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待望の井本元義「太陽を灼いた青年 アルチュール・ランボー伝」が一冊に

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年11月13日(水)10時22分4秒
返信・引用 編集済
  ・福岡市在住の作家で詩人として名のある井本元義が、このほど「アルチュール・ランボーと旅して」と題した一冊「太陽を灼いた青年」を「書肆侃侃房」から発刊した。長く同人誌「海」に連載していたものを一冊にまとめたもので、近年まれにみる「ランボー伝」として話題を呼びそうだ。

・これについては後に詳しく論述したいが、とりあえず発刊を報告しておく。

 ・連絡先 郵便ー813-0025 福岡市東区青葉6-7-4  井本元義

    電話ー090-3075-5701

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「海峡派」144号(北九州市)山田キノ「美しい景色」は、認知症の妻を看病する夫の切ない話

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年11月11日(月)04時44分8秒
返信・引用
  ・山田キノ「美しき景色」は、6、7枚のショート・ショートの作品なのだが、40歳になったばかりの妻が若年性認知症にかかってしまい、けなげに看病する夫との生活、会話のやりとりという点描なのだが、切ない話が胸を打つ。前に紹介したかもしれないが、手元の雑誌を何気なく開いて感想を一言書きたくなった作品である。一人っ子の妻の両親はすでに他界していて、夫の自分がいなくては妻は路頭に迷うことになる。子宮筋腫で子もできないのに、妊娠していると信じてわが身を大事にしようとする妻・・。それを否定するのはあまりにも可哀想なので、妊娠していることを受け入れて優しく接する夫なのだ。そんな切ない話を一場の芝居のように描写している作品である。

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「苫小牧市民文芸」61号(苫小牧市) その1

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年11月 6日(水)13時04分50秒
返信・引用 編集済
  ・発足は昭和34年(1959年)、60年安保の前の年である。苫小牧市では全国的に有名な王子製紙の争議が最盛期に入った年という奇妙な取り合わせの年である。当時は、苫小牧市の援助と有志の資金集めによって成り立つ官民合同の文芸誌であったが、途中から苫小牧市民対象にした原稿集めによる<市民文芸>になったものである。創作は50枚以内として枚数に応じて負担、50枚なら一万円負担。特別の瑕疵がない限り掲載されるというもの。年一回発刊して61年になる。私は学生時代の昭和36年の3号から編集委員に加わり、20枚ほどの創作を発表したのを皮切りに、以後、飛び飛びながら各年創作を発表してきた深い係り合いがあった。

・今号は278ページの大冊。創作、ドキュメント、エッセイ、短歌、俳句、川柳、詩のほぼ全ジャンルを網羅、まさに市民文芸の冠にふさわしい全方位の市民文芸雑誌。編集委員は各文学団体の代表者などで構成され、市民文芸賞の選考は外部の有識者に依頼しているシステムである。この方式には賛否両論があるが、幾たびか試行錯誤の上で最大公約数的判断により組織が構成されたもの。今後も時代変化に応じて変わっていくものと見られる。

・なお、「苫小牧市民文芸」の感想は、近く「根保孝栄文芸掲示板」にて書き込みます。

 URLは  http://6909.teacup.com/nebo/bbs



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「群系」42号(東京都)その3 本格的な文芸評論の王道を行く島尾敏雄の作品論は石井洋詩「出孤島記を読む」の論考

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年11月 4日(月)06時27分1秒
返信・引用 編集済
  ・石井洋詩「島尾敏雄 出孤島記を読む」は、「単独の作品論」として西尾宣明、高坂薫、蒲田義和の三氏の研究を挙げて「本稿では<私>の倫理意識について考えてみたい」として論を展開する本格的な取り組みの研究で重厚。単なる個人的な作家論、作品論ではなく、他者の研究をベースに自分の視点を述べるという文芸評論の王道を行く論の展開であるところが高く評価されよう。この作者はなかなか優れた研究者である。やっつけ仕事ではない重厚な取り組みが評価される。

・荻野央「田村隆一 四千の日と夜」は、副題に「詩人と戦後」とあるように、作品の背景、時代の中の作品の位置付けなどを抑えた上で、田村隆一の代表作を解析する内容。西脇順三郎や野口武彦、饗庭孝男などの解析のさわりを引用するなど、作品論と作家論の結び目を解きほぐす解析は、詩人・田村隆一への並々ならぬ傾斜がうかがわれて迫力を感じた。

・草原克芳「まつろわぬ文学の霊の召喚と再検証」は、井口時男著「蓮田善明 戦争と文学」の読後感。「まつろわぬ蓮田の霊を冥界より召喚し、独自の切り口から、その俯瞰図をヴィジュアライズしている」と節回しよく見事に解説して見せるのである。

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「群系」42号(東京都)その2 関塚誠「大岡昇平論」のユニークな着眼、間島康子「宗左近論」の詩とは何かを看破した恐るべき感性 

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年10月24日(木)08時40分35秒
返信・引用 編集済
  ・「群系」の文芸評論、エッセイは、今時珍しい堅物として注目すべきものだが、一つだけ不満を言えば、先人の研究などと比較する評価軸が少ない書き方のことである。「先人の誰それがこのように評価しているが、私の意見はこうである」という比較文学的な筆筋が少ないところがやや不満なのである。「自分の意見はこうだが、先人はこの部分を評価していた」という価値観の比較が明確になされていると、<研究成果>として評価できるのだが・・。とまれ、先を読み継いで行きたい。

・関塚誠「大岡昇平の俘虜記における降伏と終戦ー八月十日に描かれたゲレン」は、「文学史上最も早く八月十日を降伏の日と考えたこの作品は、日付の厳密さに何を視ていたのか」というところに焦点を絞って論じているところがユニーク。面白い着眼である。

