全国文芸同人誌評掲示板
【重要】teacup. byGMOのサービス終了について
<思いやりのあるコミュニティ宣言>
teacup.掲示板は、皆様の権利を守りながら、思いやり、温かみのあるコミュニティづくりを応援します。
いつもご協力いただきありがとうございます。
投稿者
題名
元記事
リンクする
内容
<IMG>タグが利用可能です。
(詳細)
> ・日本語の短歌は和の歌つまり倭の国の詩(純粋の日本語)で書かれることを基本にしている。ゆえに、大陸の中国語の古語である漢詩的表現は用いないのが基本である。それが日本語による和歌、つまり倭の歌の歴史的な成り立ちであり、大陸の漢語や横文字の表現を忌み嫌うのが和歌(倭の歌、短歌)の用法なのである。 > > ・そして、さらに厳しく言うと、大陸の漢字の表現や横文字表現をいっさい排除するのが和歌(倭の歌)の基本姿勢であったのである。つまり、倭の歌(和歌)とは純粋の日本語による詩言葉でなくてはならず、漢語的表現や横文字表現を避けて、<日本語で詠う詩>でなくてはならない、というのが基本であったのである。 > > ・和歌(倭の歌)とは、日本語によって詠われる詩のことであり、純粋に日本語を追究するものである、ということなのだ。 > > ・故に神前において祈る言葉は、純粋に日本語(倭の言葉)によって唱えられなくてはならず、倭の言葉(和の言葉)でなくては、祈りも神には届かないとされていたのである。 > > ・詩の純粋性とは、言葉の純粋性の上に成り立つものであり、詩が祈りであることの意味は、言葉の純粋性を祷り手(詩人)に要求するものであり、言葉は大和言葉として正確に使われなくては、祈りの言葉は神には届かないとされたゆえに、正確な日本語を究めた者でなくては、歌人(詩人)とは言われなかったのである。 > > ・つまり、古代の倭の国(大和の国・日本)においては、純粋な日本語による祈り(祝詞言葉)でなくては、大和の神は願いを聞き入れてくれないとされていたのであり、歌人はその意味では神子的存在、巫的存在であったのである。 > > ・西欧においても東洋においても、つまり洋の東西を問わず、詩人が尊敬されたのは、神と対話できる存在であるからであり、言葉を正しく使う存在者が詩人とされたのは当然であった。 > > ・詩を書く者は、基本的な姿勢として、以上のことを知ってほしいのである。
ファイル1
ファイル2
ファイル3
アップロード可能な形式(各4MB以内):
画像(gif,png,jpg,bmp) 音楽(mmf,mld) 動画(amc,3gp,3g2)
URL