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日本語で詩を書く基本的姿勢とは・・・和歌(倭の歌、倭の詩)と漢詩(漢の詩)の違い  歌人とは何者、詩人とは何者か

 投稿者:石塚邦男・根保孝栄  投稿日:2021年 5月29日(土)15時31分9秒
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  ・日本語の短歌は和の歌つまり倭の国の詩(純粋の日本語)で書かれることを基本にしている。ゆえに、大陸の中国語の古語である漢詩的表現は用いないのが基本である。それが日本語による和歌、つまり倭の歌の歴史的な成り立ちであり、大陸の漢語や横文字の表現を忌み嫌うのが和歌(倭の歌、短歌)の用法なのである。

・そして、さらに厳しく言うと、大陸の漢字の表現や横文字表現をいっさい排除するのが和歌(倭の歌)の基本姿勢であったのである。つまり、倭の歌(和歌)とは純粋の日本語による詩言葉でなくてはならず、漢語的表現や横文字表現を避けて、<日本語で詠う詩>でなくてはならない、というのが基本であったのである。

・和歌(倭の歌)とは、日本語によって詠われる詩のことであり、純粋に日本語を追究するものである、ということなのだ。

・故に神前において祈る言葉は、純粋に日本語(倭の言葉)によって唱えられなくてはならず、倭の言葉(和の言葉)でなくては、祈りも神には届かないとされていたのである。

・詩の純粋性とは、言葉の純粋性の上に成り立つものであり、詩が祈りであることの意味は、言葉の純粋性を祷り手(詩人)に要求するものであり、言葉は大和言葉として正確に使われなくては、祈りの言葉は神には届かないとされたゆえに、正確な日本語を究めた者でなくては、歌人(詩人)とは言われなかったのである。

・つまり、古代の倭の国(大和の国・日本)においては、純粋な日本語による祈り(祝詞言葉)でなくては、大和の神は願いを聞き入れてくれないとされていたのであり、歌人はその意味では神子的存在、巫的存在であったのである。

・西欧においても東洋においても、つまり洋の東西を問わず、詩人が尊敬されたのは、神と対話できる存在であるからであり、言葉を正しく使う存在者が詩人とされたのは当然であった。

・詩を書く者は、基本的な姿勢として、以上のことを知ってほしいのである。

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