・間島康子「宗左近の炎える母ー紙の墓」については、作者の間島は「献辞にあるように、石ではなく紙で作った墓というものに強い衝撃を受ける。読み進めるうちに熱いもの、激しく迸るものが、うねるように胸苦しく次から次に出てくる」と実感したように、宗左近という詩人の作品の体質を解剖していく道筋は、美しく死にたいと願った若者たちの願いの実際が何であるかを詩人は知る・・・として「詩とは何かーそれは、ここにはない生である」と間島は恐ろしくも看破しているのである。

・大堀敏靖「和辻哲郎 その転向と不動」は、思想家和辻哲郎が、戦後の日本社会をどう受け止めたか、に焦点を当てて解析を進めた労作。戦後、国民統合の象徴とされた天皇統治を和辻はどうとらえたのだろうか、としている大堀らしい視点の捉え方である。

・坂井瑞穂「神にましまさぬ陛下は人としてー昭和天皇に退位をもとめた三好達治の詩的姿勢」は、「三好の戦争詩を見つめ直すことで彼の天皇、皇族への思いが明らかになってくる」として論を展開している。


 

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「詩と眞實」7月号(熊本市)佳作は、少年の成長の姿を描いた田口一法「阿蘇のやまかげ」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年10月24日(木)07時46分13秒
返信・引用 編集済
  ・号数が前後したが、7月号に印象的な小説があったので、時間を戻して触れたい。

・田口一法「阿蘇のやまかげ」は、昭和40年代、父親が病気で入院療養中の主人公の男の子は、中学生になる。中学になると坊主頭でなくてはならない。一時入院先から帰宅した父が、バリカンで頭を刈ってくれるという。そして刈り終わると父は「俺もぼんず頭になるから、お前がやってくれ」とバリカンの扱い方を教えてくれた。そこで初めて、父の頭にじかに触れて、それまで怖い存在で近寄り難かった父と心が通じ合った気がしたという場面が勝れた描写であった。恐らく父親は、息子との触れ合いの場を無言で用意したのだろう。そう思わせる無言の心理描写がここに場面として描かれているのである。佳作である。

 中学生になり、どの部活動を選択するか悩む話、相撲や柔道をやる体格であったが、家が貧しいので柔道着が買えない。金のかからない部活はないかと悩んで決めたのがバレーボール部だったなどのことや、家計を助けるため新聞配達をやりはじめたが、幼い弟や妹が面白がりながら手伝ってくれる心温まる描写も良い。貧しい時代の少年の姿をくっきり浮き彫りにして描いた筆筋はなかなかの書き手であることが理解でき、リアリズム作風の私小説的佳作で、久しぶりに地味だが力ある描写力の書き手に出会った気がした。

 ・病弱の父の頭にバリカンを当てる少年の姿いじらし 石塚 邦男

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「海峡派」145号(北九州市)

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年10月22日(火)05時10分43秒
返信・引用
  ・川下哲男「左利きのマリア」は、英会話教室で知り合ったのはヨットで寝泊まりしているというマリア。内容は興味深い話だが、気になるのは文章。同じ文体が続く癖のことである。「三階でおりると」「ドアが開くと」「参加くださいと」「振り向くと」・・・といった具合で、これは流し書きをしている書き手の陥るわなである。文章の推敲を求めたい。

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「海」22号(太宰府市)その2 

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年10月22日(火)04時47分19秒
返信・引用 編集済
  ・牧草泉「流れ雲」は、母子家庭になった主人公一家の労苦と家族の話は切ない。後半は兄の援助で一浪しながら大学に進んだ主人公の結核罹患と恋愛感情の話である。結核に罹ったことを彼女が知ったら嫌われるのではないかと悩む主人公の姿が後半に描かれるが、見せ場は前半の一家の貧乏生活である。恋愛を書きたいのは理解できても、読者の側からすれば、主題は父が亡くなって一家が貧乏生活に陥るところが小説になっているのである。苦労した末大学に入ったまでが小説であろう。

・有森信二「一番鶏と青い空」は、ゴミ焼却炉立地の候補に上がった地区の人間模様である。今日的な問題を取り扱った作品ながら、登場人物が多く群像劇的構成で、人物背景も緻密に描かれているため、読者はどの人物に焦点をあてて読めばいいのか、苦労するのである。こういう作品を書くときは、一人、二人の主役を設定し、後は影絵のように描くのがポイント。すべてに人物に力を籠めて描こうとすると、読者の意識は拡散して作品に集中できないのである。

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「詩と眞實」10月号(熊本市)通算844 問題作は、島津藩による奄美群島のサトウキビ栽培の収奪を描いた 宮川行志「南海の傷跡」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年10月20日(日)18時38分26秒
返信・引用 編集済
  ・宮川行志「南海の傷跡」は、明治の偉人西郷隆盛と島津藩が、いかに奄美大島、沖縄を収奪して来たか、そのマイナス面をクローズアップした100枚の力作。島津藩が奄美諸島に強要して栽培した黒糖の利権、そのため島民は米も穀物も栽培できず、塗炭の苦しみに陥った生活などの歴史を語り、西郷隆盛もその片棒をかついだ、と島民たちは恨み骨髄に達している、と作品の中で語るのである。歴史というものは、立場によって解釈が異なるものだが、それにしても、この作品に現れた奄美群島の島民を収奪した島津藩のサトウキビ栽培の利権は、明治維新の幕開けに貢献していたとは皮肉である。島津藩が、幕末に豊かな財政で欧米流の軍隊、武器、弾薬を手にして、江戸幕府を崩壊に導くことができたのは、この黒糖の利権を独占していたためのようである。力作である。

