚。単なる個人的な作家論、作品論ではなく、他者の研究をベースに自分の視点を述べるという文芸評論の王道を行く論の展開であるところが高く評価されよう。この作者はなかなか優れた研究者である。やっつけ仕事ではない重厚な取り組みが評価される。

・荻野央「田村隆一 四千の日と夜」は、副題に「詩人と戦後」とあるように、作品の背景、時代の中の作品の位置付けなどを抑えた上で、田村隆一の代表作を解析する内容。西脇順三郎や野口武彦、饗庭孝男などの解析のさわりを引用するなど、作品論と作家論の結び目を解きほぐす解析は、詩人・田村隆一への並々ならぬ傾斜がうかがわれて迫力を感じた。

・草原克芳「まつろわぬ文学の霊の召喚と再検証」は、井口時男著「蓮田善明 戦争と文学」の読後感。「まつろわぬ蓮田の霊を冥界より召喚し、独自の切り口から、その俯瞰図をヴィジュアライズしている」と節回しよく見事に解説して見せるのである。

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「群系」42号(東京都)その2 関塚誠「大岡昇平論」のユニークな着眼、間島康子「宗左近論」の詩とは何かを看破した恐るべき感性 

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年10月24日(木)08時40分35秒
返信・引用 編集済
  ・「群系」の文芸評論、エッセイは、今時珍しい堅物として注目すべきものだが、一つだけ不満を言えば、先人の研究などと比較する評価軸が少ない書き方のことである。「先人の誰それがこのように評価しているが、私の意見はこうである」という比較文学的な筆筋が少ないところがやや不満なのである。「自分の意見はこうだが、先人はこの部分を評価していた」という価値観の比較が明確になされていると、<研究成果>として評価できるのだが・・。とまれ、先を読み継いで行きたい。

・関塚誠「大岡昇平の俘虜記における降伏と終戦ー八月十日に描かれたゲレン」は、「文学史上最も早く八月十日を降伏の日と考えたこの作品は、日付の厳密さに何を視ていたのか」というところに焦点を絞って論じているところがユニーク。面白い着眼である。

・間島康子「宗左近の炎える母ー紙の墓」については、作者の間島は「献辞にあるように、石ではなく紙で作った墓というものに強い衝撃を受ける。読み進めるうちに熱いもの、激しく迸るものが、うねるように胸苦しく次から次に出てくる」と実感したように、宗左近という詩人の作品の体質を解剖していく道筋は、美しく死にたいと願った若者たちの願いの実際が何であるかを詩人は知る・・・として「詩とは何かーそれは、ここにはない生である」と間島は恐ろしくも看破しているのである。

・大堀敏靖「和辻哲郎 その転向と不動」は、思想家和辻哲郎が、戦後の日本社会をどう受け止めたか、に焦点を当てて解析を進めた労作。戦後、国民統合の象徴とされた天皇統治を和辻はどうとらえたのだろうか、としている大堀らしい視点の捉え方である。

・坂井瑞穂「神にましまさぬ陛下は人としてー昭和天皇に退位をもとめた三好達治の詩的姿勢」は、「三好の戦争詩を見つめ直すことで彼の天皇、皇族への思いが明らかになってくる」として論を展開している。


 

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