・作品に課題があるとするならば、場面と場面のつなぎ目の処理の仕方だろう。おどろおどろしいカジカマグロとの死闘などの場面、ヘミングウェーの「老人と海」のような場面設定は良いにしても、島民の怨念めいた心情をもう少し平易に表現する場面作りをして読者に伝わるような書き方をすれば、芥川賞候補作にステージアップできるのではないか。

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「群系」42号(東京都)その1 心魅かれた大和田茂「広津和郎ーニヒリズムの彼方に」の性格破産者の小説主人公の分析

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年10月19日(土)12時52分42秒
返信・引用 編集済
  雑務に追われて、同人雑誌の感想を二か月ほど書きそびれていたが、ようやく一息ついたので、全力で後れを挽回したい。手元には二十冊ほどたまってしまった。まずは評論の同人誌として名のある「群系」から・・・。

 今号は、「8・15の蒼い空 戦争と文学」と題した終戦日にスポットを当てた企画特集である。ゆえに書き手は、終戦日に焦点を当てた作家論、作品論が多いことになる。

・土倉ヒロ子「谷崎潤一郎の疎開日記を読むー谷崎は逞しい生活人だった」は巻頭の作品。谷崎文学には昔から女性ファンが多い。このエッセイにも作者の谷崎文学に対する肩の入れようが現れている。
「谷崎の文章というのは登場人物すべてに渡ってきめこまかい。心の奥に分け入ってゆく」
こんなところが女性ファンを魅了するのかもしれない。このように、「疎開日記」を解読しながら、谷崎文学への作者の好み、趣向を書いているところが興味深い。

・野寄勉「熱海の永井荷風ー死なないから生きている」は、東京大空襲の後、西に逃れていたが、東京へ戻ろうとして果たされず、熱海に落ち着き四ヶ月半の熱海生活に入った荷風の生活を追うもの。です、ます調で「亜米利加の思出」を連載し始めた話、アメリカ兵を見た話や森鷗外を訪ねた回想などにも触れた敗戦国日本の心の風景を書いた文章として白眉であるとしている。「死なないから生きている」この副題にある言葉は、永井荷風的でユニークであるが、確かに、含蓄ある言葉で、大詩人の言葉だ。

・小林弘子「中野重治ー萩のもんかきや」は<世間の片隅に生きる戦争未亡人の姿>と副題をつけて、この女性である書き手の目線で読み解いた作品感想は、やはり女性ならではの人間味あるものとして印象に残る筆筋だ。

・永野悟「8・15 終戦の時空間」は、多分、父親が戦地で戦った世代なのか、それともその頃に前後する父親世代を持った世代なのだろう。戦中戦後に深く関心を寄せる世代なのか。小説家、詩人、文芸評論家たちの終戦に対する受け止め方を総ざらいした文章とでも言える。高見順、中野重治、野坂昭如などの作品から例証して<終戦の時空間>を当時の者たちがいかに受け止めたかを要領よく総括しているところが、この人らしいまとめである。

・大和田茂「広津和郎ーニヒリズムの彼方にー」は、敗戦後の小説「狂った季節」を中心にした論評である。この作品は、筆者も書いているように、広津が戦後に発表した最初の小説「苦悩の街」を改題して後に単行本として一冊にまとめられたもの、とある。大和田は、この作品の筋書きを丁寧に紹介、太平洋戦争前半の東京を舞台に、主人公の小森寒三が出世を望まぬため務めた商社や新聞社では孤独感がつきまとう・・・というようなニヒリズムに彩られた若者。新宿の酒場で自由な考え方を持つトミを愛するようになる・・。大和田は、「広津の作品には性格破産者がよくでてくるが」と小田切秀雄の言葉を引用して、こんな過酷な言い方をよくするものだと思ったというところが、大和田の性格を表していて面白い。大和田は言う「寒三は性格破産者なのであろうか。寒三は狂ったのか、いや時代こそが狂ったのであり、寒三はいたって正気である」としているところが心魅かれた。

・人間が狂つたのかこの時代が狂つたのか今も同じに見ゆ 石塚 邦男

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「季刊遠近」71号(横浜市)その1 問題作にして読ませた逆井三三「未来少年の悟り」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年10月19日(土)01時21分29秒
返信・引用 編集済
  ・逆井三三「未来少年の悟り」は、落ちこぼれの問題児だけを環境のいい田舎の辺鄙な学校に集めて共同生活をし、社会復帰の人間教育をしている梅田学園の少年たちの話。この学校が実在するかどうか、実際このような教育が行われているかは問題ではなく、<それらしい>場所を設定して<それらしい少年たち>を描いたものと受け取って読め、というのが作者の意図らしいが、この種の更生施設的学校は、今はやりのようだと、どこかで読んだことがあるので、作者はある程度、実際の学校の実態を下調べしているらしく、なかなか詳細にわたり<それらしい>舞台設定、人物配置になっていることではリアリティーのある作品のように見受けられ、心魅かれた。

 この逆井という作家の作品は、過去十何作読んできたが、どうもアクの強いエゴイスティックな性格の人物が登壇、厭なニヒリズムを感じて、その作風に反感を覚えてきたものだが、69号だかの老人が招集されて兵役に服する近未来社会の荒唐無稽な批評精神を読まされてから、すっかりファンになって次作はどのような作品を書くのかと待望していたところ、今回のこの作品を読んで、やはり惚れ込んでしまった。ちょうど、嫌いな女を、あるきっかけで、どんでん返しで好きになったみたいな按排なのである。

 「俺たちは何者なのか。そうした疑問はある。あるいは何をすべきなのか」こういう書き出しで始まるこの作品は、生まれ育った場所から弾き出されて、この村にやってきた落ちこぼれ少年たちの吹き溜まり。そういう少年である主人公の一郎の目線から、この梅田学園の学園生活と少年たちの生活と心理を語る作品なのだが、エキセントリックな人物像ばかり書いて来たこの作者のはまり役の舞台のせいか、親にも教師にも見放された少年たちの心性がリアルに描かれていて感服した。

 ・へそ曲がりの人物像を書かせれば見事なものよ逆井三三は  石塚 邦男

  郵便ー225-0005 横浜市青葉区荘子田2-34-7 江間方

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「カプリチオ」49号(東京都)その2 かっこいい男女の心理小説か、と思いきや、意外などんでん返しの加藤京子の「クァルテット」、不思議な雰囲気のする塚田吉昭「飛田新地の狐」 

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年10月16日(水)18時36分58秒
返信・引用 編集済
  ・私小説しか書けない作家は、嘘話を書けないみたいだ。想像力がないのだ、と言えばそれまでだが、他人に成り代わって演技出来ないからだろう。要するに、私小説作家は<変身>できないのだろう。

・作家には大きく分けて2種類がある。自分の体験しか書けない作家と嘘話・・・つまりありもしない話を見事にでっち上げて書ける作家である。正直者は私小説作家。ありもしない話を、さもあったがごとく書ける作家を良く言えば想像力のある作者、悪く言うと嘘話を書ける作家というらしい。昔、よく原稿用紙を拡げて腕組みして空を睨みながら「書けない、書けない」と苦悶してつぶやく作家の姿があったものだが・・・。書けないのは、嘘話をでっち上げられないからかもしれない。

・芦野信司「バネッサ」は、板前修業して一人前になった幸太郎が主人公。高級天ぷら屋を開店したいというやり手の女性オーナーに雇われた。「軌道に乗ったら店を譲ってもいい」という言葉につられて働くが、オーナーが店を譲る気がない魂胆を知って店を辞めようかと思っていた矢先に、息抜きにフイリピン旅行にでも行っておいで、という言葉に促されマニラにやって来る。そこで28になる気のいい女のバネッサと知り合い好きになる。独立して店をやりたいと話すと、結婚して店を手伝うと言ってくれた。
 帰国してオーナーに独立宣言をすると、「あんた、フイリピン娘は当てにならないよ。騙されるだけだ」と忠告してくれたが、幸太郎は話を聞かず独立して店を出す。バネッサは有能で店は順調に繁盛した。ところが・・・という話。

 私は40年前から出稼ぎの美人フイリピン娘に騙された日本人の若者の話を腐るほど聞いてきたので、読み始めから、結論はそんな話かと予想しながら読み進めたのだが、意外にもエンディングはやや予想に反していた。この作者は、かなり書けそうである。

・冬野良「庭の木」は、スナックか一杯飲み屋の女が客に身の上話をする10枚ほどの作品であるが、女の一人語りの文体が可哀想な身の上を浮き彫りにして情感ある作品。

・塚田吉昭「飛田新地の狐」は、真冬、低い瓦屋根の街並みが続く道を歩いて行く私、という映像的場面から始まるのだが、題名からしておどろおどろしいな、と思いながら読み進むと、突如として賑やかな色町の通りにでる場面になるのだが、この辺は、有名な宮崎駿のアニメ漫画映画の一場面みたいな雰囲気。「寄っていきなよ」「上がって行きなよ」と飾り台の女たちは声をかけてくるのだが、不思議なことに、どの女も同じ顔の女のように思える主人公の私。

「どこへ行っても待っているのはこの女だよ。この娘と決まっているのだから」という年増女。そして、「あんたとあの娘は前世からの因縁だよ。この世は輪廻だ」なんて言われるので、なんとか上りがまをまたいで入る。座敷に落ち着くと、女は前世では狐だったと言う。

 思いを遂げて帰ろうとしたとき、女が持って遊んでいた玉(霊)が転がっていた。女は口を開けて眠っているので、記念にもらっていくか、とポケットに入れてそこを出た。出張から帰ってから、その玉(霊)を箪笥の上に放り投げてそのままにしていた。会社のお局さまと異名のある女史が「このごろ変だ。出張で良い女でもいたのかい」と探りを入れて来た。夏が来て秋が来た。自宅への帰り道、鳥居の蔭から見知らぬ女が現れた。あれを返してくれと言う。そして・・・。そんな話なのだが、雰囲気があって、読ませる一流の作家である。

・斎藤勲「窓辺」は、実家の家を相続したはいいが、一人暮らしの私には広すぎた。最初から住む気はないが、時折掃除をしに戻ってくる。東京のアパート住まいで仕事も現役を離れているのだが、戻る気はない。そんな男の都会生活と時折戻って実家の手入れをする話であるが、淡々と語る語り口調に味がある。

・加藤京子「クワルテット」は、年配の男性である主人公が、ピアノ曲の流れる素敵なバーのカウンターに座していると、奥の席にいたパーティー帰りらしき50代の素敵な女性が、「おひとり?隣に行っていいかしら?」と声をかけてきて、返事をしないのにワイングラスを手にして隣に座った・・という格好いい場面から始まる。こういう映画の一場面みたいな描写をすんなりできる洒落た作家は、同人雑誌には少ないので、「おおッ」と思わず目を剥いてしまった。また、この女は「無事商談がまとまって出張は成功、ようやくリラックスして一杯ってとこ?」と物慣れた言い方で話しかけてくるので、主人公の男性は少々戸惑ってしまう・・こんな場面から始まる作品は、同人雑誌の女性作家にはほとんどいない。

 酔いが回って来たらしく、女は身の上話を半ば自嘲げに語るのを、私は聞き役に徹して聞いている・・という作品なのだが、背後のシャンソンの曲が似合う男と女が、カウンターに隣り合わせになった風情を描いた心理小説は読ませる、と思いきや、後半、話は意外な展開になっていく。

 それは・・「それでは、次は、あなたのことを語って下さる?」と女に促される。そして、「あなた、男の言葉で話し、男のなりをしているけれど、女でしょう?私、分かってるのよ」と耳元で囁いた・・。

 ここで、場面は一転、どこぞの病院の一室・・というどんでん返し。「あなた、さっきまで誰だったか判る?」と医者が訊ねる。つまり、この女性は多重人格者で、基本人格は<かなえ>という女性なのだが、四つの人格を持つ。なぜ彼女はそのような分裂人格を持つようになったのか、小説の後半に説明されるのだが、ここは短編なので箇条書説明になっているのは惜しまれた。この作品、本来は倍の枚数がないと、全体のバランスはとれない類の小説であろうが、ま、これでも良として読めることは読める作品である。

 後半の欠点はあるにしても、前半のくだりは一流作家のように細密に描かれ、心魅かれた作品であった。

・エッセイも充実しており、心ひかれるものであった。
・石田三千枝「まさかこんな山奥で」2は、外国人の日本ブームにあやかって、筆者が女将をしている山奥の旅館にも外人旅行者のツアー客が増えているらしい。そんなことを写真付きで紹介する文章は面白い。

・美里けんじ「宝暦治水工事‐孤舟を漕いで」は、江戸時代の資料を元に難工事に挑んだ人脈の実例を上げて拾った話は貴重で、小説のヒントにもなるものであった。
一首献上。
  ・かにかくに狐の化身の物語は古今東西奇怪なもの  石塚 邦男

  ・人格の多重にわたる物語そを読み終へて思ふことあり

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香港は酷いな

 投稿者:根保孝・石塚邦男  投稿日:2019年10月 9日(水)20時57分47秒
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  中国共産党は、自分たちの政治体制が時代遅れだとは思っていないから困る。既得権益を手放したくないのだろうな。

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世界陸上の百メートル日本代表の3トリオに失望

 投稿者:根保孝・石塚邦男  投稿日:2019年10月 3日(木)00時31分5秒
返信・引用 編集済
  ・鳴り物入りの9秒トリオ、力を出しきれなかった。大舞台で最高のパパフオ-マンスを見たい。見せるのが実力者。偶然に何回か9秒台を出した程度の実力なら、ここ一番の勝負どころで実力を発揮出来るわけがない。厳しい言い方かもしれないが、文学の世界にも言えることだ。実力者は、どんな場でも、相応の作品を書くものである。

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韓国映画に悲惨な結末がないのは、なぜか?

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年 9月30日(月)06時55分38秒
返信・引用 編集済
  ・歴史を遡ると、朝鮮半島は中国に虐められ、日本に統治されの踏んだり蹴ったりの民族の悲劇を味わってきた国だ。

・韓国映画を観ると、結末の方で主人公が悲惨な死に方をするのだが、エンディングは、死んだはずの主人公が必ず生き返って、幸せな姿を見せる、という終わり方をするのが常だ。それは、悲惨な歴史を潜って来たゆえ、せめて虚構の映画や小説では救いのある終わり方をするという国民的な申し合わせになっているみたいだ。

・だから、主人公が死ぬ悲惨な映画でも、最後は生き返って平和な姿を見せるというあり得ない筋書きの結末になるはずだ、と安心して見て居られるのである。

・韓国映画には厳しいリアリズムはなくて、結論は「終わり良ければ総て良し」の思想で一貫しているのは、日本映画にはない不思議な面白さだ。

  ・死んだ者も還って来る結末の映画と思へば心安らぐ  石塚 邦男

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「札幌文学」その3 地主清「暗雨」は盲目の女の半生を描いた異色作

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年 9月23日(月)18時17分31秒
返信・引用 編集済
  ・Spare the rod and spoil the child.(鞭を惜しむな。惜しむと子供はダメになる)

 これを日本の諺に置きかえると、可愛い子には旅をさせよ、となる。さて、では若い書き手にこの言葉は通じるや否や・・・??。時には軍隊ばりのシゴキも必要だろう。だが、度を過ぎると、萎縮してしまうので、鞭の入れ方には技術がいるもの・・。按排が難しい。


 私が所属している「同人誌」なので、少々厳しい感想になる。
他の同人誌では、欠点には目を瞑って、良いところを取り上げ、それを伸ばす感想評にするのだが、
「札幌文学」は私の所属する雑誌なので、忌憚のない意見をズバリ述べることにしている。良い作品は良いと言い、気になるところは、ずばり指摘することにしたい。

・地主清「暗雨」は、失明している波留子昼夜二交代制の37歳のマッサージ師。ある日競馬新聞の記者だという43歳の功児と知り合った。功児は日曜ごとに波留子を競馬にさそってくれた。あげくに波留子の部屋に居つくようになった。波留子は「盲目でいいの?」と恐々たずねると、功児は「見える見えないは俺には関係ないさ」と応えた。結婚した二人だが、功児の稼ぎだけで生活できたが、波留子は自分のマッサージの仕事をつづけ幸せな10年がすぎて、功児が交通事故を起こし、あっけなく亡くなる。波留子は抜け殻のようになり、仕事をする気力も失せてしまう。そして・・・。そんな不幸な女の話の結末は?、という物語を女の側から書いているのだが、なかなかの作品である。盲目の女に着目したところが、作品の質を高めた。着眼が良いなかなかの作者である。この作者は、確か二年前か「文学界」の新人賞に応募して、最終のいいところまでいった作者のはずだが、やはり着眼からして違う異色の目線である。

・和泉誠一「同僚、故に」は、男と女の恋愛と遊びの話なのだが、会話が通俗的で軽すぎる。筆力が空回りしている。文学になるかならないかの微妙を勉強したい作家。作者が面白がって書いては駄目だ。書ける書き手だけに、初歩的な文学道を一言。それが理解できなくては、いつまで経っても、水準作は無理だろう。

・柴田耕平「函館戦争開戦前夜」は、6、70枚の力作歴史叙述なのだが、出典、参考文献を明らかにしたいものだ。このような単なる叙述は、小説でもないし、エッセイでもない。例えば司馬遼太郎のように、確固たる史観に裏打ちされていなくては、この種の書き物は知識の寄せ集めの雑文とみられるだけである。それが理解できなくては、水準作は無理だろう。書ける作者なだけに、真の文学道を一言述べて覚醒を促したい。この作品を自立した読みものにするには、登場人物の表情、その登場現場の映像化が読者に見えるように構成しなくてはならない。平たく言えば、映画の一場面一場面の連続になるよう構成しなくてはならないのである。「軍隊が出動した」「艦船が出かけた」という記述の裏づけである「軍隊はどう出動したか」「艦船はいかに出動したか」、を映像化できないと作品にはならない。単なる年表の羅列みたいなものでは時代小説にも歴史小説にもならない。起きた事件の羅列だけでは作品ではないのである。一場面一場面を映像化しなくては作品ではないのである。

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「札幌文学」89号(札幌市)その2 海邦智子「孤灯の下」はバーのカウンターに立つ中年女性の生活と心理を深掘りした意欲作だが・・

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年 9月17日(火)23時29分36秒
返信・引用 編集済
  ・海邦智子「孤灯の下」は、この作者久しぶりに力のこもった100枚の意欲作。若手の有望な書き手と目されながら20年が経過したが、多忙のためか全力を傾けた作品はなく、小品でお茶を濁してきた趣きであったが、ここへ来て発奮、北海道新聞文学賞あたりを狙いだした気配で、期待したい書き手。

主人公の沙穂は、結婚15年の生活に終止符を打ち、猫のコロちゃんと生活をするようになった40代の女性で、薄野の西はずれのバーのカウンターに立って働いている。秋になったある日、北見に住む元夫の姉から電話があり「助けてちょうだい」と切羽詰まった声。元夫がバイクを運転中に交通事故を起こしたのだが、遠方に居る自分に代わって病院へ行ってくれないか、という話。そのバイクの後ろに乗っていた女性というのが、離婚の原因になった女なのだが、二人とも意識不明の重傷ということなのだ。やがて女性は亡くなってしまい、元夫の弘志は右足の膝から下は感覚のない障害者になってしまう。そんな女性の身辺を描いた地味な作品なのだが、感性のある文体で、中年の女性の生活と心理の襞を繊細に描いた作風は、渋い味にまとまっていて魅力的だ。

才能ある作家なので、今後のことを考慮して注文を一言。
この作者の作品、いつもそうだが、会話に無駄が多い欠点がある。
例えば、導入部の猫との会話の通俗的なやりとりがあるが、これなんかは、
純文学的視野から言えば、冗漫で無駄な描写。省いたほうがよい。
その他の会話部分も削除するとすっきりする。実際の会話と小説の会話は別物である。
それを学んでほしい。冗漫な会話部分を削除すると、80枚ほどの密度ある作品に
ステージアップできるだろう。

・若い作家に対するこうしたアドバイスは、編集段階でやって書き直させることをやれば、スケールアップした作品に仕上がるだろうが、それをやると「同人雑誌」ではなく、添削指導になるわけで、難しいところだ。どのような小さな文学賞でも、最低の水準というものがあり、感性が優れていても、小説の書き方のイロハがなってないと、受賞には届かないことになる。小説のイロハは、作者が自覚して矯正しない限りは、いつまで経っても水準作は産めないということだろう。

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韓国の旭日旗反対はなぜ?

 投稿者:根保孝・石塚邦男  投稿日:2019年 9月15日(日)08時04分37秒
返信・引用
  ・韓国の反日は、仕方ないこと。
日本に負けたくない、韓国の気持ちは分かるが、
ちょっと酷すぎないかと、日本人には思われる。

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旅先からスマホで打ちこみ

 投稿者:根保孝・石塚邦男  投稿日:2019年 9月14日(土)06時44分0秒
返信・引用
  スマホですから、二.三行しか書き込みできませんが、中学、高校時代に20世紀初頭のロシア文学を読んでいて、いつも不思議に思っていたのは、年金生活者というのが出てくるのですが、私の家は商売人の家で、年金生活というのを理解してなかったで、〈年金生活〉出来る階層は、上流階層と思っていたもので、ロシアは日本より進んでいるのかな、なんて思っていたものですが。

ま、作品感想は、時代背景を理解しないと駄目ですね。歴史を知って作品を読むのと、時代を理解しないで読むのでは、印象はかなり違うものになるみたいですね。

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2週間ほど旅行につき

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年 9月12日(木)01時32分42秒
返信・引用 編集済
  しばらく書き込み遅れてます。長期旅行です。
帰り次第、同人雑誌感想書きます。二十冊ほどたまっています。すみません。

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内閣改造、環境大臣、防衛大臣に期待

 投稿者:根保孝・石塚邦男  投稿日:2019年 9月12日(木)01時24分58秒
返信・引用 編集済
  小泉進次郎環境大臣の意欲的取り組みに期待してます。福島の原発処理、海洋汚染のクリ-ン化国民運動により、プラスチックごみの除去運動など。

河野太郎防衛大臣には、外務大臣の知名度を生かした同盟国との戦略的な提携強化を期待してます。

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香港で中国軍が戒厳令の準備いりか?

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年 9月 4日(水)02時37分5秒
返信・引用
  ・軍隊の交代と称して、香港に深夜、中国軍の装甲車が大挙して入って来たらしい。
ところが、駐留軍の交代と言いながら、出て行った形跡はまるでない。
つまり、戒厳令施行の準備のための増援部隊を投入したみたいだ。

・雲行きが怪しくなっている自由都市の香港である。
いよいよ中国共産党は、香港騒動の弾圧に踏み切るのか_?

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小説、評論の上手さ、巧みさといっても微妙に違う

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年 9月 1日(日)05時02分9秒
返信・引用 編集済
  ・作品の上手さ、巧みさ、出来の良さと一口に言っても、そのニュアンスは微妙に違うものだ。

・例えば、cleverな巧みさ、intelligentな巧みさもあるし、skillfulな巧さもあるし、
単にwiseな上手さもある。また、ingeniousな発想豊かな巧さもあるし、
brightな巧さというのもある。

・同じ巧みな小説、評論と表現しても、<上手さ><巧みさ>の内実は微妙に違うものだ。
私は、作品の感想を書くときには、そんな違いを意識して書き分けて書いているつもりなのだが、読者によっては、その違いを受け取ってもらえないことがあるのは残念である。読者の理解度に応じた書き方、というのも研究する必要がありそうである。

 ・ひと言で違ひの分かる書き方を極めんとすも言葉及ばず  石塚 邦男

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永野さん、どうも

 投稿者:根保孝・石塚邦男  投稿日:2019年 8月31日(土)13時02分5秒
返信・引用 編集済
  「「お知らせ」ありがとうございました。
「群系」ご寄贈ありがとうございます。
時間取れましたら、感想書かせていただきます。

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全国同人雑誌会議が来たる10月19日(土)に。

 投稿者:群系 永野悟  投稿日:2019年 8月30日(金)09時16分44秒
返信・引用
     第3回全国同人雑誌会議が来たる10月19日(土)午後一時から、「文芸思潮」と「中部ペンクラブ」の主催で開催されます。会場はお茶の水の「池坊東京会館」。同人雑誌の新しい繋がりと方向を目指して講演・シンポジウム・会議・講演会を行います。基調講演は作家の三田誠弘氏、発言は中山紀氏。同時開催に全国同人雑誌展示会があります。参加費は1万円(パーティ券含む)。後援・「中日新聞」「東京新聞」「三田文学」「季刊文科」。

    参加申し込みが必要です。九月三十日まで、参加申し込みを受け付けているそうです。編集部他数名の方は編集部の方から申し込んでおきますが、それ以外の方でご出席の方は、以下の案内をご覧ください。
http://www.asiawave.co.jp/bungeishichoo/img/doujin-annai2019.pdf

  参加申し込み書はこちら
http://www.asiawave.co.jp/bungeishichoo//img/doujin-moushikomi2019.pdf

※ 根保さん、「札幌文学」「ときわ短歌」、ご恵送ありがとうございました。89号とは文芸同人誌としては大先輩ですね。掲示板下の「管理者」宛てに電子メールを送っておいたのですが、着いていますか?
 

「札幌文学」89号(札幌市)その1 新しいリアリズム描写方法を開拓したアンチ・ロマンの変わった実験小説は 須崎隆志「廃墟に白い薔薇を」

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年 8月28日(水)23時18分21秒
返信・引用 編集済
  ・一時、編集部の老齢化で休刊も考えた「札幌文学」であったが、編集部がもう少し頑張ろうという気になったらしい。意欲的な書き手も数人残っているので、編集部さえしっかり機能すれば、継続発刊は可能であることは、今回作品の質で凸凹があるにしても、13編の作品が集まっていることで証明されただろう。問題は発表以前の作品の叩き上げが不十分であることだが、これとて時間があれば何度でも書き直しさせるなどで解決するもの。今後の編集部の在り方が課題だろう。

・須崎隆志「廃墟に白い薔薇を」は、全体で50枚の散文作品なのだが、内容が「ラップで廃墟」「反復小説・入れ子小説で廃墟」、「脱線小説で廃墟」「多声小説で廃墟」「擬人化小説で廃墟」「ラップで廃墟 ふたたび」などの小見出しがついた微妙にファニーな変わった構成の作品で、一応、小説は小説でも新しいりアリズム描写を創造しようとしたイメージ実験作品のアンチ・ロマンとでも形容できる新しい装いに注目した。

 と言っても実物がどのようなものか、読者は実際に読んでみない想像すらできないだろうから、「ラップで廃墟」と小見出しついたイントロの一部を以下に紹介。これで、この作品の全容がほぼ想像できるだろう。バックにラップミュージックの伴奏が入ると、この作品、良い感じに機能しそうで楽しいだろうが、さて・・読者、批評家の皆さんの反応がどうでるか楽しみである。

 ・「ラップで廃墟」

 静謐未明の空間時間 廃墟の私と 風と海のにおいと漁船の音と
存在するのはそれだけ という高台 隠居もできない故郷の廃墟
限界超えて崩壊寸前 の われは遺骸 未来の解体ひたすら警戒
爽快生活はや昔 冥界霊界間近い世界 将来解体の境涯にあって
といいつつ現在生きながらえていて とはいえ時間はいつでも片道
切符 乗り換えなし

 ・だが、この作品が<小説>として読んだとき、果たして評価できるかと考えると、ためらいを覚える。一時の遊び心と軽く受け止めると、それはそれでいいが、真面目な文学道からすると、サイド的な遊び心の作品に過ぎないと見られるのも致し方あるまい。

 何も真面目に取り組めとまでは言わないが、この<試み>を新しい文学の視界に入る作品とはどう考えても評価できないのである。遊びは遊びである。気合を入れて取り組む主題を持っている作者だけに、こんなところに精力を傾けるくらいなら、同じ精力で本来の主題に立ち向かってほしいと願うのである。

 ・悲しみは尽きぬものなり浮かれても忘れられない原点がある  石塚 邦男

 郵便ー006-0034  札幌市手稲区稲穂四条四丁目4-18

              田中方「札幌文学会」

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そういうことではないのですが

 投稿者:根保孝・石塚邦男  投稿日:2019年 8月28日(水)15時29分31秒
返信・引用 編集済
  ?・あ、どうも、荻野さん、コメントありがとうございます。私の言っていること、そういう仕分けのことではなく、微妙な感覚的なことなんですが。それはそれで、コメントありがとうございました。何かありましたら、自由に気軽に書き込み願います。何かと参考にさせていただきます。

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詩とはなにか?

 投稿者:荻野央  投稿日:2019年 8月27日(火)10時40分50秒
返信・引用 編集済
  批評は論理、小説は自由、詩は空想と大まかに区分できる。批評は主題を意識し、小説は想像力が問われて、詩はすべてを包括する言葉の芸術。とま、これまた大まかな区分になってしまうが、共通するのは"意味"への探求だと思います。

詩の実作と読解において、もっとも詩とはなにかと考えざるを得ない場面は、詩人のこと、「この」詩のことの場面であって、実作では、自分の詩の領域に自分は何処まで意味をたどれるかという創作の意識が問われることではないかと考えます。

※この混迷の時代。こうした文学の根源に迫る「問い」に答えることは、アタマの訓練になります。根保さんらしい設問ですね。

 

現代詩の問題点は?

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年 8月27日(火)09時42分0秒
返信・引用 編集済
  ・<詩とは何か?>

 単純な意味でも、複雑な意味でも<詩とは何か?>という問いを
詩を書く人たちは日頃己に問いかけているのだろうか?という疑問が
胸に兆して離れないのは私だけだろうか?

 例えば、詩を書いている人たちは、俳句も短歌も詩であることを認識しているのだろうか?
また、俳句、短歌をやっている人たちは、自分たちの手がけているものが、
詩であることを自覚しているのだろうか。

・奇妙なことに、俳人は俳句は俳句、歌人は短歌は短歌であり、
詩とは少し違うと思っている者が相当数いるようであり、
なかには、そんなこと考えたこともないという人も相当数存在する実情とは
一体何なのだ、と私は時折思って、情けないことだと嘆くのである。

・また、<現代詩>つまり、現在書かれている詩というものを、
詩人たちがその創作現場でどのように解釈して書いているのか、
その心を知りたいと常々思うのだが、
その疑問に応えてくれる確かな言葉には、
不思議なことに、なかなかお目にかかれないのである。

・<現代詩>とは何をいうのか、何が現代詩で何が現代詩ではないのか、
その線引きをどのように考えて詩人個々が詩を書いているのか。

・また、散文と詩を別ける垣根をどこに設定して詩を書いているのか。
同人雑誌を読んでいて、常々そんな疑問を抱く私なのだが・・。

・以上のようなことを知りたいのであるが・・・さて?。

  ・言葉とは不思議なものよ生き死にを分ける効果を演出するなり  石塚 邦男

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合評会の在り方、作者の長所を発見せよ、短所を指摘することは誰にでもできる

 投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2019年 8月26日(月)05時39分35秒
返信・引用 編集済
  ・作品の感想評をするとき、私がいつも強調することがある。
それは、作品の長所を探し出して作者に語れ、ということである。

・大抵の読者は、「この作品は良く書かれているが・・」という言わずもがなのひと言をまず言ってから、長々と作品の粗を取り上げてくどく感想評を語る者が大方であるが、
これは、作者にとっても出席者全体にとっても、なにも益にならないし、参考にもならない。なぜなら、作品の欠点は、誰しもが見抜いていることであるからだ。

・合評会の感想評においては、作品の長所がどこにあるかを指摘することが大事なのだ。
この<作品の長所発見、作者の長所指摘>こそが、合評会の最大の目的なのであるが、
最近のちまたの合評会は、重箱の隅をほじくるような作品の欠点指摘が主流みたいになっているのは残念である。

・欠点を指摘をすることが、さもさも作品の深読みができる読者みたいに見られている実情も問題であろう。

・どのような作品にも作家にも、長所は読み取れるものだ。
総体として、長所を伸ばせば欠点は減るものである。
良き読者は、長所を発見し、見つめるものである。

・作者は自分の長所を自覚してないことが多い。
本物の作者は、自分の長所と欠点を自覚しているものなのだが、
同人誌作家の多くは、自分の長所を自覚してない者が大半である。
もっとも、自分の短所を自覚できてない作者には、ひと言指摘しなくてはならない
のは当然だが、それはひと言でいい。

・それで欠点を克服できない作家は、
単純な意味で<才能がない>のである。それは仕方ないことである。
足の遅い子がいくら修練しても速くならないのと同じく体質の問題である。

・それはともかく、見え透いた欠点は、
作者が作品の数を書いているうちに自覚できるものだが、
自分の長所はなかなか自覚できないものなのである。
つまり、足が速いのに走法が未熟で速く走れない走者みたいなものである。

・であるから、読者は作者の長所を指摘して差し上げることなのだ。
自分の長所を自覚できれば、自信がつき意欲もでる。それが大事なのだ。

・批評とは、作品の長所をいかに発見するかということである。
それは昔も今も変わりがない批評のありかたである。


  ・笑顔なら美しい人かく言はれ美人になりし人あまたなり 石塚 邦男

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